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1999年(平成11年)

平成11年門審第22号
    件名
貨物船第十一福吉丸貨物船榮福丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年11月17日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

清水正男、阿部能正、平井透
    理事官
伊東由人

    受審人
A 職名:第十一福吉丸機関長(当時操船中) 海技免状:五級海技士(航海)
B 職名:榮福丸一等航海士 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
福吉丸・・・船首に凹損
榮福丸・・・船尾左舷側ハンドレール、同フェアリーダー等に損傷

    原因
福吉丸・・・動静監視不十分、追い越しの航法(避航動作)不遵守(主因)
榮福丸・・・見張り不十分、警告信号不履行、追い越しの航法(協力動作)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、榮福丸を追い越す第十一福吉丸が、船橋を無人とし、動静監視不十分で、その進路を避けなかったことによって発生したが、榮福丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年3月27日18時40分
備讃瀬戸北航路
2 船舶の要目

船種船名 貨物船第十一福吉丸 貨物船榮福丸
総トン数 199トン 198.56トン
全長 56.58メートル 34.50メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 625キロワット 367キロワット

3 事実の経過
第十一福吉丸(以下「福吉丸」という。)は、船尾船橋型貨物船で、船長C、A受審人ほか1人が乗り組み、食塩377トンを載せ、船首2.0メートル船尾3.2メートルの喫水をもって、平成10年3月27日15時40分岡山県邑久郡錦海湾内の尻海を発し、鹿児島県志布志港に向かった。
ところで、C船長は、有限会社R汽船の社長であり、同人の息子で同社専務を務め、航海・機関両方の海技免状を有するA受審人を福吉丸の機関長として乗り組ませ、同船の船橋当直を、両人と一等航海士による単独3時間3直制としていた。
A受審人は、17時30分ごろ大槌島の北方で船橋当直に就き、備讃瀬戸東航路を経由して備讃瀬戸北航路(以下「北航路」という。)に入り、法定灯火を表示し、18時11分半牛島灯標から271度(真方位、以下同じ。)1,350メートルの地点において、針路を248度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの潮流に乗じて12.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で自動操舵により進行した。

18時17分少し過ぎA受審人は、波節岩灯標から061度1.7海里の地点に達したとき、右舷船首7度1,400メートルのところに、榮福丸を初めて視認し、その後自船が榮福丸を追い越す態勢であることを知った。
A受審人は、18時30分板持鼻灯台から056度1.9海里の地点に達したとき、尿意を催したが、榮福丸が右舷前方に見えたことと接近の度合から短時間のうちに衝突することはあるまいと思い、C船長から援助が必要なときには報告するように指示されていたものの、このことを同船長に報告して当直を交替することなく、船橋を無人として降橋した。
A受審人は、2層下の上甲板船員居住区の便所に赴き、その後自室に立ち寄ってたばこを一服し、18時32分半板持鼻灯台から052度1.4海里の地点に達したとき、右舷船首32度500メートルに接近した榮福丸が北航路の屈曲部に至り、同航路に沿って左転し、両船の針路がわずかに交差して接近する態勢となったものの、船橋を無人として動静監視を行わなかったので、このことに気付かず、榮福丸を確実に追い越し、かつ、同船から十分に遠ざかるまでその進路を避けないで続航した。

18時40分わずか前A受審人は、船橋に戻って前方を見たところ、至近に迫った榮福丸の船尾を認めたもののどうすることもできず、18時40分板持鼻灯台から320度750メートルの地点において、福吉丸は、原針路、原速力のまま、その船首が榮福丸の船尾に左舷後方から6度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風力1の西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、付近海域には南西方向に流れる約1.5ノットの潮流があり、視界は良好で、日没時刻は18時23分であった。
C船長は、衝突の衝撃を感じて昇橋し、事後の措置に当たった。
また、榮福丸は、船尾船橋型セメント運搬船で、船長D、B受審人ほか2人が乗り組み、空倉のまま、船首0.26メートル船尾2.68メートルの喫水をもって、同日15時10分香川県小豆島の内海港を発し、福岡県苅田港に向かった。
B受審人は、内海港港外で船橋当直に就き、備讃瀬戸東航路を経由して北航路に入り、法定灯火を表示し、18時17分少し過ぎ波節岩灯標から050度1.0海里の地点において、針路を250度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの潮流に乗じて10.0ノットの速力で自動操舵により進行した。

B受審人は、船橋前部の左舷側に設置したいすに腰を掛けて当直に当たり、18時32分半板持鼻灯台から042度1.2海里の地点に至って備讃瀬戸北航路第5号灯浮標(以下、備讃瀬戸北航路各号灯浮標については「備讃瀬戸北航路」を省略する。)を右舷方に見る北航路の屈曲部を航過し、左舷船尾27度500メートルのところに、自船を追い越す態勢で接近する福吉丸を視認し得る状況であったが、後方から接近する船舶があっても追い越す船舶が避けてくれるから大丈夫と思い、後方の見張りを十分に行うことなく、福吉丸に気付かず、針路を同航路に沿う242度に転じ、両船の針路がわずかに交差して接近する態勢となったことに気付かないまま続航した。
B受審人は、その後、依然として後方の見張りを十分に行っていなかったので、福吉丸と更に接近したことに気付かず、警告信号を行わず、間近に接近しても機関を使用するなどして衝突を避けるための協力動作をとらないで進行中、榮福丸は、原針路、原速力のまま前示のとおり衝突した。

D船長は、衝突の衝撃を感じて直ちに昇橋し、事後の措置に当たった。
衝突の結果、福吉丸は船首に凹損を、榮福丸は船尾左舷側ハンドレール、同フェアリーダー等に損傷を生じたが、のちいずれも修理された。


(原因)
本件衝突は、日没後の薄明時、備讃瀬戸北航路において、榮福丸を追い越す福吉丸が、船橋を無人とし、動静監視不十分で、榮福丸の進路を避けなかったことによって発生したが、榮福丸が、後方の見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。


(受審人の所為)
A受審人は、日没後の薄明時、備讃瀬戸北航路をこれに沿って西航中、自船が追い越す態勢の榮福丸を認めたのち尿意を催して降橋する場合、このことを船長に報告して当直を交替すべき注意義務があった。しかるに、同人は、榮福丸が右舷前方に見えたことと接近の度合いから短時間のうちに衝突することはあるまいと思い、船長に報告して当直を交替しなかった職務上の過失により、船橋を無人とし、動静監視を行わず、同船が航路の屈曲部で転針し、両船の針路がわずかに交差して接近する態勢となったことに気付かず、榮福丸の進路を避けないまま進行して同船との衝突を招き、福吉丸の船首に凹損を、榮福丸の船尾左舷側ハンドレール、同フェアリーダー等に損傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

B受審人は、日没後の薄明時、備讃瀬戸北航路をこれに沿って西航する場合、後方から接近する他船を見落とすことのないよう、後方の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、後方から接近する船舶があっても追い越す船舶が避けてくれるから大丈夫と思い、後方の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、自船を追い越し態勢の福吉丸に気付かず、警告信号を行わず、間近に接近しても機関を使用するなどして衝突を避けるための協力動作をとらないまま進行して同船との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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