|
(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年11月26日11時54分 東京湾中ノ瀬 2 船舶の要目 船種船名
油送船スズカ 総トン数 146,802トン 全長 338.00メートル 幅
58.00メートル 深さ 28.90メートル 機関の種類 ディーゼル機関 出力
20,594キロワット 3 事実の経過 スズカは、ペルシャ湾諸港と日本諸港間との原油輸送に従事する鋼製油送船で、B指定海難関係人ほか日本船員5人とフィリピン船員19人が乗り組み、原油261,639トンを積載し、平成9年11月6日21時40分(現地時間、以下特記するもの以外は日本標準時による。)オマーン国ミナ・アル・ファハール港を発し、京浜港川崎区に向かった。 越えて同月26日05時00分B指定海難関係人は、伊豆大島南東方20海里の地点において昇橋し、浦賀水道航路南側水先人乗船地点(以下「水先人乗船地点」という。)に向けて操船指揮に当たった。 10時25分A指定海難関係人(事件当時横須賀水先区水先免状受有、受審人に指定されていたところ、平成10年1月31日水先人の業務を廃止したので、これが取り消され、新たに指定海難関係人に追加された。)は、水先人乗船地点で、喫水が船首尾とも19.77メートルのスズカに乗船し、同時30分船橋前面中央窓の左舷寄りに立ち、B指定海難関係人の指揮のもと、二等航海士及び三等航海士を見張りに当たらせ、甲板手を手動操舵に就けて水先業務を開始し、進路警戒業務にみおかぜと能代丸2隻の警戒船を、スズカの左右前方920メートルばかりに配置し、浦賀水道航路に向けて北上した。 A指定海難関係人は、B指定海難関係人から中ノ瀬側水域において以前大型油送船の事故があったので、中ノ瀬航路を経由して目的地に向かうよう要請され、喫水が19メートルを超していたが、当時の潮高を検討し、同航路の航行が可能であったので同人の要請を受け入れ、中ノ瀬航路を航行することとした。 ところで、中ノ瀬航路の西側には中ノ瀬があり、同瀬は第2海堡の北方約2海里のところから北方へ約4海里、東西約1.5海里にわたる広い浅瀬で20メートルの等深線内に水深15メートル以下の浅所が在し、最残部は北端部にあって水深12メートル、南西端には水深13.2メートルのところが存在し、瀬の西側には東京湾中ノ瀬A、B、C、Dの4灯浮標が設置され、D灯浮標は特大浮標でレーコンが付設されていた。 10時47分A指定海難関係人は、浦賀水道航路に入って北上を続け、11時18分ごろ浦賀水道航路中央第5号灯浮標を通過したとき、手控えのパイロットブックに同灯浮標通過時刻を中ノ瀬航路第1号灯浮標(以下、中ノ瀬航路号灯浮標については「中ノ瀬航路」の冠称を省略する。)通過と誤認して記載し、同時25分第2海堡灯台から354度(真方位、以下同じ。)1.2海里の地点において、針路を020度に定め、機関を全速力前進にかけ、12.0ノットの対地速力で中ノ瀬航路を進行した。 11時26分ごろA指定海難関係人は、第1号灯浮標の少し手前に達したとき、機関を全速力前進にかけ、対地速力を11.0ノットに下げて続航し、同時37分第3号灯浮標を左舷側に通過したころ霧雨のため視程が約750メートルばかりに制限される状況となったことを知ったが、双眼鏡を使用したものの灯浮標の番号を確認できないまま、同灯浮標を第5号灯浮標と誤認し、警戒船のみおかぜを左舷船首0.4海里に同能代丸を右舷船首0.4海里の距離に配置して進行した。 11時43分A指定海難関係人は、機関を停止して前進惰力で続航し、同時45分第2海堡灯台から014度4.9海里の地点に達したとき、第5号灯浮標を左舷側に見る状況になっていたが、手控えのパイロットブックに各灯浮標を順次に間違って記入していたことから、第7号灯浮標を通過して中ノ瀬航路を出たものと思い、警戒船に通過灯浮標の番号を確認させるなり、レーダーを活用するなど船位を十分に確認しないまま、左舵10度を令した。 