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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年4月4日02時00分 熊野灘 2 船舶の要目 船種船名 貨物船第二十五東洋丸 油送船とねがわ丸 総トン数 2,722.54トン 1,259トン 全長
96.96メートル 86.35メートル 機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関 出力 2,206キロワット
1,618キロワット 3 事実の経過 第二十五東洋丸(以下「東洋丸」という。)は、可変ピッチプロペラを装備した中央船橋型の自動車運搬船で、船長D及びA受審人ほか9人が乗り組み、車両337台を積載し、船首3.88メートル船尾5.30メートルの喫水をもって、平成9年4月3日16時00分名古屋港を発し、鹿児島港に向かった。 D船長は、航海中の船橋当直を4時間交替の3直制で航海士3人にそれぞれ甲板部員1人を付けて行わせ、発航後、霧模様であったことから、夕食をとるため降橋したほかはほとんど在橋して伊勢湾を南下した。 20時55分ごろD船長は、三重県大王埼南東方沖合で視界が回復したので、三等航海士に当直を任せることとし、同航海士に対し、潮岬に接近するころには反航船に注意し、再び視界が悪くなったときには速やかに報告すること、更にこのことを次直の二等航海士に申し送るよう指示して降橋した。 A受審人は、翌4日00時00分三木埼灯台から161度(真方位、以下同じ。)9.6海里の地点で、前直の三等航海士から潮岬に接近するころには反航船に注意し、また視界が悪くなったときには船長に報告するよう引継ぎを受けて操舵手とともに船橋当直に就き、針路を223度に定め、引き続き機関を全速力前進にかけ、12.0ノットの対地速力で、航行中の動力船の灯火を表示して自動操舵により熊野灘を南下した。 01時40分ごろA受審人は、梶取埼東方沖合に差し掛かったころ霧となって急速に視界が悪化し、視程が約100メートルに狭められる状況となったが、D船長から視界が悪くなったら報告するよう指示を受けていたにもかかわらず、自分で操船を続けても大丈夫と思い、深夜でD船長が休んでいるだろうと遠慮したこともあって、同船長に視界が悪くなったことを報告しなかったばかりでなく、霧中信号を行うことも、安全な速力とすることもしないで全速力のまま進行した。 A受審人は、01時52分半梶取埼灯台から119度4.0海里の地点に達したとき、6海里レンジとしたレーダーで右舷船首5.5度3.0海里に、とねがわ丸の映像を探知し、間もなく同船が北上して反航することを知り、これを監視しながら続航した。 やがて、A受審人は、01時55分梶取埼灯台から126度3.9海里の地点に達したとき、とねがわ丸の映像を右舷船首6度2.0海里に認めるようになり、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことが分かったが、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また必要に応じて行き脚を停止することなく、左転によってとねがわ丸を右舷側にかわそうと思い、同時57分半とねがわ丸が右舷船首5度1.0海里に接近したとき、自動操舵のまま5度左転し、218度の針路として進行した。 02時00分少し前A受審人は、とねがわ丸の映像がレーダーの中心部に急速に接近するので、操舵手に手動操舵に切り替えさせて左舵5度をとらせ、右舷ウイングに移動して前方を注視したところ、右舷船首至近にとねがわ丸の両舷灯に次いで船体を視認したものの、どうすることもできず、02時00分梶取埼灯台から141度4.0海里の地点において、東洋丸は、ほぼ原針路、原速力のまま、その右舷中央部に、とねがわ丸の船首が前方から19度の角度で衝突した。 当時、天候は霧で風力3の北東風が吹き、潮候は上げ潮の中央期にあたり、視程は約100メートルであった。 D船長は、自室で休息中、衝撃を感じて目覚め、急いで昇橋して事後の措置に当たった。 また、とねがわ丸は、可変ピッチプロペラを装備した船尾船橋型の油タンカーで、B受審人及びC指定海難関係人ほか8人が乗り組み、空倉のまま、海水バラスト570トンを張り、船首1.70メートル船尾4.30メートルの喫水をもって、同月3日18時15分和歌山下津港を発し、京浜港川崎区に向かった。 B受審人は、船橋当直を自らを含めて一等航海士及びC指定海難関係人の3人にそれぞれ甲板部員1人を付け4時間交替の3直制として紀伊半島西岸沿いに東行し、23時50分ごろ江須埼南西方沖合で、昇橋した次直のC指定海難関係人に当直を行わせることにした。 その際、B受審人は、C指定海難関係人が海技免状を受有しておらず、甲板長に昇格して主務者として責任をもって船橋当直に就くのが今回初めてであったが、船橋当直の経験が相当あったことから、視界が狭められれば適宜報告してくれるものと思い、同人に対して具体的に視程を示して視界が制限される状況になったときには必ず報告するよう明確に指示することなく、単に視界が悪くなったときには知らせるようにと告げただけで、当直を任せて降橋した。 こうして、レーダー級海上特殊無線士の資格を有するC指定海難関係人は、相当直の甲板員とともに船橋当直に就き、翌4日01時13分半樫野埼灯台から169度2.7海里の地点で、針路を047度に定め、機関を全速力前進にかけ、12.0ノットの対地速力で、航行中の動力船の灯火を表示して自動操舵により熊野灘を北止した。 