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1999年(平成11年)

平成11年横審第78号
    件名
漁業監視船はまかぜ防波堤衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年11月26日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

西村敏和、猪俣貞稔、吉川進
    理事官
小金沢重充

    受審人
A 職名:はまかぜ船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
船首部及び両舷推進器などを大破、船長が左足関節内果骨折など約2箇月の入院加療を要する重傷、乗組員及び同乗者が、脳挫傷により死亡

    原因
船位確認不十分

    主文
本件防波堤衝突は、船位の確認が十分でなかったことによって発生したものである。
受審人Aの一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年5月19日22時56分
千葉県銚子漁港
2 船舶の要目
船種船名 漁業監視船はまかぜ
総トン数 7.9トン
全長 12.50メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 397キロワット
3 事実の経過
(1) はまぐり密漁船の監視警戒業務
茨城県波崎漁港は、利根川河口の左岸に位置し、同川の左岸沿いに導流堤が築造されて、船だまりや水路となっているほか、鹿島灘に面した同漁港の北側海域には、東・西両防波堤などの外郭施設が築造されて各種の漁港施設が整備(以下「新港」という。)され、新港北方の同県鹿島郡波崎町地先では沿岸漁業が盛んで、はまぐりなどの好漁場となっていた。そして、茨城県波崎共栄漁業協同組合では、同町地先海面に漁業権を設定し、同海面において貝まき漁業によるはまぐり漁などを営んでいるが、夜間におけるはまぐりの密漁が後を絶たない状況にあったことから、自衛手段として漁業監視船を建造するとともに、平成2年には新港にレーダー施設及び同監視室を設置し、所属組合員による自主的な密漁船の監視警戒業務(以下「警戒業務」という。)

を行ってきた。しかしながら、近年、密漁船が高速化・悪質化したことに伴い、同海域における漁業被害が増大したため、地域漁業活性化構造改善事業の一環として、漁場管理施設の充実強化を図ることにし、国・県からの補助を受けて平成9年6月に高速漁業監視船はまかぜを新造するとともに、既設のレーダー施設等を活用し、レーダーによる密漁船の監視とはまかぜによる現場警戒との効果的な連携を図るなど、海陸両面から警戒業務を強化することにした。そのため、同組合では、8班から成る密漁監視班を組織して各班の輪番制で警戒業務に就くことにし、各班を6ないし7人の所属組合員で編成し、第7班は、班長BのもとA受審人及びC(以下「C班員」という。)のほか3人の班員が所属し、各班所定の警戒体制を執って、日没から翌未明にかけて警戒業務に当たり、レーダーによって密漁船らしき映像(以下「不審船」という。)を探知すると、はまかぜを現場海域に出動させ、監視室と密接に連絡をとりながら不審船の確認に当たることにしており、密漁船であることが判明した場合には、地先海面から退去させるなり、海上保安部に通報するなどの措置をとっていた。
(2) はまかぜの船体構造等
はまかぜは、船首甲板下に船室、船体中央部に操舵室及び船尾甲板下に機関室を配し、主機として米国キャタピラー社製の3116TA型と呼称するディーゼル機関2基を搭載した最高速力32.5ノットの軽合金製漁業監視船で、操舵室の右舷側に操縦席があり、操舵ハンドル及び主機遠隔装置のほか、同席前面の卓上にレーダー及びGPSプロッタが、同左舷側は見張席として、探照灯の遠隔操作装置及び魚群探知機がそれぞれ装備され、前面の窓ガラスは3面あって、いずれも旋回窓が取り付けられていた。

