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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年9月24日12時35分 瀬戸内海播磨灘 2 船舶の要目 船種船名 貨物船第八岬秀丸 漁船第十一漁徳丸 総トン数 422トン 63.47トン 全長
58.12メートル 31.45メートル 機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関 出力 1,103キロワット
242キロワット 3 事実の経過 第八岬秀丸(以下「岬秀丸」という。)は、船尾船橋型の砂利採取運搬船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか4人が乗り組み、砂利1,200トンを載せ、船首4.00メートル船尾4.80メートルの喫水をもって、平成9年9月24日11時15分香川県坂手港沖合の坂手湾を発し、大阪港堺泉北区に向かった。 発航後A受審人は、船橋当直を同人、一等航海士及び無資格のB指定海難関係人が2時間交替で行うことに決め、自ら操船に当たって播磨灘を東行し、11時56分播磨灘航路第2号灯浮標を左舷側に通過したとき、大角鼻灯台から096度(真方位、以下同じ。)5.3海里の地点で、針路を068度に定め、機関を全速力前進にかけ10.0ノットの対地速力で自動操舵により進行した。 A受審人は、定針直後、B指定海難関係人に船橋当直を行わせることとしたが、視界が良好であったことから、特に指示するまでもないと思い、前路に接近する他船を認めたときは、速やかに報告するよう指示することなく、同人に同当直を引き継いで降橋した。 B指定海難関係人は、単独の船橋当直に当たり、海図記載の推薦航路線から半海里隔ててその南側沿いを同じ針路及び速力で東行中、12時20分松島灯台から166度8.8海里の地点に達したとき、左舷船首38度3.6海里のところに、南下する第十一漁徳丸(以下「漁徳丸」という。)を初めて視認し、やがて同船が漁船で自船に接近してくることを知ったが、そのうちに自船の進路を避けるものと思い、漁徳丸の接近状況をA受審人に報告せず、舵輪の後ろに立ってその動静を見守っていた。 こうして岬秀丸は、A受審人によって操船が行われず、12時27分少し前漁徳丸が同じ方位のまま2.0海里となり、その後前路を右方に横切り衝突のおそれのある態勢で接近し、同船に避航の気配が認められなかったが、警告信号を行うことも、間近に接近したとき機関を全速力後進にかけるなど、衝突を避けるための協力動作をとることもしないで続航した。 やがてB指定海難関係人は、漁徳丸が左舷側から迫ってくるので危険を感じ、12時34分半操舵を手動に切り替え、右舵一杯として回頭中、12時35分松島灯台から150度8.8海里の地点において、岬秀丸は、船首が105度を向いたとき、原速力のまま、その左舷後部に漁徳丸の右舷船首が後方から30度の角度で衝突した。 当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の初期であった。 A受審人は、自室でテレビを見ていたとき衝突の衝撃を感じ、急いで昇橋し、事後の措置に当たった。 また、漁徳丸は、かつお一本釣り漁業に従事するFRP製の漁船で、C受審人及びD、E両指定海難関係人ほか13人が乗り組み、操業の目的で、餌用活きいわし約500キログラムを載せ、船首1.50メートル船尾2.50メートルの喫水をもって、同24日11時00分兵庫県飾磨郡家島町の西島東岸沖合を発し、沖縄県近海の漁場に向かった。 発航後C受審人は、船橋当直を同人を含め2人ずつ2時間交替の5直体制で行うことに決め、自ら操船に当たって坊勢島と家島との間を通航した後、11時30分男鹿島灯台から240度3.5海里の地点で、針路を鳴門海峡に向く168度に定め、機関を全速力前進にかけ9.2ノットの対地速力で自動操舵により進行した。 C受審人は、定針直後、無資格のD、E両指定海難関係人に船橋当直を行わせる際、やがて海図記載の推薦航路線に沿って播磨灘を東西に航行する船舶の輻輳する海域に差し掛かるようになるが、両人に対していちいち指示するまでもないと思い、見張りを厳重に行うよう指示することなく、プロッターに表示された針路線に沿って航行するようにと告げ、操舵室後方の自室に退いて休息した。 ところで、操舵室の前部には、横板が床から80センチメートルの高さに張られており、船橋当直中は、これに腰を降ろした状態で前路の見張りを行うことができるようになっていた。 