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1999年(平成11年)

平成10年広審第32号
    件名
貨物船ティー・エイ・エクスプローラ
貨物船ウーヤンフレンド衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年11月30日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

釜谷奨一、杉崎忠志、織戸孝治
    理事官
前久保勝己

    受審人
A 職名:ティー・エイ・エクスプローラ水先人 水先免状:内海水先区
    指定海難関係人

    損害
エ号・・・左舷側前部及び同舷側後部凹損
ウ号・・・舷船首部及び同舷側後部凹損

    原因
ウ号・・・動静監視不十分、横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
エ号・・・横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、ウーヤンフレンドが、動静監視不十分で、前路を左方に横切るティー・エイ・エクスプローラの進路を避けなかったことによって発生したが、ティー・エイ・エクスプローラが衝突を避けるための適切な協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年4月8日23時25分
瀬戸内海備後灘
2 船舶の要目
船種船名 貨物船ティー・エイ・エクスプローラ 貨物船ウーヤンフレンド
総トン数 17,101トン 1,545トン
全長 187.40メートル 79.10メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 6,451キロワット 1,241キロワット
3 事実の経過
ティー・エイ・エクスプローラ(以下「エ号」という。)は、船尾船橋型の鋼製コンテナ船で、船長Bほか21人並びに内海水先区水先人C及びA受審人が、乗り組み、コンテナ221個8,186トンを積載し、船首6.20メートル船尾7.55メートルの喫水をもって、平成9年4月8日17時48分広島県広島港を発し、法定灯火を表示して大阪港に向かった。

22時50分A受審人は、三原瀬戸を航過し終えたとき船首の見張り要員の配置を解き、同瀬戸東口にある百貫島灯台の東方約2.5海里にわたって設置された定置網の北側を迂回(うかい)しながら備後灘に入り、その後、南東進して海図記載の備後灘推薦航路に向けて航行することにした。
A受審人は、23時15分百貫島灯台から104度(真方位、以下同じ。)4.8海里の地点に達したとき、針路を140度に定めて操舵を手動とし、機関を全速力前進にかけて14.9ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行した。
23時17分A受審人は、百貫島灯台から107度5.2海里の地点に達したとき、左舷船首21度2.4海里のところに、ウーヤンフレンド(以下「ウ号」という。)の表示する白、白、緑3灯を認め、念のため、機関用意とし、13.9ノットの速力に減じ、同船に対する動静を監視しながら続航した。

23時20分A受審人は、百貫島灯台から111度5.8海里の地点に達したとき、ウ号を左舷船首20度1.5海里に認めるようになったころ同船が減速し、このころから、方位の変化がなくなり、前路を右方に横切り、衝突のおそれのある態勢となって接近するのを認めた。
A受審人は、その後、ウ号が、依然、避航する気配のないまま接近することから、衝突の危険を感じ、ウ号に避航を促すため、発光信号による注意喚起信号に引き続き、警告信号を数回繰り返し行ったのでいずれ自船に気付き、相手船が避航動作を行うものと思い、なおも接近する同船に対し、適切な協力動作をとることなく進行中、同時23分ごろ約1,000メートルに迫った同船を認めて驚き、B船長とほぼ同時に機関停止、右舵一杯を令したが及ばず、23時25分百貫島灯台から116度6.8海里の地点で、230度に向首したとき、残存速力約8ノットでエ号の左舷側前部にウ号の右舷船首部が後方から10度の角度をもって衝突し、その後、一旦離れた船体が慣性回頭中、再度両船の船尾が衝突した。

当時、天候は曇で風はほとんどなく、潮流は憩流時であった。
また、ウ号は、船尾船橋型の鋼製貨物船で、船長Dほか10人が乗り組み、空倉のまま、同日15時30分大阪港堺泉北区を発し、大韓民国クワンヤン港に向かった。
D船長は、幾度も瀬戸内海を航行したことがあり、日没後は法定灯火を表示して明石海峡を通航し、備讃瀬戸を航過して備後灘に入り、海図記載の推薦航路をこれに沿って西行した。
23時05分D船長は、百貫島灯台から102度9.5海里の地点に達したとき、針路を253度に定めて操舵を手動とし、機関を全速力前進にかけて12.0ノットの速度で進行した。
23時15分D船長は、百貫島灯台から108度7.9海里の地点に達したとき、右舷船首45度3.1海里のところに、エ号の表示する白、白、紅3灯を初めて視認し、このころ右舷側方を見渡したところ正横付近数百メートルのところから右舷前方にかけて自船の針路とほぼ平行して定置網のものと思われる多数の灯火を認めた。

23時20分D船長は、百貫島灯台から113度7.2海里の地点に達したとき、エ号の灯火を右舷船首47度1.5海里のところに認めるようになり、同船との距離を離そうとしたものの、右転すれば前示定置網に、左転すれば推薦航路の南側に進出して、同航路を東航中の他船に接近することから機関を7.0ノットの微速力前進としたところ、このときからエ号との方位の変化がなくなり、同船が前路を左方に横切り衝突のおそれのある態勢となって接近した。
D船長は、その後、エ号が方位の変化のないまま接近するのを認め得る状況となったが、自船が減速したことから、エ号は自船の前方を無難に替わるものと思い、同船に対する動静を十分に監視することなく、直ちに、機関を停止するなどして、その進路を避けないまま続航した。
23時24分D船長は、エ号が至近に迫ったのを認めて驚き、あわてて左舵15度をとり、機関を全速力後進としたが及ばず、ウ号は240度を向首したとき前示のとおり衝突した。

衝突の結果、エ号は左舷側前部及び同舷側後部に、ウ号は右舷船首部及び同舷側後部にそれぞれ凹損を生じた。

(原因)
本件衝突は、夜間、瀬戸内海備後灘において、西行するウ号が、エ号に対する動静監視が不十分で、前路を左方に横切るエ号の進路を避けなかったことによって発生したが、南下中のエ号が、衝突を避けるための適切な協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。


(受審人の所為)
A受審人は、夜間、瀬戸内海備後灘を南下中、方位の変化のないまま前路を右方に横切り、衝突のおそれのある態勢で接近するウ号を認め、同船に避航の気配が認められない場合、協力動作をとる時機が遅きに失しないよう、適切な協力動作を行うべき注意義務があった。しかるに同人は、間近になれば、ウ号が自船の警告信号に気付き、いずれ避航動作をとるものと思い、なおも接近する同船に対し、適切な協力動作をとらなかった職務上の過失により、ウ号との衝突を招き、エ号の左舷側前部及び同舷側後部に、ウ号の右舷船首部及び同舷側後部にそれぞれ凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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