(3) 衝突に至る経緯
はまぐり密漁監視班第7班のB班長は、平成10年5月19日の日没から翌20日未明にかけて、同班による警戒業務に当たることにし、3人ずつ2直に分け、交替時刻を23時00分とする2交替制として、前半を自らとA受審人及びC班員の3人が同業務に就くことにし、その旨を各班員に連絡した。
連絡を受けたA受審人は、これまで警戒業務中にレーダーで不審船を探知した場合は、1人が監視室でレーダー監視に当たり、他の2人ではまかぜを運航することになり、離着岸作業などに人手が不足することがあったので、その手伝いと見張りの補助に充てるため、非組合員で知人のDに、はまかぜが出動する際は同乗するよう依頼し、自らは18時00分監視室に赴き、同時30分からB班長及びC班員とともに、レーダーで新港周辺海域の監視を始めた。
20時30分B班長らは、銚子港東防波堤川口灯台(以下「川口灯台」という。)から276度(真方位、以下同じ。)2,120メートルの地点に当たる、新港西防波堤北西海域に不審船を探知したので、とりあえず陸路で密漁船が出漁するおそれのある船だまりに赴いて、その動向を確認したが、いずれも在泊しており、出漁する気配もなかったので、監視室に戻って再び不審船の監視を続けていたところ、21時30分Dが同室に到着した。

B班長らは、依然として不審船が新港西防波堤北西海域に留まっていることなどから、密漁船である可能性が高いと判断し、23時の交替時刻まで1時間ばかりあるので、はまかぜで同船を確認することにし、21時55分A受審人、C班員及びDの3人が、利根川左岸の定係地に係留中のはまかぜに向かい、B班長が監視室で不審船の監視に当たった。
こうして、はまかぜは、A受審人が船長及びC班員が甲板員として2人が乗り組み、Dを同乗させ、レーダーで探知した不審船を確認する目的で、船首0.35メートル船尾0.90メートルの喫水をもって、平成10年5月19日22時10分前示定係地を発し、新港西防波堤北西海域に向かった。
A受審人は、自ら右舷側の操縦席に着き、船首死角は生じていなかったものの、前面の窓越しの見張りがしづらかったので、右側方の窓を開け、そこから顔を出して発航操船に当たり、C班員を見張りに就け、法定の灯火を表示し、レーダー及びGPSプロッタを作動させ、機関を微速力前進にかけて適宜の針路で手動操舵によって利根川を下り、22時20分銚子大橋を通過したところでC班員を操縦席に着かせて操船に当たらせ、D同乗者を左舷側の席に着かせて見張りを補助させ、自らは両席の間に立って操船を指揮し、徐々に増速しながら利根川の中央部を進行した。

ところで、A受審人は、長年漁業に従事していたので、漁船の操船に慣熟し、波崎、銚子両漁港及び付近海域の状況をよく知っており、また、はまかぜには、5ないし6回乗船して現場海域に出動した経験を有していたが、いずれもB班長が船長として乗り組み、自身は操縦席で操船していたものの、船長職を執ったことはなく、一方、C班員は、平成10年1月から漁業に従事するようになったばかりで、海技免状を受有していなかった。
22時33分A受審人は、銚子一ノ島灯台から270度350メートルの利根川を出たところで、27.0ノットに増速して新港東防波堤の北方に向け、同時35分東防波堤沖灯浮標の北方約200メートルの地点に達して減速し、新港西防波堤北西海域において不審船の捜索を始めた。
A受審人は、引き続きC班員に操船させ、自らはD同乗者と交替して左舷側の席に着き、探照灯を遠隔操作して付近の海面などを照射しながら、新港西防波堤に沿った海域を綿密に捜索したが、不審船の発見に至らず、22時53分反転して同防波堤沿いに北上し、監視室のB班長にその旨を報告したところ、不審船は銚子漁港に向けて南下したので同港内において確認に当たるようにとの指示を受けた。