一方、B指定海難関係人は、船橋前面中央窓の右舷寄りに立ち、操船の指揮に当たり、二等航海士と三等航海士が交互に船位の確認に当たっているのを認めていたものの、通過灯浮標の番号をA指定海難関係人に連絡して相互に各灯浮標通過を確認するなど意志の疎通を図らないまま、これより先の11時44分第5号及び第6号両灯浮標を通過したことを認めていたが、同時45分に同指定海難関係人が左転を令し、船首が除々に左転し始めたとき、水先人が中ノ瀬航路の事情を十分認識しているのであて舵を取ったものと思い、直ちに同指定海難関係人に左転の意図を確認しなかった。 こうして、11時46分わずか前スズカの船首がゆっくりと左転を続け、同時47分A指定海難関係人は、針路を350度に転針するよう指示した。 B指定海難関係人は、A指定海難関係人が針路を350度に転針した指示を聞き、不審に思い海図上で350度の針路を当たったところ中ノ瀬航路を逸脱する危険を感じ、11時47分半A指定海難関係人に「おかしいですよ。」と注意を促すとともに、自ら右舵一杯を令した。 11時47分半同指定海難関係人は、能代丸の照明灯が右に離れていくのを感じ、同船からも「おかしいです。」と連絡が入り、ようやく第5号灯浮標を第7号灯浮標と誤認していたことに気付き、B指定海難関係人が右舵一杯を令したのとほぼ同時に急ぎ右舵一杯を令し、同時48分半機関を極微速力前進に、引き続き同時51分半微速力前進にかけ、右舵一杯のまま続航した。 11時53分半A指定海難関係人は、左回頭惰力が収まって右転を始めたとき、機関を半速力前進にかけ、更に針路を025度に転じ、3.0ノットの速力で進行中、11時54分スズカは、第2海堡灯台から012度5.7海里の浅所に乗り揚げ、これを乗り切った。 当時、天候は霧雨で風力4の南東風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で潮高は約1.3メートルであり、視程は750メートルであった。 B指定海難関係人は、11時55分ごろ自船の船尾から泥がかき上がるのを視認し、指定錨地に投錨後船位を再確認したところ中ノ瀬航路から逸脱していることが分かり、乗り揚げたことを知り、事後の措置に当たった。 A指定海難関係人は、指定錨地に投錨後スズカを下船し、上陸して横須賀水先区水先人会久里浜事務所に連絡したところ、同船が中ノ瀬航路を逸脱して航行していたことを知らされ、再び同船に戻り、海図を検証して乗り揚げたことを知った。 乗揚の結果、左舷船底外板にペイント剥離と擦過傷を生じ、のち修理された。
(原因) 本件乗揚は、霧雨のため視界が狭められた中ノ瀬航路を北上中、京浜港川崎区沖合の指定錨地に向けて左転する際、船位の確認が不十分で、中ノ瀬に向けて転針し、同瀬の浅所に向首して進行したことによって発生したものである。
(指定海難関係人の所為) A指定海難関係人は、霧雨のため視界が狭められた中ノ瀬航路を北上中、各灯浮標の番号を確認できない状況になったなか、京浜港川崎区沖合の指定錨地に向けて転針する際、警戒船に通過灯浮標の番号を確認させるなり、レーダーを活用するなど船位の確認を十分に行わず、第5号灯浮標を第7号灯浮標と誤認したまま転針し、同航路を外れて浅所に向けて航行したことは、本件発生の原因となる。 A指定海難関係人に対しては、本件後水先業務を廃止したことに徴し、勧告しない。 B指定海難関係人は、霧雨のため視界が狭められた中ノ瀬航路において、水先人きょう導のもとに北上中、船位の確認を連続して行っていたのであるから、A指定海難関係人が第5号浮標を航過した後、第7号灯浮標の手前で京浜港川崎区沖合の指定錨地に向けて針路を転じたのを認めた際、同指定海難関係人に転針の意図を確認しなかったことは本件発生の原因となる。 B指定海難関係人に対しては、本件後水先人と意思の疎通をはかることを心がけている点に徴し、勧告しない。
よって主文のとおり裁決する。 |