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1999年(平成11年)

平成11年門審第33号
    件名
漁船第八盛隆丸貨物船アイシャ衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年10月28日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

宮田義憲、阿部能正、平井透
    理事官
喜多保

    受審人
A 職名:第八盛隆丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
ア号・・・・左舷側船首外板にわずかな凹損を伴う擦過傷
盛隆丸・・・船首部を大破

    原因
盛隆丸・・・動静監視不十分、横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
ア号・・・・横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、第八盛隆丸が、動静監視不十分で、前路を左方に横切るアイシャの進路を避けなかったことによって発生したが、アイシャが、衝突を避けるための協力動作が適切でなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年3月30日07時40分
玄界灘沖ノ島南方沖合
2 船舶の要目

船種船名 漁船第八盛隆丸 貨物船アイシャ
総トン数 19トン 2,847.00トン
全長 96.47メートル
登録長 19.89メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,912キロワット
漁船法馬力数 190

3 事実の経過
第八盛隆丸(以下「盛隆丸」という。)は、いか一本釣り漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人ほか1人が乗り組み、操業の目的で、船首0.60メートル船尾1.80メートルの喫水をもって、平成10年3月28日13時00分福岡県博多漁港を発し、沖ノ島北方沖合15海里ばかりの漁場に向かい、いか1トンを獲て、翌々30日05時40分沖ノ島灯台から016度(真方位、以下同じ。)10.0海里の地点を発進し、帰途に就いた。
A受審人は、発航とともに単独で操舵、操船にあたり、針路を175度に定めて自動操舵とし、機関を10.5ノットの全速力前進にかけ、折からの東方への潮流によって左方へ2度圧流されながら10.4ノットの対地速力で進行した。
A受審人は、07時24分沖ノ島灯台から149度9.7海里の地点に達したとき、右舷船首40度4.0海里のところにアイシャ(以下「ア号」という。)を初めて視認し、4.0海里レンジとしたレーダー画面で同船の映像を簡易型衝突予防装置によってプロットしたものの、これを一瞥しただけで、操舵室と同室後部の自室との間にある蛇腹式カーテンを開けて床に座り、右舷側の壁に背をもたれ左舷側を向いてテレビを見始めた。

A受審人は、07時30分沖ノ島灯台から151度10.6海里の地点に達したとき、前路を左方に横切るア号が右舷船首40度2.4海里に接近し、その後その方位がほとんど変わらず、衝突のおそれがある態勢で接近したが、先にプロットしたとき、同船の進行方向を示す矢印が自船のわずか船尾後方に向かって出ていたところから、ア号が自船の船尾を通過するものと思い、その動静を十分に監視することなく、テレビに見入っていてこれに気付かず、同船の進路を避けないまま進行した。
A受審人は、07時35分ア号が右舷船首41度1.1海里に接近したとき、ふと同船の動静が気になって立ち上がり、正船首方だけを一瞥してア号を認めなかったところから、その接近に気付かず、依然として同船の進路を避けないまま進行中、07時40分沖ノ島灯台から154度12.2海里の地点において、盛隆丸は、原針路、原速力のまま、その右舷船首がア号の左舷側船首部に後方から50度の角度で衝突した。

当時、天候は曇で風力5の北風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、視界は良好であった。
また、ア号は、船尾船橋型貨物船で、フィリピン人船長B及び一等航海士Cほかフィリピン人15人が乗り組み、原木3,291トンを載せ、船首4.65メートル船尾5.33メートルの喫水をもって、同月19日23時18分ブルネイ・ダルサラーム国タンジュンサリロン港を発し、鳥取県境港に向かった。
C一等航海士は、同月30日04時00分若宮灯台から262度11海里ばかりの地点で前直の二等航海士から当直を引き継ぎ、操舵手に補佐させて当直に就き、同時30分同灯台から286度6.2海里の地点において、針路を073度に定めて自動操舵とし、機関を10.4ノットの全速力前進にかけ、順流に乗じ10.8ノットの対地速力で進行した。
C一等航海士は、07時30分沖ノ島灯台から162度11.8海里の地点に達したとき、操舵手からの報告によって左舷船首38度2.4海里のところに前路を右方に横切る盛隆丸を初認し、同船を監視しながら進行したところ、その後その方位がほとんど変わらず、自船を避航する気配がないまま接近し、衝突のおそれがあると認め、同時35分少し前、盛隆丸に対して短音5回の警告信号を行った。

C一等航海士は、盛隆丸の避航を期待して同船を見守ったものの、なおも同船に避航の動作が認められないまま接近し、07時35分盛隆丸が左舷船首37度1.1海里となったのを認め、自船の操縦性能が悪いうえ満載伏態で操縦性能がさらに悪化していることを考慮して、衝突を避けるための協力動作をとることとしたが、機関を停止するなど協力動作を適切に行うことなく、右転によって替わすこととし操舵手に手動操舵に切り替えるよう指示し、釧路を105度に転じるよう令した。
C一等航海士は、07時38分針路が105度となったものの、盛隆丸が左舷船首60度600メートルに迫り、衝突の危険を感じて引き続き急いで130度とするよう令したが及ばず、ア号は、右転回頭中、125度を向いたとき、ほぼ原速力のまま、前示のとおり衝突した。
B船長は、衝突を知り、直ちに昇橋して事後の措置にあたった。

衝突の結果、ア号は左舷側船首部外板にわずかな凹損を伴う擦過傷を生じただけであったが、盛隆丸は船首部を大破し、のち修理された。

(原因)
本件衝突は、沖ノ島南方沖合において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれがある態勢で接近中、盛隆丸が、動静監視不十分で、前路を左方に横切るア号の進路を避けなかったことによって発生したが、ア号が、衝突を避けるための協力動作が適切でなかったことも一因をなすものである。


(受審人の所為)
A受審人は、沖ノ島南方沖合を漁場から博多漁港に向け帰航中、ア号を視認した場合、同船と衝突するおそれがあるかどうかを判断できるよう、動静を十分に監視すべき注意義務があった。しかしながら、同人は、レーダー画面で同船の映像を簡易型衝突予防装置によってプロットしたとき、同船の進行方向を示す矢印が自船のわずか船尾後方に向かって出ていたところから、ア号が自船の船尾を通過するものと思い、その動静を十分に監視しなかった職務上の過失により、ア号の進路を避けないまま進行し、同船との衝突を招き、盛隆丸の船首部を大破し、ア号の左舷側船首部外板に凹損を伴う擦過傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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