銚子漁港は、利根川を挟んで波崎漁港の対岸に当たる、同川河口の右岸に位置し、鹿島灘に面した銚子漁港の北側海域には、銚子漁港東・西両防波堤をはじめ、西防波堤西端から南方に一ノ島防波堤が延び、更にそれに連なって同川右岸沿いに右岸導流堤などの外郭施設が築造されていた。その中で、東防波堤は、総延長が約3,700メートルにも達し、最北端には川口灯台(緑光)が設置され、そこからほぼ真南約200メートルのところで、くの字形に屈曲して南南東方に約100メートル延び、そこで東防波堤は南北に分かれて切り通しとなっており、また、東防波堤南側部分の北端には銚子港川口東突堤灯台(緑光)が、西防波堤東端には銚子港西防波堤灯台(赤光)がそれぞれ設置され、その間の開口部が、可航幅約170メートルの同漁港への主要な出入口(以下「北口」という。)となっていた。
A受審人は、北口から港内に入り、右岸導流堤内側の水路を経由して各船だまりで不審船の確認に当たることにし、22時54分川口灯台から292度1,600メートルの地点において、新港東防波堤沖灯浮標の北側を通過したところで、C班員に北口に向かうように指示し、機関回転数毎分2,500の全速力前進にかけて30.0ノットに増速し、徐々に右転して銚子一ノ島灯台(白光)を左舷船首に見て進行した。
A受審人は、北口付近から港内にかけては狭くて夜間の航行に危険なため、増速したのち直ちにC班員と交替して自ら操縦席に着いて操船に当たるつもりでいたところ、夜間のため対景が目視確認できないこともあって、北口までは時間的にも距離的にも十分に余裕があるものと思い、レーダーやGPSプロッタを活用して船位を十分に確認しなかったので、北口までの距離を確認することができず、早期に操船を交替せずに同班員に操船を任せたまま続航した。

22時55分A受審人は、川口灯台から264度860メートルの地点において、C班員と交替して操縦席に着こうとしたが、両席の間にD同乗者が立っていたため、狭い操舵室内での席の入れ替わりに手間取り、とりあえず北口に向けようとして操舵ハンドルに手を掛け、徐々に左転するうち、船首が東防波堤北側部分に向くようになり、同時55分半、同灯台から248度520メートルの地点に達したころ操縦席に着き、立ったまま針路を090度として進行していたとき、船首方向の東防波堤北側部分までの距離が460メートルとなり、銚子港西防波堤灯台を右舷船首48度470メートルに、銚子港川口東突堤灯台を同22度410メートルにそれぞれ視認できる状況で、減速して北口に向けて右転する地点に至っていたものの、回転針地点までは距離が十分にあるものと思い、依然としてレーダーを活用するなどして船位を十分に確認しなかったので、同転針地点に至っていることに気付かず、漫然と30.0ノットの高速で右転する時機を失したまま続航した。
A受審人は、東防波堤北側部分に向首したまま進行中、22時56分少し前、東防波堤に230メートルまで接近したところで、ようやく0.25海里レンジとしたレーダーで船位を確認しようとしたが、その暇もなく、同時56分川口灯台から183度210メートルの地点において、原針路、原速力のまま、はまかぜの船首が、東防波堤北側部分にほぼ直角に衝突した。
当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の末期で、視界は良好であった。
衝突の結果、はまかぜは、船首部及び両舷推進器などを大破し、A受審人は、左足関節内果骨折など約2箇月の入院加療を要する重傷を負い、C班員(昭和45年10月28日生)及びD同乗者(昭和46年1月22日生)は、いずれも脳挫傷により死亡した。


(原因)
本件防波堤衝突は、夜間、茨城県鹿島郡波崎町地先海面における密漁警戒業務に従事中、密漁監視用のレーダーで探知した不審船を確認するため、千葉県銚子漁港北口に向けて航行する際、船位の確認が不十分で、北口に向かう針路に転じることができないまま、高速で同漁港東防波堤に向首進行したことによって発生したものである。


(受審人の所為)
受審人Aは、夜間、茨城県鹿島郡波崎町地先海面における密漁警戒業務に従事中、密漁監視用のレーダーで探知した不審船を確認するため、千葉県銚子漁港北口に向けて航行する場合、レーダーを有効に活用するなどして船位を十分に確認すべき注意義務があった。しかしながら、同人は、北口に向けて右転する地点までは距離が十分にあるものと思い、レーダーを有効に活用するなどして船位を十分に確認しなかった職務上の過失により、北口に向かう針路に転じることができず、高速のまま漫然と同漁港東防波堤に向首進行して衝突を招き、はまかぜの船首部及び両舷推進器などを大破し、自らは左足を骨折するなどの重傷を負い、2人を死亡させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して、同人の一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。


よって主文のとおり裁決する。






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