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1999年(平成11年)

平成10年神審第53号
    件名
貨物船あおば丸貨物船ジトラ ブー衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年2月10日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

工藤民雄、佐和明、山本哲也
    理事官
坂本公男

    受審人
A 職名:あおば丸船長 海技免状:二級海技士(航海)
B 職名:ジトラ ブー水先人 水先免状:阪神水先区
    指定海難関係人

    損害
あおば丸…左舷中央部外板に凹損
ジ号…球状船首部に擦過傷

    原因
あおば丸…見張り不十分、船員の常務(前路進出)不遵守、狭い水道の航法(右側通行)不遵守

    主文
本件衝突は、あおば丸が、狭い水路の右側に寄って航行しなかったばかりか、見張り不十分で、無難に替わる態勢にあったジトラ ブーの前路に進出したことによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年7月3日20時34分
大阪港
2 船舶の要目
船種船名 貨物船あおば丸 貨物船ジトラ ブー
総トン数 499トン 15,533トン
全長 75.97メートル 171.41メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,323キロワット 12,280キロワット
3 事実の経過
あおば丸は、専ら大阪港と沖縄県那覇港との間でコンテナや鋼材などの輸送に従事する船尾船橋型の貨物船で、A受審人ほか4人が乗り組み、建築用材及び空コンテナ計145トンを載せ、船首2.35メートル船尾3.65メートルの喫水をもって、平成9年7月1日19時00分那覇港を発し、大阪港大阪区第4区の南港東4丁目G岸壁に向かった。
A受審人は、翌々3日19時45分ごろ大阪港堺泉北区浜寺航路第1号灯浮標の南西沖合で昇橋して一等航海士と交替し、所定の灯火が点灯していることを確かめ、間もなく入港スタンバイを令し、船首に同航海士ほか1人を配置し、自らは舵輪の後ろに立ち、単独の操舵操船に当たって大阪港南・北両防波堤間の入口に向け北上した。
20時15分ごろA受審人は、南・北両防波堤間の入口が900メートルに近づき、航行船も多くなったことから、機関を半速力前進より少し多い10ノットとし、同時18分少し前、両防波堤間を通過して南港む北岸沿いに東行した。
ところで、目的のG岸壁に至る途中には、北側の第2突堤から対岸の南港北岸に港大橋が架けられており、同橋の東側海域は、幅約500メートルの東西に延びる水路が55度ほど屈曲して南港東岸のコンテナふ頭沿いに南方に延び、また屈曲部付近の同橋東方約500メートルの北側で、尻無川に向かう水路が分かれて、コンテナふ頭やその奥の木津川沿いなどにある多数の岸壁、あるいは尻無川奥の大正内港各岸壁などに入出航する各種船舶で輻輳(ふくそう)するところであった。
20時23分半A受審人は、桜島ふ頭沖の、大阪北港口防波堤灯台から175度(真方位、以下同じ。)520メートルの地点に達したとき、針路を水路に沿う094度に定め、南港北岸と対岸の中央突堤との間を10.0ノットの対地速力で進行した。
その後、A受審人は、港大橋の下付近に1隻のタグボートを視認し、余り動いている気配なかったことから、出航する大型船を先導する警戒船かも知れないと思い、20時29分少し過ぎ同橋に420メートルに近づいた、大阪南海岸通り船だまり波除堤南灯台(以下「波除堤南灯台」という。)から149度430メートルの地点に達したとき、針路を同タグボート及び港大橋橋梁灯の中央白灯を正船首少し左に見る112度に転じた。
20時30分少し前A受審人は、右舷前方のコンテナふ頭に着岸中のコンテナ船の陰から現れた小型鋼船の白、白、紅3灯を視認したものの、速やかに水路の右側に寄せることなく、用心のため、同時30分波除堤南灯台から135度650メートルの地点で機関を停止し、同船の接近模様を監視していたところ、そのころ右舷船首29度1,150メートルにコンテナ船の陰から出てきた、ジトラ ブー(以下「ジ号」という。)の白、白、紅3灯を視認できる状況となったが、前示タグボート及びこれに後続する小型鋼船の動向に気をとられ、前路の見張りを十分に行わなかったので、このことに気付かずにそのまま続航した。
その後、A受審人は、同タグボートに続いて出航してくるかも知れない大型船のことを失念したまま、タグボートと左舷を対して航過したのち、前示小型鋼船が自船の行く手を遮るようになって接近することが分かり、20時32分少し前大阪鶴浜通り船だまり北波除堤北灯台(以下「北波除堤北灯台」という。)から270度900メートルの地点に差し掛かったとき、ジ号が水路沿いにほぼ左転を終え、その方位が右方に変わり、これと右舷を対し100メートルほど離れて無難に航過できる状況であったことに気付かず、右舵5ないし10度をとって右転し、ジ号の前路に向けて進出する状態で進行した。
