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1999年(平成11年)

平成11年長審第13号
    件名
プレジャーボートエム・シー・エム・エー防波堤衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年10月26日

    審判庁区分
地方海難審判庁
長崎地方海難審判庁

原清澄、安部雅生、保田稔
    理事官
小須田敏

    受審人
A 職名:エム・シー・エム・エー船長 海技免状:四級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
右舷船首部を圧壊、のち廃船、同乗者1人が左上腕骨骨幹部骨折、右中足骨骨折、肋骨骨折で全治3箇月、1人が左上腕骨骨幹部骨折で全治3箇月、1人が外傷性脳挫傷、外傷性軸索損傷、外傷性くも膜下出血、全身打撲で全治2箇月、船長が肋骨骨折、外傷性気胸、顔面挫傷などで全治2週間の入院加療

    原因
エム・シー・エム・エー・・・港口付近の視認状況把握不良、船位確認不十分
R土木事務所・・・・・・・・情報収集対策不十分(簡易標識灯消灯のまま)

    主文
本件防波堤衝突は、港口付近の視認状況を把握しなかったばかりか、船位の確認が不十分であったことによって発生したものである。
R土木事務所が、所轄の防波堤に関する情報収集対策が十分でなかったことは本件発生の原因となる。
受審人Aの四級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年4月26日00時14分
長崎県長与港
2 船舶の要目
船種船名 プレジャーボートエム・シー・エム・エー
登録長 5.70メートル
機関の種類 電気着火機関
出力 66キロワット
3 事実の経過
エム・シー・エム・エー(以下「エム号」という。)は、船体のほぼ中央部右舷側に操縦席を設け、航行区域を限定沿海区域としたFRP製プレジャーボートで、レーダーを装備してなく、A受審人が1人で乗り組み、友人3人を同乗させ、長崎県大村湾内遊覧の目的で、船首0.5メートル船尾0.6メートルの喫水をもって、平成10年4月25日22時00分長崎県長与港に河口がある長与川沿いの係留地を発した。
ところで、長与港は、二島22メートル頂(以下「島頂」という。)から168度(真方位、以下同じ。)2.6海里ばかりの地点を甲点とすると、甲点から4度20メートルのところを東端とし、これから285度の方向へ150メートル延びる切れ波止と称する防波堤と、甲点から217度410メートルの地点を東端とし、これから277度の方向へ175メートル延びて斉藤郷埋立地に至る防波堤(以下「埋立地防波堤」という。)とで港口を形成し、夜間の航行船舶に対しては、指定海難関係人R土木事務所(以下「R事務所」という。)が切れ波止西端と埋立地防波堤東端に太陽電池を内蔵した光達距離5.5キロメートルの簡易標識灯をそれぞれ設置して同港の港口を明示し、同港の東側には船溜りや長与浄化センターがあって、夜間は多数の照明灯が点灯されていたものの、同年4月上旬ごろから埋立地防波堤東端の簡易標識灯が電池の寿命が切れるなどで消灯したままとなっていた。
一方、R事務所は、長崎市のほか長与町や時津町などの9町を管轄区域として、同区域に所属する港湾施設の維持管理にあたり、所轄の防波堤に設置した標識灯を自ら定期的に点検する余裕がなかったものの、地元の漁業協同組合などに同防波堤の標識灯に対する監視を依頼するなど所轄の防波堤に関する情報収集対策を十分にとっていなかったので、埋立地防波堤東端に設置した簡易標識灯が消灯している旨の情報が入手できず、同灯を消灯したままとしていた。
また、A受審人は、同年2月下旬に四級小型船舶操縦士の免許を取得したあとエム号を購入し、長与港での出入港経験が数回あったが、夜間の同港での出入港は今回が初めてであり、また、長与川の河口に構築された金比羅橋や導流堤に照明灯が、埋立地防波堤の東端に簡易標識灯がそれぞれ設置されていることは知っていたが、切れ波止に設置された簡易標識灯については設置位置をよく知らなかった。

