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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年7月7日07時17分 福島県小名浜港南東方沖合 2 船舶の要目 船種船名
油送船廣洋丸 貨物船第六勇進丸 総トン数 986トン 454トン 全長 81.52メートル 74.89メートル 機関の種類
ディーゼル機関 ディーゼル機関 出力 1,323キロワット
882キロワット 3 事実の経過 廣洋丸は、航行区域を沿海区域とする鋼製油送船で、A、B両受審人ほか7人が乗り組み、C重油約2,000キロリットルを積載し、船首4.4メートル船尾5.1メートルの喫水をもって、平成9年7月6日12時30分千葉港を発し、函館港に向かった。 ところで、A受審人は、自らが0時から4時までの、B受審人が4時から8時までの、一等航海士が8時から0時までの船橋当直をそれぞれ行い、B受審人と一等航海士にはそれぞれ甲板員を付けて2人当直としたが、乗組員のうち2人が休暇下船していたところから、自らは単独の船橋当直を行って運航に当たっていた。 翌7日04時00分A受審人は、磯埼灯台から114度(真方位、以下同じ。)20.4海里の地点に達したとき、針路を006度に定め、機関を全速力前進にかけて10.2ノットの対地速力とし、次直のB受審人に針路及び速力などを引き継ぎ、降橋して自室で書類の整理を行っていたところ、05時10分ごろ磯埼灯台から070度20海里ばかりの地点に達したとき、霧のため視界が悪くなってきたのに気付き、再び昇橋して操船の指揮にあたり、その後、視程が200メートル以下と狭められる状況となったものの、レーダー画面上に認めた数隻の反航船をB受審人が操舵のみで順繰り無難に替わしていたので、霧中信号を吹鳴することも、主機駆動発電機から補機駆動発電機に切り替えて安全な速力に減じることもなく続航した。 06時50分ごろA受審人は、大津岬灯台から119度14.8海里の地点に達したとき、視程が更に狭められる状況となったが、16キロメートルレンジとしたレーダーの画面に他船の映像を認めなかったうえ、当直中のB受審人の操船技量から判断して、しばらくの間なら船橋を離れても大丈夫と思い、著しく接近する態勢の他船のレーダー映像を認めたときには、その旨を直ちに知らせるよう指示することなく、食事をとるため降橋したところ、朝食の支度がまだできていなかったので、取りあえず自室で書類の整理を始めた。 A受審人が降橋して間もない06時54分ごろB受審人は、レーダーで右舷船首3度8海里ばかりに第六勇進丸(以下「勇進丸」という。)のレーダー映像を初認し、その動向を確かめて同船が反航船であることが分り、同時56分少し前大津岬灯台から115.5度14.5海里の地点に達し、同船のレーダー映像を右舷船首2度7.5海里のところに認めるようになったが、霧中信号を行えば休息中の乗組員を起こすことになるので、大きく右転し、互いに左舷を対して航過すれば大丈夫と思い、霧中信号を行うことも、主機駆動発電機を補機駆動発電機に切り替えて安全な速力に減じることもせず、針路を右に転じて024度の針路で進行した。 07時11分B受審人は、大津岬灯台から106度14.7海里の地点に達したとき、勇進丸を左舷船首23度2海里に認め、その後、方位の変化が少なく同船と著しく接近することを避けられない状況となったが、その旨をA受審人に報告しないまま、大角度の右転をしたことから操舵だけで互いに左舷を対して替わせるものと思い、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを停止することもなく続航した。 07時15分B受審人は、勇進丸と航過距離を拡げるつもりで、針路を032度に転じて進行中、同時16分少し過ぎ同船のレーダー映像が急速に左舷間近に迫ってきたので、急いで操舵を手動に切り替えて右舵10度をとったものの、ほどなく同船の船体を視認し、その視認模様から右転を続けることは危険と判断し、左舵一杯、続いて機関停止としたが、及ばず、07時17分大津岬灯台から102度14.9海里の地点において、ほぼ原速力のまま、廣洋丸の船首が050度に向いたとき、勇進丸の右舷外板中央部にほぼ直角に衝突した。 当時、天候は曇で風力2の南南西風が吹き、視程は約200メートルであった。 A受審人は、食事中、消灯したことから不審に思い、甲板上に出て勇進丸との衝突の事実を知り、船首部に赴いて衝突箇所を確認したのち、同船の乗組員全員を救助するなどの事後処置にあった。 また、勇進丸は、航行区域を沿海区域とする鋼製貨物船で、C、D両受審人ほか3人が乗り組み、石灰石約1,120トンを積載し、船首3.04メートル船尾4.20メートルの喫水をもって、同年7月6日09時45分青森県八戸港を発し、京浜港に向かった。 ところで、C受審人は、半月ほど前臨時に乗船してきたD受審人と次席一等航海士の3人で単独4時間の船橋当直を行っていたが、D受審人は他社で船長職を執っていたと聞いたことから、操船については同人に任せておいても大丈夫と思い、同人に対し、当直中に霧が発生して見通しが悪くなったら知らせることなどの船長としての指示を何ら行うことなく船橋当直にあたらせていた。 翌7日03時45分ごろD受審人は、塩屋埼灯台から031度31.6海里ばかりの地点に達したとき、次席一等航海士から船橋当直を引き継ぎ、その後、同灯台に接近するにつれ、霧のため視界が著しく妨げられる状況となったが、その旨をC受審人に報告しないまま、周囲に他船を認めなかったところから、霧中信号を行わず、24マイルレンジとしたレーダーで周囲の状況を確認しながら航行を続けた。 