日本財団 図書館




1999年(平成11年)

平成10年広審第83号
    件名
油送船第八十七海幸丸貨物船フレッシャー衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年2月26日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

黒岩貢、釜谷獎一、上野延之
    理事官
川本豊

    受審人
A 職名:第八十七海幸丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:フレッシャー水先人 水先免状:内海水先区
    指定海難関係人

    損害
海幸丸…左舷中央部から船尾にかけての外板に破口を伴う凹傷
フ号…右舷船首から中央部にかけての外板に凹損及び擦過傷

    原因
フ号…狭視界時の航法(レーダ・速力)不遵守(主因)
海幸丸…狭視界時の航法(レーダー・信号)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、フレッシャーが、視界制限状態における運航が適切でなかったことによって発生したが、第八十七海幸丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことも一因をなすものである。
受審人Bの内海水先区水先の業務を1箇月停止する。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年4月14日03時11分
来島海峡西水道
2 船舶の要目
船種船名 油送船第八十七海幸丸 貨物船フレッシャー
総トン数 1,591トン 34,960トン
全長 91.04メートル 172.50メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 2,206キロワット 7,922キロワット
3 事実の経過
第八十七海幸丸(以下「海幸丸」という。)は、船尾船橋型油タンカーで、A受審人ほか9人が乗り組み、空倉のまま、船首1.5メートル船尾4.65メートルの喫水をもって、平成10年4月13日14時30分博多港を発し、日没後は法定灯火を表示して大阪港堺泉北区に向かった。
A受審人は、船橋当直を4時間3直制とし、毎0-4時を二等航海士、毎4-8時を一等航海士、毎8-0時を自らがそれぞれ受け持つこととして各直に甲板員1人を配し、狭水道通過時や出入港時には自ら操船に当たるほか、当直中の機関士も昇橋させて機関操作を行わせることとし、関門海峡を経て瀬戸内海を東行したところ、20時からの自らの当直中、来島海峡西口付近が視界不良である旨の広島海上保安部によるVHF放送を聞いたことから、いつでも機関操作が行えるよう燃料をC重油からA重油に切り替えさせ、次直の二等航海士に視界不良または安芸灘南航路第4号灯浮標の手前になったら船長に報告することなどを指示して降橋した。
翌14日01時20分ごろ就寝中のA受審人は、当直中の二等航海士からの呼び出しを受けて昇橋し、同時52分安芸灘南航路第4号灯浮標に並航したとき、来島海峡西口南位置通報ラインの通過報告を来島海峡海上交通センター(以下「来島マーチス」という。)へ行わせるとともに、自ら操船の指揮を執ることとし、機関操作のため二等機関士を昇橋させ、甲板員を手動操舵に当たらせて来島海峡航路(以下「航路」という。)西口に向かった。
02時10分ごろA受審人は、来島海峡航路第2号灯浮標(以下、灯浮標名については「来島海峡航路」を省略する。)の手前1海里の地点に達したとき、急に視程が500メートルばかりに狭まったことから、機関を半速力前進として自動吹鳴装置により霧中信号を開始し、二等航海士に目視による周囲の状況確認を、自らはレーダーの監視に当たり、同時17分航路に入航してからは機関を微速力前進に減じてこれに沿って航行を続け、同時28分第4号灯浮標を右舷側300メートルに航過したのち、一時的に機関を半速力前進に上げたものの、前方の同航船に接近したことから再び機関を微速力前進に減じ、同時46分小島東灯標から325度(真方位、以下同じ。)1,000メートルの地点に達したとき、針路を126度に定め、折からの1.6ノットの逆潮流に抗し、6.1ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行した。
02時50分A受審人は、小島東灯標から004度400メートルの地点に達したとき、この辺りから増勢した北流により左方に圧流されつつ西水道に向げ右転を開始し、同時52分同灯標から055度500メートルの地点からは3.3ノットまで落ちた速力で転針を続け、同時59分同灯標から124度600メートルの地点で針路を218度として続航したところ、視程が200メートルに侠まったうえ、レーダー画面船首方に偽像が現れ始め、これの確認のため二等航海士を右舷側ウイングでの見張りに立たせて進行した。
03時05分A受審人は、小浦埼灯台から307度500メートルの地点に至ったとき、右舷船尾13度950メートルに、自船より大幅に速い速力で南下中のフレッシャー(以下「フ号」という。)をレーダーで探知でき、同船と西水道内で著しく接近することが分かる状況となったが、船首方の偽像の確認に気を取られ、レーダーによる後方の見張りを十分に行っていなかったので、このことに気付かず、航路に沿って左転を開始した。
03時09分A受審人は、小浦埼灯台から259度450メートルの地点に達し、170度を向首しているとき、更に増速したフ号が左舷船尾32度400メートルまで接近していたが、依然後方の見張りが不十分で、その映像に気付かず、注意喚起信号を行わないまま続航中、同時11分少し前ほぼ160度に転針し終えたころ、大きな汽笛音を左舷後方に聞き、左ウイングから後方を見たとき、山のような黒い船体とぼんやりとした航海灯を認めて驚き、右舵15度、全速力前進を令したが及ばず、03時11分海幸丸は、小浦埼灯台から235度500メートルの地点において、原速力のまま160度を向いたその左舷船尾に、フ号の右舷船首が後方から20度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風はほとんどなく、潮候は下げ潮の中央期で、衝突地点付近には4.4ノットの北流があり、視程は200メートルであった。