発港後、A受審人は、長与川を下って導流堤を替わったころ、長与浄化センターや船溜りの照明灯などの明かりで埋立地防波堤の東端を視認し、同防波堤東端の簡易標識灯が消灯していることに気付き、その後、周囲の景色を見ながら沖合に向けて航行したが、帰港時は港の出入口付近の見え具合が逆光状態となって変化することを深く気に留めなかったので、後方の港口付近の視認状況を十分に把握しないまま、空港施設がある箕島一周の遊覧を終えたのち、23時56分ごろ島頂から040度3.1海里ばかりの地点で、自らは操縦席で立って操船にあたり、同乗者2人が操縦席の左方に立ち、他の1人が操縦席後方のさぶたに座った状態で、機関回転数を毎分4,500の全速力前進にかけて23.5ノットの速力とし、針路を南南西方に向けて帰途に就いた。
翌26日00時04分ごろA受審人は、甲点から002度2.1海里ばかりの地点に達したとき、自船の船位がはっきりしなくなったので、いったん一本松付近の沖合まで接近して見覚えのある灯火で船位を確認することにし、同時06分半甲点から016度1.2海里ばかりのところに至り、船位を確認したのち、機関回転数を毎分3,000に減じて12.5ノットの速力とし、時津町の老人ホームの明かりを船首目標としながら航行した。

00時12分半A受審人は、甲点から282度545メートルの地点に達したとき、針路を導流堤の照明灯と金比羅橋中央部付近の照明灯とをほぼ一線に見る149度に定め、同一速力のまま進行中、再び船位がはっきりしなくなったが、そのうち埋立地防波堤が前方に見えてくるものと思い、多数の照明灯が点灯した長与浄化センターに接近し、いったん機関を停止して周囲の物標を確かめるなどの船位の確認を十分に行うことなく、周囲を見回しながら続航した。
00時14分わずか前A受審人は、埋立地防波堤が依然として見えてこないものの、同防波堤に接近してきたものと思い、機関回転数を毎分2,000に下げて間もなく、同乗者の「壁」と言う声を聞いて前方を見つめたところ、前面に黒い大きな影を認めたが、何をする暇もないまま、原針路、ほぼ原速力で、00時14分甲点から219度420メートルの埋立地防波堤北面に52度の角度をもって衝突した。

当時、天候は曇で風力2の北北東風が吹き、潮候は下げ潮の初期で、視界は良好であった。
衝突の結果、右舷船首部を圧壊し、廃船とされた。また、同乗者のCが左上腕骨骨幹部骨折、右中足骨骨折、肋骨骨折で全治3箇月の、同Dが左上腕骨骨幹部骨折で全治3箇月の、同Eが外傷性脳挫傷、外傷性軸索損傷、外傷性くも膜下出血、全身打撲で全治2箇月の、及びA受審人が肋骨骨折、外傷性気胸、顔面挫傷などで全治2週間の入院加療を要する負傷をした。
本件後、R事務所は、佐世保海上保安部から埋立地防波堤の簡易標識灯が消灯している旨の連絡を受け、直ちに業者に依頼して暫定の灯火を設置させ、その後、同標識灯を廃棄して新替えするとともに、地元の漁業協同組合などに対して簡易標識灯などの監視依頼文書を送付し、長与港については大村湾南部漁業協同組合長与支部長を監視人に選任して異状発生時には連絡を受けることにした。


(原因)
本件防波堤衝突は、夜間、長崎県長与港において、出港時、後方の港口付近の視認状況を把握しなかったばかりか、帰港時、船位の確認が不十分で、埋立地防波堤に向かって進行したことによって発生したものである。
R事務所が、所轄の防波堤に関する情報収集対策が不十分で、埋立地防波堤東端に設置した簡易標識灯を消灯したままとしていたことは本件発生の原因となる。


(受審人等の所為)
A受審人は、夜間、長崎県長与港を発港して大村湾内を遊覧したのち、同港港奥に向けて帰港中、船位がはっきりしなくなった場合、前路には標識灯の消灯した埋立地防波堤があったから、これに著しく接近することのないよう、照明灯が点灯された長与浄化センターに接近し、いったん機関を停止して周囲の物標を確かめるなど船位の確認を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、そのうちに埋立地防波堤が見えてくるものと思い、船位を十分に確認しなかった職務上の過失により、船位がはっきりしないまま進行して同防波堤との衝突を招き、自船の船首部を圧壊し、同乗者3人に外傷性脳挫傷などの重傷を負わせ、自らも肋骨骨折などを負うに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。

R事務所が、所轄の港湾施設の維持管理にあたり、防波堤に関する情報収集対策が十分でなく、埋立地防波堤東端に設置した簡易標識灯が消灯している旨の情報が得られず、同灯を消灯したままとしていたことは、本件発生の原因となる。
R事務所に対しては、本件後、直ちに簡易標識灯を復旧したうえ、監視人を選任して同灯などに異状が発生したときには、その旨の連絡を受けられるように対策を講じた点に徴し、勧告しない。


よって主文のとおり裁決する。






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