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1999年(平成11年)

平成10年門審第60号
    件名
貨物船エイジアンハイビスカス貨物船チューハイ衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年3月19日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

伊藤實、清水正男、西山烝一
    理事官
平良玄栄

    受審人
    指定海難関係人

    損害
エ号…球状船首左舷側に破口及び左舷船首ブルワークに凹損
チ号…右舷側中央部外板に破口を生じて浸水、のち沈没、機関員が行方不明のち死亡

    原因
チ号…港則法の航法(右側通行)不遵守(主因)
工号…警告信号不履行(一因)

    主文
本件衝突は、両船が関門航路内で行き会うとき、チューハイが、航路の右側を航行しなかったことによって発生したが、エイジアンハイビスカスが、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年11月11日23時39分
関門港
2 船舶の要目
船種船名 貨物船エイジアンハイビスカス 貨物船チューハイ
総トン数 7,170トン 2,387トン
全長 117.92メートル 81.15メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 3,500キロワット 970キロワット
3 衝突に至る経緯
エイジアンハイビスカス(以下「エ号」という。)は、船尾船橋型貨物船で、大韓民国人の船長A及び機関長ほかフィリピン共和国人17人が乗り組み、コンテナ80個、セメント500トン、棒鉄800トン等を載せ、船首5.30メートル船尾6.49メートルの喫水をもって、平成9年11月11日13時36分大韓民国釜山港を発し、関門港田野浦区に向かった。
A船長は、一旦(たん)関門海峡を通過して同海峡東口の部埼沖で錨泊してから、翌朝田野浦ふ頭3号岸壁に着岸する予定で航行し、11日22時50分六連島北位置通報ラインを通過したとき、関門海峡海上交通センター(以下「関門マーチス」という。)にVHF無線電話でその旨を通報し、間もなく関門航路に入ることから自ら操船の指揮を執り、三等航海士をテレグラフの操作と見張りに、操舵手を操舵にそれぞれ就け、更に昇橋した二等航海士をレーダーの見張りに就けて関門航路に入り、その右側をこれに沿って進行した。
ところで、関門航路は、関門海峡東部の早靹瀬戸から計口の六連島に至る長さ約12海里の湾曲部が多い航路で、その可航幅が広い水域で1,000メートル、最狭部で500メートルと狭い上に、東西方向に1日に2回変化する潮流は強く、通航船舶が1日平均650隻を超えで輻輳(ふくそう)していた。このため、門司海上保安部は、関門海峡における海上交通の安全確保を図るために多様な航行安全対策を実施し、また、関門マーチスが、平成元年6月1日から一部航路の航行管制業務及び航行援助業務行い、通航船舶の約15パーセントが関門マーチスにVHF無線電話による位置通報を行っていた。
また、関門航路の山口県下関市岬之町ふ頭と福岡県九州市門司区白木埼に挟まれる水域においては、航路が019度(真方位、以下同じ。)から040度又は反方位の220度から199度に屈曲しており、その地点に目安となるものがないことなどから、西行する船舶は、下関導灯に向かって関門橋下を通過したのち、船首方の目標として遠方の巌流島灯台を利用し、巌流島の東方に向けた針路をとって航路の右側に寄らないことが多く、瀬戸内海水路誌には、「早靹瀬戸において、強い東流に逆航する西行船は、門司埼を通過するときに壇ノ浦海岸の方へ予想以上に圧流されることがある。この場合、中央部へ進出しようとして左転するが、東行船に右舷対右舷で航過するのではないかとの疑問又は不安を与えないように早めに針路修圧を行うなどの注意を要する。」旨の通航上の注意事項が記載されていた。
一方、航行船舶は、水先法によって、同法に定める関門港航路区域を通航する総トン数1万トン以上の船舶及び総トン数1万トン未満の船舶であって関門区の区域を通過しない船舶は水先人を乗り込ませなければならないものの、エ号及びチューハイ(以下「チ号」という。)は、関門航行路区域を通航する総トン数1万トン未満の船舶であって関門区の区域を通過する舶船であったので、両船とも水先人を乗り込ませていなかった。
A船長は、23時30分関門海峡最狭部の通航に備えて機関用意とし、同時31分少し前、巌流島灯台から177度1,500メートルの地点に達したとき、針路を関門航路に沿う019度に定め、機関を港内全速力前進にかけ、折からの潮流に乗じて14.0ノットの対地速力で、手動操舵により進行した。
定針したころA船長は、右舷船首7度2.7海里のところに来航するチ号の白、白2灯を初めて視認し、23時36分少し前、門司埼灯台から219度3,350メートルの地点に達したとき、右舷船首10度1.0海里に同号の白、白、紅、緑4灯を見て、チ号と航路内で行き会う状況であることを認め、同号が関門航路の中央部付近を同航路の左側に向けて進行していたものの、いずれ航路の右側に寄せて互いに左舷を対して航過するものと思い、警告信号を行わなかった。
23時37分A船長は、門司埼灯台から223度2,820メートルの地点で、関門航路の屈曲地点に当たる転針予定地点に達したとき、右舷前方に自船を追い越していった同航船がいたことから、同船との距離を離すために針路を025度に転じ、そのころチ号が同航路の中央部に至って、その距離が1,050メートルまで接近し、なおも同じ針路で進行していたが、依然、同号に対して警告信号を行わずに続航した。