01時30分C指定海難関係人は、樫野埼灯台から099度2.8海里の地点に達したとき、12海里レンジとしたレーダーで正船首わずか左12.0海里に、東洋丸の映像を探知し、間もなく同船が南下して反航することを知り、引き続きレーダーを見ているうち、霧模様となって視程が2海里ほどに狭められたが、この程度ならば大丈夫と思い、速やかにB受審人に視界が悪化したことを報告せず、また霧中信号を行ったり、安全な速力に減じたりする措置がとられないまま進行した。 C指定海難関係人は、01時40分ごろ梶取埼東方沖合に達したころ、霧が更に濃くなり、視程が約100メートルに狭められる状況となったが、東洋丸の映像を監視することに気をとられ、なおもB受審人に報告しないで続航した。 そして、C指定海難関係人は、レーダーを6海里レンジに切り替えて監視を続けていたところ、東洋丸の映像がレーダーの中心部寄りに近づいてくるので、01時52分半梶取埼灯台から161度4.1海里の地点に達し、同船の映像が正船首少し右3.0海里になったとき、同船を左舷側にかわすつもりで、自動操舵のまま5度右転して052度の針路とし様子をみているうち、同時55分東洋丸が左舷船首3度2.0海里に接近したので更に自動操舵のまま5度右転して057度の針路に転じて進行した。 その後、とねがわ丸は、東洋丸と著しく接近することを避けることができない状況となったが、B受審人は報告が得られず、昇橋してレーダー監視に当たることができなかったので、この状況に気付かず、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行き脚を停止することもできなかった。 C指定海灘関係人は、東洋丸の映像がレーダーの中心部に接近したので驚き、手動操舵に切り替えて前方を見ていたところ、02時00分少し前船首方至近に東洋丸の白灯次いで緑灯を視認し、甲板員が汽笛で短1声を吹鳴したものの、どうすることもできないでいるうち、とねがわ丸は、原針路、原速力のまま前示のとおり衝突した。 B受審人は、自室で休息中、衝撃を感じて目覚め、急いで昇橋して事後の措置に当たった。 衝突の結果、東洋丸は右舷中央部外板に亀裂を伴う凹損を、とねがわ丸は右舷船首部に凹損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。
(原因) 本件衝突は、夜間、両船が霧のため視界が制限された熊野灘を航行中、南下する東洋丸が、安全な速力とせず、レーダーにより前路に認めたとねがわ丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また必要に応じて行き脚を停止しなかったことと、北上するとねがわ丸が、安全な速力とせず、レーダーにより前路に認めた東洋丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また必要に応じて行き脚を停止しなかったこととによって発生したものである。 とねがわ丸の運航が適切でなかったのは、船長が、無資格の船橋当直者に対して視界制限時の報告についての指示を十分に行わなかったことと、同当直者が、船長に対して視界制限時に報告を行わなかったこととによるものである。
(受審人等の所為) A受審人は、夜間、霧のため視界が制限された熊野灘を南下中、レーダーで前路に認めたとねがわ丸と著しく接近することを避けることができない状況となったことを知った場合、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、また必要に応じて行き脚を停止すべき注意義務があった。ところが、同人は、左転によってとねがわ丸を右舷側にかわそうと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また必要に応じて行き脚を停止しなかった職務上の過失により、行き脚を止める措置がとられずに進行して同船との衝突を招き、東洋丸の右舷中央部外板に亀裂を伴う凹損を、またとねがわ丸の右舷船首部に凹損をそれぞれ生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 B受審人は、夜間、紀伊半島西岸沖合を東行中、無資格の部下に船橋当直を行わせる場合、視界が制限される状態となったとき、自ら操船の指揮が執れるよう、視界が狭められたときの報告について、具体的に視程を示して必ず報告するよう明確に指示すべき注意義務があった。ところが、同人は、視界が狭められれば適宜報告してくれるものと思い、視界が狭められたときの報告について、具体的に視程を示して必ず報告するよう明確に指示しなかった職務上の過失により、視界が制限される状態となったとき報告が得られず、自ら操船の指揮を執ることができないまま進行して東洋丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 C指定海難関係人が、夜間、船橋当直に就いて熊野灘を北上中、霧のため視界が制限される状態となった際、船長に報告しなかったことは、本件発生の原因となる。 C指定海難関係人に対しては、勧告しない。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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