06時20分D受審人は、塩屋埼灯台から102度6.3海里の地点に達したとき、針路を185度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけて12.3ノットの対地速力で進行し、同時45分大津岬灯台から077.5度14.8海里の地点に達したとき、右舷船首3度11.4海里のところに廣洋丸のレーダー映像を初認し、07時00分同映像を右舷船首2度6海里に認めるようになったとき、霧中信号を行うことも安全な速力に減じることもせず、右舷船首約30度5.5海里ばかりのところに、動静が判然としない第三船が存在していたことから、廣洋丸と互いに右舷を対して航過しようと思い、5度左転し、180度の針路として続航した。 07時11分D受審人は、大津岬灯台から098度14.3海里の地点に達したとき、廣洋丸との方位変化がほとんど認められないまま、同船をほぼ正船首2海里に認め、その後、同船と著しく接近することを避けられない状況となったが、依然として互いに右舷を対して航過しようと思い、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを停止することもなく、5度の左転を2回繰り返し、針路を170度に転じて進行した。 07時15分わずか前D受審人は、更に左転し、針路を140度として続航中、同時17分わずか前前路至近に廣洋丸を視認し、慌てて左舵一杯、機関停止としたが、及ばず、同一針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。 C受審人は、衝突の衝撃を感じ、甲板上に出て状況を確かめ、沈没のおそれがあると判断し、救命艇を降下するなどの事後処置にあたった。 衝突の結果、廣洋丸は、船首部を圧壊し、のち修理されたが、勇進丸は、右舷側中央部外阪に破口を生じて浸水し、乗組員全員が船外に脱出したあと衝突地点付近で沈没した。また、勇進丸の乗組員は全員廣洋丸に救助された。
(原因) 本件衝突は、視界が著しく制限された福島県小名浜港南東方沖合において、南下中の勇進丸が、霧中信号を行うことも安全な速力とすることもせず、ほぼ正船首に反航する廣洋丸のレーダー映像を探知したのち、小角度の左転を繰り返したばかりか、同船と著しく接近することが避けけられない状況となったとき、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて停止しなかったことによって発生したが、北上中の廣洋丸が、霧中信号を行うことも安全な速力とすることもせず、ほぼ正船首に反航する勇進丸のレーダー映像を探知したのち、同船と著しく接近することが避けられない状況となったとき、速力を針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて停止しなかったことも一因をなすものである。 勇進丸の運航が適切でなかったのは、船長の船橋当直者に対する視界制限時の報告についての指示が十分でなかったことと、船橋当直者の視界制限時の報告及び操船が適切でなかったこととによるものである。 廣洋丸の運航が適切でなかったのは、船長の船橋当直者に対する視界制限時の報告についての指示が適切でなかったことと、船橋当直者の視界制限時の報告及び操船が適切でなかったこととによるものである。
(受審人の所為) D受審人は、視界制限状態の福島県小名浜港南東方沖合を南下中、ほぼ正船首に著しく接近する態勢で反航する廣洋丸のレーダー映像を認めた場合、同船との方位変化がほとんど認められなかったのであるから、著しく接近することのないよう、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを停止すべき注意義務があった。しかるに、同人は、右舷船首方の第三船に気をとられ、小角度の左転を繰り返すだけで、廣洋丸と互いに右舷を対して航過しようと思い、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを停止しなかった職務上の過失により、全速力で進行して廣洋丸との衝突を招き、廣洋丸の船首部を圧壊し、自船を沈没させるに至った。 以上のD受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。 B受審人は、視界制限状態の福島県小名浜港東方沖合を北上中、ほぼ正船首に著しく接近する態勢で反航する勇進丸のレーダー映像を認めた場合、右方に転針後も同船との方位変化がほとんと認められなかったのであるから、著しく接近することのないよう、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを停止すべき注意義務があった。しかるに、同人は、右方に20度近く転舵しているので、接近しても操舵だけで互いに左舷を対して安全に航過できるものと思い、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを停止しなかった職務上の過失により、全速力のまま、勇進丸に接近して同船との衝突を招き、同船を沈没させ、自船の船首部を圧壊するに至った。 以上のB受審人の所為に対しては海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 A受審人が、視界制限状態において、食事のためにいったん降橋する際、B受審人に対し、著しく接近する態勢の他船のレーダー映像を認めたときには、その旨を直ちに報告するよう指示しなかったことは、本件発生の原因となる。 しかしながら、このことは、A受審人が船橋当直を終えた後も霧の発生を認めて再び昇橋し、自ら操船の指揮を執り、当直者の技量を確かめたうえ、レーダーで周囲の状況を確認してから、降橋していた点に徴し、A受審人の職務上の過失とするまでもない。 C受審人が、D受審人に対し、霧が発生して見通しが妨げられるような状況となったときには、その旨を直ちに報告するように指示しておかなかったことは、本件発生の原因となる。 しかしながら、このことは、D受審人が船長経験のある乗組員であった点に徴し、C受審人の職務上の過失とするまでもない。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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