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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年8月23日05時18分 和歌山県串本港 2 船舶の要目 船種船名
漁船宝漁丸 プレジャーボート(船名なし) 総トン数 5.8トン 全長 14.40メートル 7.55メートル 機関の種類
ディーゼル機関 漁船法馬力数
90 3 事実の経過 宝漁丸は、船体中央部に船橋を設けたFRP製漁船で、A受審人が単独で乗り組み、一本釣りの出漁に先立ち、同人の妻及び妹を和歌山県串本港内北部の串本新港に送り届けるために乗せ、船首0.3メートル船尾1.5メートルの喫水をもって、平成9年8月23日04時55分同県大島の須江漁港を発し、串本新港に向かった。 A受審人は、大島と苗我島との間の水道(以下「苗我島水道」という。)を通航して串本港内を北上し、05時11分串本新港の防波堤入口で機関を一時停止のうえ、かせ船と称する釣船を横抱きして出航する漁船の通過を待ち、やがて着岸した同港のフェリー発着所で同乗者を下船させ、同時13分同水道経由で須江漁港沖合の漁場に向けて出航した。 ところで、苗我島水道は、串本港の南側出入口で、港界付近の水道北口中央には中瀬と称する水深7メートルの浅所が存在し、総トン数499トン以上の船舶の通航は困難であるが、地元漁船及び港内に避泊する船舶の通航路となっており、可航幅が100メートルばかりと狭いうえ、時には強潮流があり、中瀬付近を含め水道にかせ船を錨泊させると、船舶交通の妨げとなるおそれがあった。 A受審人は、串本新港の出航時から手動操舵に当たり、機関を回転数毎分800の微速力前進にかけ、7.0ノットの対地速力(以下、速力は対地速力である。)で、右舷側にある養殖施設を適宜離して串本港内を南下し、05時15分半串本港北防波堤灯台(以下「北防波堤灯台」という。)から016度(真方位、以下同じ。)580メートルの地点に達したとき、針路を苗我島水道の北口に向けて146度に定め、操舵室の右舷側に次いで左舷側から外に出て前方を見たが、他船を認めなかった。 そしてA受審人は、これより先、苗我島水道を通航した際、そこにかせ船を見掛けなかったこともあり、前路には障害となる他船はいないと思って操舵室に戻り、05時16分少し前機関を回転数毎分1,700の半速力前進にかけたところ、船首が浮上して操舵室内からの前方見通しが悪くなる状態となったが、15.0ノットの速力で航行中の動力船の灯火を掲げて進行した。 05時17分日出間近の薄明時でかなり明るくなっていたとき、A受審人は、正船首460メートルに船首を西方に向けて錨泊中のプレジャーボート(船名なし、以下「B丸」という。)を視認することができ、衝突のおそれがあることが分かる状況であったが、操舵室の床面上高さ80センチメートルの踏み台に立ち上がって天窓から顔を出すなど、死角を補う見張りを行うことなく、同室中央で床面に立ち、舵輪を握って操舵していたことから、船首の死角に入ったB丸を視認することができず、速やかに同船を避けないで続航した。 A受審人は、05時18分わずか前、右舷前方の海面が波立っているのを認めて不安を感じ、踏み台に立って天窓から顔を出したとき、船首至近にB丸を初めて視認し、直ちに左舵一杯をとったが効なく、05時18分北限皮堤灯台から116度890メートルの地点において、宝漁丸は、原針路、原速力のまま、その船首がB丸の右舷側後部に前方から80度の角度で衝突し、これを乗り切った。 当時、天候は晴で風力1の北風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、苗我島水道の最狭部には3ノットの南東流があり、視界が良く、日出は05時24分であった。 A受審人は、直ちに船尾錨索が外れたB丸に引き返し、事後の措置に当たった。 また、B丸は、無動力の和船型FRP製プレジャーボートで、船首尾とも0.15メートルの喫水をもって、B指定海難関係人が単独で乗り組む遊漁船第八あずま丸(以下「あずま丸」という。)によって引かれ、あずま丸には、航行中の動力船の灯火を掲げないで、釣客2人及び磯釣客1人を乗せ、同日05時00分串本新港を発し、苗我島水道北口付近の釣場に向かった。 ところで、B指定海灘関係人は、一級小型船舶操縦士の免状を受有し、釣客用のかせ船であるB丸及び同種の5隻ほか、これらを釣場へ引航したり、磯釣客を搬送するためのあずま丸を所有していた。