A船長は、23時38分少し前門司埼灯台から225度2,550メートルの地点に達したとき、関門航路に沿うよう右舵をとって転針を始め、同時38分少し過ぎ船首が関門橋橋梁灯(C1灯)と同(R1灯)の中間に向く042度となったころ、チ号の両舷灯のうち緑灯が明るく見えるようになってきたことから同号が右転する気配がないと思い、衝突の危険を感じて閃(せん)光1回の発光信号を行うとともに、右舵10度を令して右転を開始したところ、チ号の白、白、緑3灯だけが見えるようになって同号が左転していることに気付き、急いで機関を停止し、左舵一杯を令したが及ばず、23時39分門司埼灯台から225度2,100メートルの地点において、工号は、船首が060度を向き8.0ノットの速力となったとき、その船首がチ号の右舷中央部に後方から80度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力1の東風が吹き、潮候は高潮時で、衝突地点付近には約3ノットの北東流があった。
また、チ号は、貨物倉2倉を備えた船尾船橋型貨物船で、中華人民共和国人の船長Bほか23人が乗り組み、鋼コイル2,751トンを載せ、船首4.90メートル船尾5.10メートルの喫水をもって、11日15時45分大分県大分港を発し、関門海峡経由で同国南通港に向かった。
B船長は、22時23分部埼南東位置通報ラインを通過して、関門マーチスにVHF無線電話でその旨を通報し、自ら操船の指揮を執り、二等航海士と操舵手1人を見張りに、他の操舵手1人を操舵にそれぞれ就けて関門航路に入り、関門橋下を通過したのち、23時30分門司埼灯台から258度650メートルの地点に達したとき、船位が下関市側の陸岸に近寄っていたことから針路を215度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの潮流に抗して6.0ノットの対地速力で、手動操舵により進行した。
23時33分B船長は、門司埼灯台から239度1,120メートルの地点に達したとき、左舷船首9度1,9海里にエ号の白、白、緑3灯を初めて視認し、同時36分少し前門司埼灯台から232度1,570メートルの地点に達したとき、エ号の同灯火を左舷船首6度1.0海里に見て、同号と航路内で行き会う状況であることを認めたが、船位を十分に確かめなかったので、同地点が関門航路の中央部付近であることに気付かず、緑灯を見せているエ号が前路を右方に航行するものと思い、右転して航路の右側を航行することなく、航路の左側に向く針路のまま続航した。
B船長は、23時37分門司埼灯台から229度1,800メートルの地点に当たる、関門航路の中央部に至ったとき、関門マーチスからVHF無線電話で呼出しと右側を航行するようにとの通報があったものの、同電話を聴守していなかったので、これに応答することができず、依然、右転しないまま航路の左側に寄った針路で進行し、同時38分少し前門司埼灯台から228度1,930メートルの地点に達したとき、なおもエ号の緑灯が見えたことから衝突の危険を感じ、互いに右舷を対して航過するつもりで、左舵一杯を令して左転中、エ号の紅灯を見るようになって右舵一杯を令したが効なく、チ号は、船首が140度を向いたとき、原速力のまま前示のとおり衝突した。
4 衝突後の経過
衝突の結果、エ号は、球状船首左舷側に破口及び左舷船首ブルワークに凹損を生じたが、のち修理され、チ号は、右舷側中央部外板に破口を生じて浸水し、その後門司埼灯台から225度2,000メートルの関門航路内で、前部鳥居形マスト及び船橋上部マストの一部を露出して沈没し、チ号機関員C(1973年5月3日生)が行方不明となり、翌12日遺体で発見され、溺死と検案された。
チ号は、翌10年6月17日その船首部が、同年7月2日その船尾部がサルベージ会社によってそれぞれ引き揚げられ、のちスクラップとして処分された。
なお、平成9年12月18日06時02分関門航路を東行中の貨物船フェアアイリス(総トン数3,901トン)が、沈没したチ号のマスト等に衝突した。
5 事件発生後とられた措置
(1) チ号行方不明者の捜索、流出油調査・防除作業等の状況
門司海上保安部を始め、運輸省第四港湾建設局関門航路工事事務所、海上自衛隊下関基地隊、山口県、下関水上警察署、北九州水上警察署、北九州市消防局、三菱重工業株式会社下関造船所、白島石油備蓄株式会社が、巡視船艇など延べ56隻及び航空機延べ3機を出動させて行方不明者の捜索、流出油調査・防除作業等に当たり、平成9年11月14日同作業を終了した。
(2) 関係各機関の対応
ア 門司海上保安部
本件発生後、当該海域の航行の制限等の措置をとり、以後、巡視艇によるチ号の監視及び通航船に対する航行指導を行った。
イ 関門マーチス
本件発生後、門司海上保安部に連絡するとともに、エ号を門司区西海岸沖の航路外に誘導した。また、エ号及びチ号並びに付近海域のレーダー監視を継続するとともに、VHF無線電話を使用し、航行船舶に対して日本語及び英語による衝突船情報、海難救助作業情報及び行方不明者情報を提供した。
ウ 運輸省第四港湾建設局関門航路工事事務所
本件発生後、所属船舶を出動させて流出油調査・防除作業に当たり、平成9年11月13日同作業を終了した。また、翌12月からチ号沈没位置に照明灯を、付近陸岸に沈船を示す表示板をそれぞれ設置し、以後、沈船付近に監視船1隻を配置した。
(3) 沈船撤去にかかわる要請
門司海上保安部は、平成9年11月14日在福岡中華人民共和国総領事館に対し、チ号の流出油防除措置及び船体の早期撤去について、中国政府が船舶所有者に対して強く指導するように要請し、運輸省第四港湾建設局、下関市港湾局及び北九州市港湾局も同様の要請を行った。
以上のような措置がとられたほか、運輸省第四港湾建設局関門航路工事事務所、関門水先区水先人会、社会法人西部海難防止協会、関門港外国船舶安全対策連絡協議会等において、それぞれの立場から再発防止について検討がなされている。