D指定海難関係人は、C受審人と交替してE指定海難関係人とともに船橋当直に就き、当初は時々レーダーを見たが、他船の映像を認めなかったことから、その後はレーダーを活用せず、横板の右舷側であぐらをかいて前方を見たり、プロッターの表示する針路線から外れずに航行しているかを確認するため、同位置を離れて操舵室左舷側に設置されているプロッターを覗き込んだりしながら、一方、E指定海灘関係人は、横板の左舷側であぐらをかいて、専ら左舷方を見ながら、引き継いだ針路及び速力で播磨灘を南下した。 12時27分少し前、D、E両指定海難関係人は、松島灯台から147度7.7海里の地点に達したとき、右舷船首42度2.0海里のところに、東行する岬秀丸を視認することができる状況であったものの、周囲の見張りを厳重に行っていなかったので、両人とも岬秀丸の存在に気付かず、右舷船首方から同船が接近するのをC受審人に報告することができなかった。 その後漁徳丸は、岬秀丸が前路を左方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近したが、C受審人によって操船が行われず、同船の進路を避けないまま続航中、12時35分少し前ふと右舷側を見たE指定海難関係人が、右舷至近に迫った岬秀丸を初めて視認して大声を発したところ、D指定海難関係人が同船に気付いて直ちにクラッチを中立とし、操舵を手動に切り替え、左舵一杯としたが及ばず、船首が135度を向いたとき、原速力のまま、前示のとおり衝突した。 C受審人は、自室の寝台で休息中、E指定海難関係人の大声で目を覚まし、直ちに操舵室に駆けつけたが、どうすることもできないまま衝突し、事後の措置に当たった。 衝突の結果、岬秀丸は、左舷後部のハンドレールが曲損し、漁徳丸は、右舷船首部に破口を生じたが、のちいずれも修理された。
(原因) 本件衝突は、播磨灘において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれのある態勢で接近中、漁徳丸が、見張り不十分で、前路を左方に横切る岬秀丸の進路を避けなかったことによって発生したが、岬秀丸が、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。 漁徳丸の運航が適切でなかったのは、船長が、無資格の船橋当直者に対し、見張りを厳重に行うよう指示しなかったことと、同当直者が、見張りを厳重に行わなかったこととによるものである。 岬秀丸の運航が適切でなかったのは、船長が、無資格の船橋当直者に対し、前路に接近する他船を認めたときは速やかに報告するよう指示しなかったことと、同当直者が、漁徳丸の接近状況を船長に報告しなかったこととによるものである。
(受審人等の所為) C受審人は、男鹿島沖合から播磨灘を南下する際、無資格の甲板員2人に船橋当直を行わせる場合、やがて海図記載の推薦航路線に沿って播磨灘を東西に航行する船舶の多い海域に差し掛かるようになるから、両甲板員に見張りを厳重に行うよう指示すべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、いちいち注意するまでもないと思い、見張りを厳重に行うよう指示しなかった職務上の過失により、両甲板員が前路を左方に横切る岬秀丸に気付かず、自らの操船により、その進路を避けることができないで同船との衝突を招き、岬秀丸の左舷後部のハンドレールに曲損を、自船の右舷船首部に破口を生じさせるに至った。 以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 A受審人は、播磨灘を東行中、無資格の甲板長に船橋当直を行わせ場合、前路に接近する他船を認めたときは、速やかに報告するよう指示すべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、視界が良好であったことから、特に指示するまでもないと思い、前路に接近する他船を認めたときは、速やかに報告するよう指示しなかった職務上の過失により、甲板長から漁徳丸の接近状況の報告が得られず、自ら警告信号を行うことも、間近に接近したとき衝突を避けるための協力動作をとることもできないで同船との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 D指定海難関係人が、船橋当直に当たり、播磨灘を南下中、見張りを厳重に行わなかったことは、本件発生の原因となる。 D指定海難関係人に対しては、勧告しない。 E指定海難関係人が、船橋当直に当たり、播磨灘を南下中、見張りを厳重に行わなかったことは、本件発生の原因となる。 E指定海難関係人に対しては、勧告しない。 B指定海難関係人が、単独で船橋当直に当たり、播磨灘を東行中、漁徳丸の接近状況を船長に報告しなかったことは、本件発生の原因となる。 B指定海難関係人に対しては、勧告しない。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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