そして、串本港内及びその付近の釣場において、かせ船が移動しないように、通常、船首及び船尾から錨をそれぞれ投錨のうえ釣客に釣りを行わせ、自身はかせ船にとどまらず、あずま丸で1時間半くらいの間隔で見回り、要すれば釣場を移動させることなどをする、通称かせ船業を営んでいるもので、平成6年以降、自身も含め、それぞれかせ船数隻を所有する地元の同業者10人が加入しているかせ釣り組合と称する団体に所属していた。 同団体は、定款がないものの代表者を選出し、加入者が毎年数回会合のうえ、かせ船業の情報交換及び申合せを行い、かせ船が錨泊中は航行中の船舶から識別が容易なように赤色の小旗を掲げることや、苗我島水道における錨泊を自粛することなどを取り決めていた。 しかし、05時12分B指定海難関係人は、あずま丸を操船して衝突地点に到着したとき、そこが苗我島水道の北口で、串本港に出入りする船舶の航海路にあたり、B丸を錨泊させると、前示の取決めに反するばかりでなく、船舶交通の妨げとなるおそれがあったが、同地点における錨泊を取り止めることなく、よく釣れる場所であることから、自身の判断で投錨作業に取り掛かり、その船首及び船尾から重さ各15キログラムの錨を水深36メートルの海底に投じ、それぞれ直径15ミリメートルのナイロン製の錨索を70メートル延出し、たい釣りを行わせるため、釣客2人を同船に移乗させた。 05時15分B指定海難関係人は、B丸の投錨作業を終えたころ、まだ日出前であったが、同船に灯火の設備がなく、錨泊中の灯火を掲げなかった。また、取決めにより掲げることになっている赤色の小旗をB丸に掲げず、1時間半ないし2時間後に戻ることとし、磯釣客1人を搬送するため、あずま丸を操船して大島北西端にある金山付近の磯に向かった。 その後、B丸は、船首が246度を向き、南東に流れる潮流を右舷側から受け、右舷船首及び右舷船尾に錨索が張った状態で錨泊中、釣客2人が胴の間に船なりに置かれた長いすの船首側及び船尾側に、それぞれ左舷方を向いて腰を掛け、釣竿を舷外に出して釣りをしていたところ、05時18分わずか前釣客の1人が宝漁丸の機関音を聞き、右舷側を振り向いたとき、至近に迫った同船を初めて視認し、その直後に前示のとおり衝突した。 B指定海難関係人は、あずま丸により目的地で磯釣客の磯度しを行い、しばらく現場にとどまった後、串本新港に向けて航行中、携帯電話で自宅からB丸が衝突したことを知らされ、事後の措置に当たった。 衝突の結果、宝漁丸は、船底板に長さ10メートルにわたりペイント剥離を伴う擦過傷を生じたのみであったが、B丸は、右舷後部の外板及び船底に破口を伴う亀裂を生じ、船尾のたつが折れてこれに係止していた錨索を失ったほか、船尾に設置した箱型の便所が税落したが、のち修理された。そして、B丸の船尾側にいた釣客C(昭和28年11月5日生)が海中に投げ出されて左大腿に挫傷を負い、宝漁丸により串本新港近くの病院に搬送され、その後、他の病院に移って治療中のところ、敗血症により死亡した。 また、B指定海難関係人は、本件後、かせ釣り組合が苗我島水道及びその付近における投錨禁止区域を明確に定めたことを受け、同区域内にかせ船を錨泊させないこととした。
(原因) 本件衝突は、日出間近の薄明時、串本港において、宝漁丸が、見張り不十分で、錨泊中のB丸を避けなかったことによって発生したが、B丸が、船舶交通の妨げとなる水域で錨泊したことも一因をなすものである。
(受審人等の所為) A受審人は、日出間近の薄明時、串本港において、串本新港から苗我島水道に向けて航行する場合、船首が浮上して船首方に死角が生じ、操舵室内から前方の見通しが悪い状態であったから、前路に錨泊中のB丸を見落とさないよう、操舵室の踏み台に立ち上がって天窓から顔を出すなど、死角を補う見張りを行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、定針直後に操舵室両側の外に出たとき、前路に他船を認めなかったことから、障害となる他船はいないと思い、死角を補う見張りを行わなかった職務上の過失により、前路に錨泊中のB丸を視認することができず、同船を避けないで衝突を招き、宝漁丸の船底外板に擦過傷を、B丸の右舷後部の外板及び船底に破口を伴う亀裂をそれぞれ生じさせるとともに、同船釣客の左大腿に挫傷を負わせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 B指定海難関係人が、日出間近の薄明時、串本港において、船舶交通の妨げとなる苗我島水道北口の水域でB丸を錨泊させたことは、本件発生の原因となる。 B指定海難関係人に対しては、本件後、同人が同水域におけるB丸を含むかせ船の錨泊を取り止めている点に徴し、勧告しない。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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