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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成10年4月7日05時30分 瀬戸内海播磨灘 2 船舶の要目 船種船名 貨物船第十八巧衛丸 貨物船第拾壱三石丸 総トン数 495トン 493トン 全長
63.40メートル 登録長 62.42メートル 機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関 出力 735キロワット
735キロワット 3 事実の経過 第十八巧衛丸(以下「巧衛丸」という。)は、専ら兵庫県家島港を基地として家島諸島と阪神地区との間に就航している船尾船橋型の砂利採取運搬船で、A受審人ほか4人が乗り組み、平成10年4月6日男鹿島において砂利1,400トンを積載した後、同日夕刻同港北方沖合に至り、尾崎鼻灯台から042度(真方位、以下同じ。)650メートルの地点に錨泊し、翌7日04時30分船首3.10メートル船尾5.00メートルの喫水をもって同地点を発し、神戸港に向かった。 A受審人は、通常、視界良好時には船橋当直を部下に交替で行わせていたが、当日は発航時から濃霧であったことから、自ら手動操舵で操船に当たるとともに、他の乗組員を船橋において見張りにつけ、抜錨と同時に針路を090度に定め、機関を微速力前進にかけ、所定の灯火を点灯のうえ3.5ノットの対地速力で進行した。 05時15分A受審人は、男鹿島北方沖合で舵輪左横のレーダーを見たところ、右舷船首23度3.6海里に第拾壱三石丸(以下「三石丸」という。)の映像を初めて探知し、手動で霧中信号の吹鳴を行いながら播磨灘を東行した。 05時22分A受審人は、鞍掛島灯台から275度1.9海里の地点に達したとき、視程100メートルの視界制限状態のなか、西行する三石丸のレーダー映像を右舷船首26度1.7海里に認めるようになり、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、右舷側を航過していくものと思い、行き脚を止めることなく、同じ針路各及び速力のまま続航した。 A受審人は、05時27分三石丸のレーダー映像が右舷船首29度800メートルに接近したころ、濃霧のなか航行を続けることが不安となり、機関を停止して操舵を放置したところ、船首が徐々に左に回頭を始め、同時30分少し前操舵室にいた一等航海士が右舷側から自船に迫ってくる三石丸を視認して「ゴーアスターン」と叫び、少し前進行き脚のある状態で機関を全速力後進にかけたが及ばず、05時30分鞍掛島灯台から276度1.5海里の地点において、巧衛丸は、船首が075度を向き船体がほぼ停止したとき、その右舷船首に三石丸の船首が後方から75度の角度で衝突した。 当時、天候は霧で風はなく、視程が100メートルばかりで、潮候は上げ潮の初期に属し、付近には微弱な西流があった。 また、三石丸は、専ら兵庫県赤穂港又は家島諸島と大阪港堺泉北区との間に就航している船尾船橋型の砂利採取運搬船で、B、C両受審人ほか3人が乗り組み、空倉のまま、船首0.80メートル船尾3.00メートルの喫水をもって、同月7日02時10分大阪港堺泉北区を発し、家島諸島の西島に向かった。 B受審人は、発航後港外に出たとき、船橋当直をいつものとおり一等航海士、C受審人及び甲板員の3人に交替で行わせることに決め、昇橋していた同航海士に船橋当直を引き継ぐ際、視程は3海里ばかりであったものの、数日前から霧模様の天気が続いており、目的地までの航海中に霧がかかることは十分考えられる状況であったが、視界があまり悪くないので問題ないと思い、同航海士に対して、霧で視界が不良になったときには速やかに船長に報告するよう、かつ、このことを次直者に確実に申し送るよう指示することなく、自室に退いて休息した。 04時00分C受審人は、江埼灯台西方沖合において一等航海士から特段の引継ぎがないまま単独で船橋当直に当たり、やがて霧が濃くなって視程が100メートルの視界制限状態となったが、目的地にもうすく到着するので、自身がなんとか操船を続けることができると思い、このことを船長に報告せず、また、霧中信号を行うことも安全な速力とすることもしないで播磨灘を西行した。 C受審人は、05時05分上島灯台から200度2.3海里の地点に達したとき、鞍掛島と太島との間に向くよう針路を295度に定め、引き続き機関を全速力前進にかけ、折からの微弱な西流により1度左方に圧流されながら、所定の灯火を点灯のうえ13.0ノットの対地速力で自動操舵により進行した。 