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1999年(平成11年)

平成10年門審第88号
    件名
貨物船弥福丸貨物船祥和丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年7月29日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

西山烝一、宮田義憲、供田仁男
    理事官
今泉豊光

    受審人
A 職名:弥福丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:弥福丸一等航海士 海技免状:五級海技士(航海)(履歴限定)
C 職名:祥和丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
D 職名:祥和丸一等航海士 海技免状:五級海技士(航海)(旧就業範囲)
    指定海難関係人

    損害
弥福丸…左舷前部外板に破口、沈没して全損
祥和丸…船首部及び球状船首に損傷

    原因
弥福丸…狭視界時の航法(速力・信号)不遵守
祥和丸…狭視界時の航法(速力・信号・レーダー)不遵守

    主文
本件衝突は、弥福丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことと、祥和丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
受審人Bを戒告する。
受審人Dを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年7月11日04時25分
千葉県犬吠埼南南西方沖合
2 船舶の要目
船種船名 貨物船弥福丸 貨物船祥和丸
総トン数 499トン 460トン
全長 74.00メートル 66.02メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,176キロワット 1,029キロワット
3 事実の経過
弥福丸は、船尾船橋型の鋼製貨物船で、A及びB両受審人ほか3人が乗り組み、砕石1,550トンを載せ、船首3.44メートル船尾4.48メートルの喫水をもって、平成9年7月9日14時35分北海道函館港を発し、千葉港に向かった。
A受審人は、船橋当直を自らとB受審人及び次席一等航海士による単独の4時間3直制とし、翌々11日00時ごろ犬吠埼北北東方27海里沖合で同一等航海士に船橋当直を引き継ぐにあたり、千葉県北部全域に濃霧注意報が発表されていたので、視程が1海里以下になれば船長に報告することを申し送るよう指示し、降橋して自室で休息した。
04時00分B受審人は、犬吠埼灯台から195度(真方位、以下同じ。)13.1海里の地点で、次席一等航海士から視界制限時の船長への報告についての引継ぎを受けて船橋当直に就き、針路を217度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進から少し下げた10.6ノットの対地速力で進行した。
B受審人は、04時13分ほぼ正船首方4.9海里のところ北上中の祥和丸のレーダー映像を初めて認め、そのころ霧模様で視程が1.3海里ばかりであったことから、レーダーを監視していたところ、同時20分犬吠埼灯台から200度16.4海里の地点に達したとき、祥和丸の映像がほぼ同方向2.0海里となり、同船と著しく接近する状況となることを知り、右転して同船との航過距離を離すこととし、針路を225度に転じて続航した。
B受審人は、転針したころ、霧雨により視界が急速に悪化し、視程が250メートルに狭められるようになったが、祥和丸の動静を注視していたことやA受審人が就寝中であることから、視界制限状態になったことを同人に報告せず、霧中信号を行うことも、安全な速力に減じることもなく進行した。
04時21分B受審人は、祥和丸の映像が左舷船首8度1.6海里となり、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことを知ったが、左舷を対して無難に航過できるものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも必要に応じて行きあしを止めることもなく、同一の針路、速力のまま続航した。
B受審人は、引き続き祥和丸の映像を監視していたところ、04時24分少し前同船の方位が変わらないまま0.5海里に接近したので不安を感じ、機関を中立回転としたうえ手動操舵に切り替えて間もなく、同船の映像がレーダー画面から消えて映らなくなったので、前方を見たところ、同時24分半わずか過ぎ左舷船首至近に祥和丸を視認し、右舵一杯、機関を全速力後進としたが効なく、04時25分犬吠埼灯台から201度17.2海里の地点において、弥福丸は、船首が255度を向いて、7ノットの速力となったとき、その左舷前部に祥和丸の船首が前方から45度の角度で衝突した。
当時、天候は霧雨で、風はほとんどなく、視程は約250メートルで、日出は04時28分であった。
A受審人は、自室で就寝中、機関後進の振動と衝突の衝撃に気付き、直ちに昇橋して事後の措置に当たった。
また、祥和丸は、船尾船橋型の鋼製貨物船で、C及びD両受審人ほか3人が乗り組み、空倉のまま、船首2.6メートル船尾3.8メートルの喫水をもって、同月10日21時00分京浜港川崎区を発し、福島県小名浜港に向かった。
ところで、C受審人は、船橋当直を自らとD受審人による単独の2直制とし、当直時間を自らは出港時から翌11日03時までと同日08時から小名浜港入港まで、D受審人が11日03時から08時までと決め、発航時の操船に引き続いて船橋当直に就き、東京湾を南下して房総半島に沿って北上し、同月11日02時50分ごろ八幡岬東方7海里沖合で、D受審人に当直を引き継ぐにあたり、千葉県北部全域に濃霧注意報が発表されていたことから、視程が1海里になったときは報告するよう指示し、降橋して自室で休息した。
D受審人は、03時00分太東埼灯台から148度9.8海里の地点において、針路を035度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、13.9ノットの対地速力で進行した。
04時ごろから霧雨により視界が急に悪化して視程が250メートルになったが、D受審人は、就寝したばかりのC受審人を起こすことがためらわれ、視界制限状態になったことを報告することなく、また、霧中信号を行うことも、安全な速力に減じることもなく続航した。
04時19分D受審人は、レーダーで右舷船首2度24海里に弥福丸の映像を初めて認め、同時20分犬吠埼灯台から202度18.3海里の地点に達したとき、同船と著しく接近する状況となることを知ったものの、同映像の航跡から自船の右舷方を替わるように見えたので、左転して同船との航過距離を離すこととし、針路を030度に転じて進行した。
D受審人は、04時21分弥福丸が右舷船首7度1.6海里に接近し、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、左転したので右舷を対して替わるものと思い、転針後レーダーによる動静監視を十分に行わなかったので、このことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを止めることもなく続航中、同時25分わずか前船首至近に弥福丸を視認、全速力後進とした効なく、原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
C受審人は、自室で就寝中、衝突の衝撃に気付き、直ちに昇橋して事後の措置に当たった。
衝突の結果、弥福丸は、左舷前部外板に破口を生じ、間もなく沈没して全損となり、祥和丸は、船首部及び状船首に損傷を生じ、のち修理された。また、弥福丸の乗組員は全員祥和丸に救助された。

