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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成10年2月13日21時50分 備讃瀬戸 2 船舶の要目 船種船名
貨物船明芳丸 総トン数 499トン 登録長 61.80メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 1,029キロワット 3 事実の経過 明芳丸は、主に瀬戸内海諸港間の液体化学製品の輸送に従事する船尾船橋型の貨物船で、A受審人ほか6人が乗り組み、メタパラクレゾール400キロトンを積載して船首2.1メートル船尾3.1メートルの喫水をもって、平成10年2月13日12時30分山口県岩国港を発し、和歌山県和歌山下津港に向かった。 A受審人は、船橋当直体制を単独の4時間輪番制に定め、毎0時から4時までの時間帯を次席一等航海士、毎4時から8時までの時間帯を一等航海士とし、自らはその他の時間帯の当直に入るほか狭水道、出入港時の操船に従事していた。 ところで同船の寄港地は、岩国港、山口県宇部港、愛媛県菊間港諸港など近距離間の航行が主であったことから、ほぼ連日して航海当直、荷役作業が繰り返し行われており、荷役作業にはA受審人を含む乗員全員がバルブ操作等の諸作業に従事することになっていた。 また、A受審人は、昭和55年ごろから漁船、内航船の航海士として乗船してはいたものの、船長職を執ることになったのは、明芳丸乗船の同月1日からのことで、そのため、休息時間中にも荷役関連の打ち合わせ等の連絡をとるかたわら寄港する諸港、狭い水道での操船に備えて水路調査を行うなどの諸作業に従事していたが、同船に乗船後は折から船内に蔓延(まんえん)していた感冒で体調を崩し、連日感冒薬を服用する状態にあった。 発航後A受審人は、途中、愛媛県伯方島南方沖合に寄せ、ここで廃油を他船に揚げる予定であったから、広島湾を南下して安芸灘に入った後は、来島海峡航路の北側の海域を宮ノ窪瀬戸に向けて航行し、ここから愛媛県大島の北側海域を東行する航路計画をたて、自らは狭い水道での操船を行うこととし、広い水域での船橋当直は、担当の各航海士に任せて航行することとした。 こうして17時00分A受審人は、伯方島南方沖合に着き、同時10分廃油の揚荷を終えた後、一等航海士に船橋当直を任せて降橋し、備後灘を東行して備讃瀬戸南航路に入り、21時00分香川県牛島の南西方沖合で昇橋して船橋当直を交代し、備讃瀬戸東航路に向けて航行した。 21時12分A受審人は、男木島灯台から255度(真方位、以下同じ。)6.2海里の地点に達し、備讃瀬戸東航路中央第2号灯浮標(以下「備讃瀬戸東航路中央」と冠する灯浮標名については号数のみを表示する。)を左舷側に並航したとき、針路を海図記載の推薦航路に沿う077度に定めて操舵を自動とし、機関を全速力前進にかけて折からの2.3ノットの西流に抗して9.2ノットの対地速力で進行した。 A受審人は、21時24分、備讃瀬戸東航路と宇高東航路の交差海域に差し掛かり、周囲を見廻したところ支障となる他船が見当たらなかったことから暖房のきいた船橋前方の窓際に置かれていたいすに腰かけて船橋当直に当たり、風邪気味で投薬中であったことに加え、乗船以来の馴れない船長職の心労と連続作業により居眠りに陥るおそれのある状況にあったが、まさか居眠りをすることはないと思い、休息中の甲板長等を昇橋させ、2人当直とするなど、居眠り運航の防止措置をとることなく続航するうちいつしか居眠りに陥った。 21時36分A受審人は、男木島灯台から251度2.5海里の地点に産し、第3号灯浮標に並航して同灯台の北側に向かう変針点に差し掛かったが、居眠りしてこのことに気付かず、香川県男木島西岸に向首したまま続航中、明芳丸は、突然、船底に衝撃を受け、21時50分男木島灯台から218度800メートルの同島西岸の浅所に原針路、原速力のまま乗り揚げた。 当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の中央期であった。 乗揚の結果、船底部外板全般に擦過傷を生じたがのち修理された。
(原因) 本件乗揚は、夜間、備讃瀬戸東航路を東行中、居眠り運航の防止措置が不十分で、男木島西岸に向首進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、夜間、備讃瀬戸東航路を東行する際、風邪気味で投薬中に加え、乗船以来の馴れない船長職の心労と連続作業後に船橋当直に当たる場合、居眠り運航に陥るおそれがあったから、船橋当直を2人直とするなど、居眠り運航の防止措置をとるべき注意義務があった。しかるに同人は、まさか居眠りに陥ることはないと思い、居眠り運航の防止措置をとらなかった職務上の過失により、居眠りに陥り、男木島西岸に向首進行して乗揚を招き、明芳丸の船底部外板に擦過傷を生じさせるに至った。 |