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1999年(平成11年)

平成10年神審第97号
    件名
貨物船第六報湾丸漁船幸安丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年10月13日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

工藤民雄、須貝壽栄、西林眞
    理事官
平野浩三

    受審人
    指定海難関係人

    損害
報湾丸・・・船首部に擦過傷
幸安丸・・・船尾付近で分断、のち廃船、幸安丸船長が溺死、甲板員1人が2箇月の加療を要する頭部及び下半身打撲、甲板員1人が2箇月の加療を要する全身打撲

    原因
報湾丸・・・見張り不十分、横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
幸安丸・・・警告信号不履行、横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、第六報湾丸が、見張り不十分で、前路を左方に横切る幸安丸の進路を避けなかったことによって発生したが、幸安丸が、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年11月4日14時05分
大阪湾
2 船舶の要目

船種船名 貨物船第六報湾丸 漁船幸安丸
総トン数 393トン 9.7トン
全長 58.92メートル
登録長 17.67メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット
漁船法馬力数 15

3 事実の経過
第六報湾丸(以下「報湾丸」という。)は、船尾船橋型の鋼製砂利採取運搬船で、主として瀬戸内海備讃瀬戸のオーソノ瀬で採取した海砂を阪神方面に輸送していたところ、船長B及びA指定海難関係人ほか3人が乗り組み、揚荷役を終え、空倉のまま、船首0.8メートル船尾3.2メートルの喫水をもって、平成9年11月4日13時00分大阪港堺泉北区を発し、基地である兵庫県家島港に向かった。
B船長は、大阪港から家島港までの短距離航海であったので、船橋当直を自らとA指定海難関係人及び甲板員2人による1.5時間交替とし、出航操船に当たったのち、13時30分泉北大津南防波堤灯台から322度(真方位、以下同じ。)1.1海里の地点で、針路を282度に定めたとき、昇橋したA指定海難関係人に船橋当直を任せることにした。
その際、B船長は、大阪湾の船舶通航の多い海域を航行することから、A指定海難関係人に対し、前路の見張りを厳重に行い、多数の漁船に遭遇するなど船舶が輻輳(ふくそう)するようになったとき、また明石海峡東口の手前に差し掛かったときには報告するよう指示を与え、当直を引き継いで降橋した。

ところで、報湾丸の船首甲板中央部には、荷役用の旋回式ジブクレーン1基が設置されており、同年10月荷役の都合で同クレーンを大型のものに取り替えたことに伴い、クレーンブームが約1メートル長くなり、その先端部を上甲板上の船体中心部に格納できなくなったことから、同先端部を操舵室右舷ウイングの高さ90センチメートルの前部ブルワーク上に載せて格納するようになった。そのため、操舵室の舵輪後方で見張りに当たったとき、同ブームにより右舷船首約6度から約40度の範囲にかけて見通しが妨げられ、特に右舷船首方から接近する小型船の視認が困難な状態となっており、A指定海難関係人は、同クレーンを換装した際、B船長から操舵室内を移動するなどして右舷船首方の見張りを厳重に行うよう指示され、同指定海難関係人はこのことをよく承知していた。
こうして単独で当直に就いたA指定海難関係人は、引き継いだ282度の針路のまま、機関を全速力前進にかけ、10.5ノットの対地速力で、舵輪の後方で高さ約72センチメートルのいすに腰を掛け、見張りを兼ね手動操舵に当たって明石海峡に向け西行した。
13時58分半A指定海難関係人は、神戸港第7防波堤西灯台から173度6.5海里の地点に達したとき、右舷船首32度2.0海里のところに、自船の前路を左方に横切る幸安丸を視認できる状況であった。
その後、幸安丸の方位がほとんど変わらず、衝突のおそれがある態勢で接近したがA指定海難関係人は、右方から接近する他船はいないものと思い、船首方向に認めていた操業中の2そう船曳網漁船に気をとられ、操舵室内を移動するなどして見通しの悪い右舷船首方の見張りを適切に行っていなかったので、幸安丸の接近に気付かず、B船長にこのことを報告できず、早期に幸安丸の進路を避けることができないまま続航した。

A指定海難関係人は、14時04分前示2そう船曳網漁船を左舷側に替わすよう15度右転して297度の針路に転じて間もなく、船首少し右至近に迫った幸安丸を初めて認め、衝突の危険を感じ、急いで右舵一杯をとったが及ばず、14時05分神戸港第7防波堤西灯台から183度6.1海里の地点において、報湾丸は、297度を向いたまま、原速力で、その船首が幸安丸の左舷船尾部に前方から46度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力1の西風が吹き、潮候は下げ潮の末期であった。
B船長は、食事を終え自室で関係先との連絡を済ませたのち、大阪湾の船舶の輻輳する海域を航行中であったので、昇橋して様子を見ようと船尾甲板から左舷側の梯子(はしご)を上り、操舵室左舷ウイングに行き周囲を見回したとき突然衝撃を感じ、他船との衝突を知り、事後の措置に当たった。
また、幸安丸は、小型底引き網漁業に従事するFRP製漁船で、船長Cと甲板員2人が乗り組み、操業の目的で、船首尾とも0.5メートルの喫水をもって、同日06時30分大阪府泉佐野市佐野漁港を発し、神戸港沖合の漁場に至って操業したのち、かにやえびなどを漁獲して操業を打ち切り、13時55分神戸港第7防波堤西灯台から191度4.5海里の地点を発して帰航の途についた。

発進時、C船長は、針路を佐野漁港に向かう163度に定め、機関を全速力前進にかけ、10.7ノットの対地速力で、船尾甲板上のウインチ付近に設置された操縦装置を使用して見張りと操船に当たって、また甲板員2人がそれぞれ船首甲板の清掃と船尾甲板に揚げた漁網の水洗い作業にそれぞれ従事して進行した。
C船長は、13時58分半神戸港第7防波堤西灯台から187度5.0海里の地点に達したとき、左舷船首29度2.0海里のところに、自船の前路を右方に横切る報湾丸が存在し、その後その方位がほとんど変わらず、衝突のおそれがある態勢で接近していたが、警告信号を行わず、間近に接近したとき機関を停止するなど衝突を避けるための協力動作をとることなく続航中、幸安丸は、原針路、原速力のまま前示のとおり衝突した。
衝突の結果、報湾丸は船首部に擦過傷を生じたのみであったが、幸安丸は船尾付近で分断され、C船長(昭和16年9月13日生、一級小型船舶操縦士免状受有)が海上に投げ出されて溺死し、甲板員Dが2箇月の加療を要する頭部及び下半身打撲、また甲板員Eが2箇月の加療を要する全身打撲をそれぞれ負い、船体はのち廃船とされた。


(原因)
本件衝突は、大阪湾において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれがある態勢で接近中、報湾丸が、見張り不十分で、前路を左方に横切る幸安丸の進路を避けなかったことによって発生したが、幸安丸が、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。


(指定海難関係人の所為)
A指定海難関係人が、単独で船橋当直に当たり、大阪湾を明石海峡に向け西行中、見通しの悪い右舷船首方の見張りを適切に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
A指定海難関係人に対しては、その後報湾丸において船橋当直を常時2人体制として見張りを強化したうえ、同人も操舵室内を移動するなと適切な見張りを行うよう努めていることに徴し、勧告しない。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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