05時20分C受審人は、鞍掛島灯台から182度1,500メートルの地点で、レーダーにより正船首2.2海里に巧衛丸の映像を初めて探知するとともに、針路を302度に転じ、同時22分左舷船首6度1.7海里に巧衛丸のレーダー映像を認めるようになったとき、東行する同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、針路を右に転じたので、左舷対左舷で航過できると思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて行き脚を止めることなく、同じ針路、速力及び圧流模様で続航した。 こうしてC受審人は、05時24分半巧衛丸のレーダー映像の方位が変わらずに1海里に接近したとき、針路を302度に保持したまま機関を半速力に減じたところ、同時27分速力が11.0ノットに低下し、同船が船首800メートルに接近したところで、船首方に巧衛丸の霧中信号を聴取して機関を微速力とした。 そしてC受審人は、05時29分操舵を手動に切り替えて針路を327度に転じ、同時30分少し前右舵をとったが及ばず、三石丸は、船首が000度を向き速力が6.0ノットとなったとき、前示のとおり衝突した。 B受審人は、C受審人から視界が不良となった旨の報告を受けられずに自室で休息中、衝突の衝撃を感じて目を覚まし、急いで昇橋して事後の措置に当たった。 衝突の結果、巧衛丸はファッションプレートが、曲損し、三石丸は左舷船首に凹損を生じたが、のち両船は修理された。
(原因) 本件衝突は、視界制限状態の播磨灘において、西行する三石丸が、安全な速力としなかったばかりか、レーダーにより前路に探知した巧衛丸と著しく接近することを避けることができない状況となったとき、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて行き脚を止めなかったことによって発生したが微速力で東行する巧衛丸が、レーダーにより前路に探知した三石丸と著しく接近することを避けることができない状況となったとき、行き脚を止めなかったことも一因をなすものである。 三石丸の運航が適切でなかったのは、船長の船橋当直者に対する視界制限時の報告についての指示が十分でなかったことと、船橋当直者の視界制限時の報告及び措置が適切でなかったこととによるものである。
(受審人の所為) B受審人は、大阪港堺泉北区を発行後船橋当直を一等航海士に引き継ぐ場合、視程は3海里ばかりであったものの、数日前から霧模様の天気が続いており、目的地までの航海中に霧がかかることは十分考えられる状況であったから、同航海士に対して、霧で視界が不良になったときには速やかに船長に報告するよう、かつ、このことを次直者に確実に申し送るよう指示すべき注意義務があった。しかるに、同人は、視界があまり悪くないので問題ないと思い、一等航海士に対して、霧で視界が不良になったときには速やかに船長に報告するよう、かつ、このことを次直者に確実に申し送るよう指示しなかった職務上の過失により、C受審人から視界が不良になった旨の報告を受けられずに休息していたところ巧衛丸との衝突を招き、同船のファッションプレートに曲損を、三石丸の左舷船首に凹損をそれぞれ生じさせるに至った。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 C受審人は、単独で船橋当直に当たり、視界制限状態の播磨灘を西行中、レーダーにより前路に巧衛丸の映像を探知し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となった場合、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、また、必要に応じて行き脚を止めるべき注意義務があった。しかるに、同人は、針路を右に転じたので、同船と左舷対左舷で航過できると思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて行き脚を止めなかった職務上の過失により、減速するなどして航行を続けて同船との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。 以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 A受審人は、視界制限状態の播磨灘において機関を微速力前進にかけ東行中、レーダーに西行する三石丸の映像を探知したのち、同船と著しく接近することを避けることができない状況となった場合、行き脚を止めるべき注意義務があった。しかるに、同人は、三石丸は右舷側を航過していくものと思い、行き脚を止めなかった職務上の過失により、同船との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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