(原因)
本件衝突は、弥福丸及び祥和丸の両船が、薄明時、霧雨による視界制限状態の犬吠埼南南西方沖合を航行中、南下する弥福丸が霧中信号を行うことも安全な速力とすることもせず、レーダーで前路に認めた祥和丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことと、北上する祥和丸が、霧中信号を行うことも安全な速力とすることもせず、レーダーによる動静監視が不十分で、前路に認めた祥和丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。

(受審人の所為)
B受審人は、薄明時、霧雨により視界制限状態の犬吠埼南南西方沖合を南下中、レーダーで前路に認めた祥和丸と著しく接近することを避けることができない状況となったことを知った船、針路を保つこと力できる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかるに、同人は、左舷を対して無難に航過できるものと思い、針路を保つこと力できる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかった職務上の過失により、祥和丸との衝突を招き、弥福丸の左舷前部外板に破口を生じさせて沈没させ、祥和丸の船首部及び球伏船首に損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
D受審人は、薄明時、霧雨により視界制限状態の犬吠埼南南西方沖合を北上中、ほぼ正船首に著しく接近する態勢で南下する弥福丸のレーダー映像を認め、同船との航過距離を離そうと針路を転じた場合、同船と著しく接近することを避け得るかどうかを判断できるよう、レーダーによる動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、左転したので右舷を対して替わるものと思い、レーダーによる動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、弥福丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせ、弥福丸を沈没させるに至った。
以上のD受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
C受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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