(原因に対する考察)
本件衝突は、前示衝突に至る経緯のとおり、チ号が、関門航路内でエ号と行き会うとき、港則法第14条第3項の規定に基づき、同航路の右側を航行しなかったことが主たる原因であるが、このことは、チ号船長が関門航路を通航した経験が少なく、自船の船位を正確に把握していなかったこと、関門橋下を通過して西行する際、東行する船舶が下関市岬之町ふ頭と北九州市白木埼とに挟まれた航路の屈曲地点付近で、航路に沿って転針するまでは、右舷側を見せて来航することの認識不足で、互いに航路の右側に寄せて左舷対左舷で通過すべき判断を誤ったこと、かつ、関門マーチスのサービスエリア内で常時VHF無線電話を聴守することなく、注意喚起の情報を受けなかったことなどが、本件発生の要因として挙げられる。
一方、エ号がチ号の動静に疑いを認めた際に、警告信号を吹鳴して避航を促さなかったことは、本件発生の一因となるが、衝突を避けるための措置については、チ号が航路の右側に寄らないで左側を反航してくるものと判断してからその措置がとれるまでの時間的余裕がなく、これを原因として認めることはできない。

(原因)
本件衝突は、夜間、両船が関門航路内において行き会うとき、西行中のチ号が、航路の右側を航行しなかったことによって発生したが、東行中のエ号が、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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