間もなくA受審人は、小型鋼船と左舷を対して航過して、20時33分少し前北波除堤北灯台から266度830メートルの地点に達し、速力が3.0ノットになったころ、右転して水路の右側につくため、前方を確認しようと0.75海里レンジとしたレーダーを見たとき、前路にジ号の映像を認めて双眼鏡で確認したところ、左舷船首10度300メートルに、ジ号甲板上のコンテナを認め、初めてジ号の接近を知った。
そこでA受審人は、ジ号を左舷側に替わすつもりで、急いで右舵20度をとり機関を半速力に増速し、さらに右舵一杯としたところ、急激に右転するようになり、ジ号が急速に迫ってくるので、衝突の危険を感じて機関を停止し、次いで全速力後進にかけたものの右回頭が続き、20時34分北波除堤北灯台から259度830メートルの地点において、あおば丸は、221度を向いたとき、その左舷中央部に、ジ号の船首が直角に衝突した。
当時、天候は晴で風力1の西風が吹き、潮候は下げ潮の中央期であった。
また、ジ号は、主として本邦と大韓民国や南米各国などの間でコンテナや雑貨などの輸送に従事する、可変ピッチプロペラを備えた船尾船橋型の貨物船で、ミャンマー連邦国籍の船長Cほか18人が乗り組み、コンテナ195個2,098トンを積載し、船首4.10メートル船尾7.05メートルの喫水をもって、同日20時18分大阪港大阪区第4区の南港東6丁目コンテナふ頭1号バースを発し、大韓民国釜山港に向かった。
これより先、B受審人は、20時06分ごろ同バースでジ号に乗船して水先業務に就き、C船長とともに船橋に立って操船指揮を執り、三等航海士を機関ハンドルの操作と見張りに、甲板手を手動操舵にそれぞれ配置し、所定の灯火を表示して出港作業に取り掛かった。
離岸後、B受審人は、左舷船尾にとっていたタグボートと舵及び機関を種々使用して船尾を左方に振って回頭したのち、20時23分北波除堤北灯台から195度1,550メートルの地点で、針路を第3突堤西端に向く350度に定め、同時24分半機関を6ノットの微速力前進に、さらに同時26分半8ノットの半速力前進に増速し、徐々に速力を上げながら同タグボートを前方に先航させて警戒に当たらせ、コンテナふ頭沿いに北上した。
20時29分ごろB受審人は、船橋前部中央にあるジャイロレピータの右舷側に立って操船に当たっているうち、先航するタグボートから来航する小型鋼船があるとの報告を受けて注意していたところ、やがて同時30分北波除堤北灯台から216度920メートルの地点に達し、6.0ノットの対地速力となって進行していたとき、左舷船首30度1,150メートルに南港北岸の陰から現れた、あおば丸の白、白、緑3灯を初めて視認した。
その後、B受審人は、港内の狭い水路の屈曲部付近を航行していたことから、平素のように速力の上昇を抑えるため、20時31分機関を微速力前進に減じたうえ、自船が大型船であったので水路の右側に寄ることを控え、あおば丸のマスト灯の見え具合と方位が徐々に右方に変わっていたので、尻無川方面に向かう船であろうと思いながら、同船の動静を監視して水路のほぼ中央を同一進路で進行した。
20時31分少し過ぎB受審人は、水路屈曲部手前の予定の転針地点にあたる、北波除堤北灯台から230度770メートルの地点に達したとき、あおば丸になお右転の気配が認められなかったので、水路に沿って航行するため左舵20度を令して左転を開始し、間もなく針路を港大橋橋梁灯の中央白灯に向首する311度に転じたところ、同船が船首少し右に見えるようになり、その後もその方位が古方に変わり続けていたので、同船とは右舷を対して100メートルほど隔てて無難に航過できるものと判断して続航した。
ところが、B受審人は、20時32分右舷船首10度450メートルに接近したあおば丸が右に回頭し始めたことを知り、衝突の危険を感じ、機関を微速力後進、次いでバウスラスターを右一杯とし、さらに機関を全速力後進としたが、及ばず、ジ号は、ほぼ原針路のままわずかな前進行き脚をもって前示のとおり衝突した。
衝突の結果、あおば丸は左舷中央部外板に直径約1メートルの円形状の凹損を生じ、のち修理され、ジ号は球状船首部に擦過傷を生じた。

(原因)
本件衝突は、夜間、大阪港大阪区港大橋東側の狭い水路の屈曲部付近において、東行するあおば丸と西行するジ号が行き会う際、あおば丸が水路の右側に寄って航行しなかったばかりか、見張り不十分で、無難に替わる態勢にあったジ号の前路に進出したことによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人は、夜間、大阪港大阪区港大橋付近の狭い水路の中央寄りを東行する場合、右舷前方のコンテナふ頭の陰から現れ、水路に沿って西行するジ号を早期に発見できるよう、右舷筋の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、ジ号に先航するタグボートやこれに続き自船の行く手を遮る状況で接近する小型鋼船に気をとられ、右舷前方の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、ジ号の発見が遅れ、自船をジ号の前路に進出させて衝突を招き、あおば丸の左舷中央部外板に凹損及びジ号の球状船首部に擦過傷をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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