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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成10年10月31日07時45分 宮城県塩釜港 2 船舶の要目 船種船名
貨物船クインチャン3 総トン数 3,984トン 全長 107.20メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 2,205キロワット 3 事実の経過 クインチャン3(以下「ク号」という。)は、船尾船橋型鋼製貨物船で、船長A(以下「A船長」という。)ほか27人が乗り組み、鋼材3,029トンを載せ、平成10年10月27日15時30分富山県伏木富山港を発し、宮城県塩釜港に向かい、越えて31日01時00分早朝の着岸予定で同港沖合に投錨した。 06時10分A船長は、船首5.0メートル船尾6.7メートルの喫水をもって、抜錨して貞山ふ頭2号岸壁(以下、岸壁名については「貞山ふ頭」を省略する。)に向けて移動を開始した。 ところで、塩釜港公用係船施設の貞山ふ頭北東端には1号岸壁と2号岸壁が設置されており、1号岸壁には同岸壁東北東端から東北東方に長さ125メートル延びる係留施設を備えた塩釜海上保安部専用桟橋(以下「専用桟橋」という。)があり、同岸壁東北東端に隣接した地点及び同桟橋の東北東端に各5平方メートルのコンクリート製係船ドルフィンが、更に、同岸壁東北東端から50メートル及び100メートル離れた東北東方に各15平方メートルのコンクリート製着船ドルフィンが各々設置されていた。各々のドルフィンは車道橋で連絡され、東北東端係船ドルフィン中央に赤色灯及び作業灯を備えた灯柱が設置され、同係船ドルフィンは2号岸壁北北東端から北北東方100メートルに位置していた。 A船長は、塩釜港に入港するのは初めてであったが、自ら着岸操船をすることとし、塩釜港第7号灯浮標(以下、灯浮標名については「塩釜港」を省略する。)から2号岸壁に接近して同岸壁の前面で右舷錨を投入するとともに手配していた総トン数34トン、機関出力478キロワットの引船第五十一潮丸(以下「潮丸」という。)に右舷船尾を押させながら右回頭して船首係留索を岸壁に取り、出船左舷付けにすることとしていた。 A船長は、揚錨開始から、三等航海士を見張りに、見習い航海士をテレグラフ操作に及び甲板手を操舵に各々当てて、一等航海士ほか甲板員数名を船首に、二等航海士ほか甲板員数名を船尾にそれぞれ配置し、07時00分塩釜港航路に入航したころ、潮丸と会合して先導させるとともに同船から受け取った携帯用無線機で連絡を取りながら同航路に沿って航行を続けた。同時25分第5号灯浮標を左舷正横に見る、地蔵島灯台から266度(真方位、以下同じ。)350メートルの地点で、針路を266度に定め、機関を微速力前進にかけて4.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行した。 07時35分A船長は、2号岸壁に向かう転針地点付近の第7号灯浮標に接近し、船尾配置の二等航海士に指示して右舷船尾に潮丸の曳索を取り、同時37分第7号灯浮標を左舷正横60メートルに見る、塩釜港東防波堤灯台(以下「東防波堤灯台」という。)から212度220メートルの地点に達したとき、2号岸壁に向かうよう徐々に針路を235度に転じ、専用桟橋東北東端の係船ドルフィンに著しく接近する態勢になったが、もう少し接近してから転針しても同ドルフィンを替わせると思い、大角度の転舵または操船支援の引船を有効に活用するなどの回頭措置を十分にとることなく、同ドルフィンを大きく離さないで、同じ針路のまま減速して1.7ノットの速力で続航した。 07時44分A船長は、潮丸から後進するよう助言の無線連絡を受けたとき、船首配置の一等航海士に専用桟橋東北東端の係船ドルフィンの方向、距離を報告させたところ、正船首方距離50メートルとの報告を受け、同ドルフィンと著しく接近する状況になったことに気付き、直ちに潮丸に全力で後方に引かせるとともに全速力後進をかけたが及ばず、07時45分ク号は、原針路のまま1.0ノットの残存速力で、その右舷船首が東防波堤灯台から230度660メートルの専用桟橋東北東端の係船ドルフィンに衝突した。 当時、天候は晴で風力3の南南東風が吹き、潮候は上げ潮の初期であった。 衝突の結果、ク号は、右舷船首部外板に破口を伴う損傷を生じ、専用桟橋東北東端の係船ドルフィンのコンクリートー部が欠損及び同ドルフィンの灯柱に損傷を生じたがのちいずれも修理された。
(原因) 本件浅橋衝突は、塩釜港航路を入航中、第7号灯浮標付近に達して2号岸壁に向かう際、大角度の転舵または操船支援の引船を有効に活用するなどの回頭措置が不十分で、専用桟橋東北東端の係船ドルフィンを大きく離さなかったことによって発生したものである。
よって主文のとおり裁決する。 |