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1999年(平成11年)

平成11年広審第22号
    件名
貨物船チュン イル乗揚事件

    事件区分
乗揚事件
    言渡年月日
平成11年7月27日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

織戸孝治、杉崎忠志、中谷啓二
    理事官
川本豊

    受審人
    指定海難関係人

    損害
船底部を破損し重油燃料が流失、のち船体が折損、廃船

    原因
船位確認不十分

    主文
本件乗揚は、船位の確認が十分でなかったことによって発生したものである。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年10月15日01時39分
豊後水道
2 船舶の要目
船種船名 貨物船チュン イル
総トン数 2,831トン
全長 97.56メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,838キロワット
3 事実の経過
チュン イル(以下「チ号」という。)は、ジャイロコンパス、レーダー、電磁式ログ及び測深儀などを装備し、専ら大韓民国の釜山港と京浜港横浜区との間で、コンテナ及び雑貨の輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、船長A(大韓民国国籍)(以下「A船長」という。)及び二等航海士B(大韓民国国籍)(以下「B航海士」という。)ほか13人(中華人民共和国国籍1名、フィリピン共和国国籍2名及びその他大韓民国国籍)が乗り組み、コンテナ及び雑貨計87トンを積載し、船首1.9メートル船尾4.6メートルの喫水をもって、平成10年10月14日06時15分釜山港を発し、関門海峡、豊後水道及び土佐沖を経由することとして京浜港横浜区に向かった。
ところでチ号の船橋当直は、4時間3交替の当直体制で、毎0時から4時までの時間帯をB航海士、同4時から8時までの時間帯を一等航海士がそれぞれ担当し、各航海士に甲板員1名が付き、同8時から12時までの時間帯は、A船長が自ら担当し、甲板手、甲板員各1名と共に当直に当たり、この時間帯のほかにも狭水道通過時や狭視界時には自ら操船指揮をとることとしていた。
因(ちな)みにB航海士は、過去17年間甲板員又は甲板手としての乗船経歴を有し、同年9月18日からチ号に二等航海士となって乗船したが、航海士としての経験が浅いため、平素、船長から当直中漁船が多数存在する状況に遭遇したとき及び視界が悪化した場合には報告するよう指示されていた。
翌15日00時B航海士は、豊後水道ほぼ中央の水ノ子島北方で、A船長から北上する反航船に注意することと高知県沖ノ島を確認して土佐沖に向かうよう指示を受けて、甲板員と共に船橋当直に就き、自動操舵により針路を145度(真方位、以下同じ。)に定め、機関を全速力前進にかけ11.5ノットの対地速力で進行した。
00時11分B航海士は、水ノ子島灯台を右正横1.5海里に見て航過したとき、正船首方に漁船群を視認したので針路を136度に転じて続行し、01時00分レーダーにより船位を高茂埼灯台から288度7.8海里に測得して原進路から左方に偏位していることを確認したが、その直後降雨により視程が200メートルばかりに悪化し、その影響によりレーダー映像の判読が困難となったため、元の針路に復したとき漁船群の中に入ることを恐れ、原針路にせず、間もなく雨は止んで視界が回復するものと思い、視界が悪化したことをA船長に報告することなく進行した。
01時17分わずか過ぎB航海士は、付近海域で操業中の漁船を避航するため、107.5度に針路を転じたが、左舷方の可航水域にはまだ余裕があると思い、その後推測航法等により船位を確認しなかったので、自船が愛媛県南宇和郡西海町高茂埼南西方の沖ノ磯に向首進行していることに気付かず続航中、同時38分少し過ぎ船首方に島影のようなものを視認し、甲板員に手動操舵に切り替えさせて左舵15度を取り回頭中、チ号は、01時39分高茂埼灯台から219度1.5海里の沖ノ磯に045度を向首して原速力のまま乗り揚げた。
当時、天候は曇で風力4の南西風が吹き、潮候は上げ潮の末期であった。
A船長は、自室で休息中、衝撃を感じて昇橋し、自船の乗揚を知って事後の措置にあたった。
乗揚の結果、船底部を破損して重油燃料が流失し、来襲した台風の影響により船体が折損、廃船となり、その後船体撤去作業が行われた。

(原因)
本件乗揚は、雨による視界不良時、豊後水道を南下中、船位の確認が不十分で、高茂埼南西方の沖ノ磯に向首進行したことによって発生したものである。

よって主文のとおり裁決する。






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