また、フ号は、船首船橋型自動車運搬船で、船長Cほか21人の船員及びその家族6人が乗り組み、自動車1,616台を積載し、B受審人が乗船して水先に当たり、船首7.50メートル船尾8,25メートルの喫水をもって、同月13日22時12分広島港沖合の錨地を発し、法定灯火を表示して水島港に向かった。
出港時B受審人は、来島海峡西口付近が視界不良である旨の広島海上保安部によるVHF放送を聞いたことから、C船長、当直航海士在橋の下、甲板員を操舵に就け、港内全速力として安芸灘北部を東行したところ、翌14日01時29分ごろ斎島北方に至ったとき、視程が1海里以下に狭まり、自動吹鳴装置により霧中信号を開始するとともに速力を減じて航行を続け、同時40分来島マーチスに来島海峡西口北位置通報ラインの通過報告を行ったころ、視程が500メートルまで狭まったため、愛媛県小部湾での仮泊を考慮し、投錨用意のため一等航海士を船首配置に就けて同湾に向け進行したが、まもなく視界がやや回復したため同人を船首配置に就けたまま、霧中信号を続けて航路西口に向かった。
02時24分B受審人は、第2号灯浮標の手前約1海里の地点に差し掛かったとき、再び視程が500メートルに狭まり、このころ船首方1ないし2海里に海幸丸を含む数隻の同航船をレーダーで認める状況の下、機関を種々使用しながらそのまま航路西口に向かい、同時33分航路に入航してこれに沿って航行を続け、同時44分第4号灯浮標を右舷側350メートルに航過し、岡時55分小島東灯標から319度2,100メートルの地点に達したとき、針路を123度に定め、機関を微速力前進とし、折からの1.6ノットの逆潮流に抗して8.0ノットの速力で、C船長がレーダー監視に、二等航海士が機関操作にそれぞれ当たり、自らも衝突予防援助装置付きレーダーの監視をしながら進行した。
03時02分B受審人は、小島東灯標から008度650メートルの地点に達したとき、船首方の同航船として最も近い海幸丸のレーダー映像を右舷船首47度1,200メートルの西水道内に認めたものの、同船の速力が自船と同程度であり、早急に接近することはないものと思い、その後同様に判断したC船長とともに海幸丸に対する動静監視を十分に行わず、同地点付近から急速に増勢する北流に対し、舵効きを増強するため機関を半速力前進にかけて西水道に向け右転を開始したところ、C船長が、更に増速することを思い立ち、同時03分B受審人にこの意思が伝わらないまま、自ら機関の操縦棹を毎分95回転の航海全速力前進まで引き上げ、フ号は、強い北流に抗して徐々に機関の回転を上げながら西水道に向け回頭を続けた。
03時05分B受審人は、7.3ノットとなった速力で右転中、小島東灯標から083度500メートルの地点に至り、165度を向首していたとき、海幸丸のレーダー映像を右舷船首40度950メートルに認め、自船が半速力以上に増速中であることに気付いていなかったものの、同船に著しく接近することを避けることができないと分かる状況であったが、依然、レーダーによる動静監視が不十分であったうえ、そのころ船首方を左方に横切る小型船の映像に気を取られていたこともあって、海幸丸への接近に気付かず、直ちに針路を保つことができる最小限度の速力に減ずることも、必要に応じて行きあしを止めることもなく進行し、やがてC船長とともに、船首方に現れ始めた偽像に紛れ込んだ海幸丸の映像を見失ない、フ号は、更に増速しながら続航した。
03時08分B受審人は、小浦埼灯台から348度550メートルの地点に達したとき、視界が更に悪化して200メートルに狭められた状況の下、海幸丸まで600メートルに接近していることに気付かないまま、小型船の映像が左方にかわったことから西水道に沿って左舵一杯として左転を開始したところ、同時10分船首配置の一等航海士から「前に船がいる。」との報告を受けるとほぼ同時に、C船長とともに海幸丸の船尾灯を正船首200メートルに認め、驚いて機関を停止したが及ばず、03時11分フ号は、10.0ノットの速力で180度を向首したとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、海幸丸は、左舷中央部から船尾にかけての外板に破口を伴う凹傷を、フ号は、右舷船首から中央部にかけての外板に凹損及び擦過傷をそれぞれ生じたが、のちに両船とも修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、海幸丸及びフ号の両船が、霧で視界制限状態となった来島海峡西水道を南下中、フ号が、レーダーによる動静監視不十分で、海幸丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことによって発生したが、海幸丸が、レーダーによる見張り不十分で、後方から接近するフ号に対し注意喚起信号を行わなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
B受審人は、夜間、フ号を嚮導し、霧で視界制限状態となった来島海峡西水道を南下中、先航する海幸丸をレーダーで認めた場合、同船と著しく接近することを避けることができない状況となるかどうかを判断できるよう、レーダーによる動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、海幸丸の速力が自船と同程度であり、早急に接近することはないものと思い、レーダーによる動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、海幸丸への接近に気付かず、同船と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めることなく進行して同船との衝突を招き、フ号の右舷船首部から中央部にかけての外板に凹瞬及び擦過傷を、海幸丸の左舷中央部から船尾にかけての外板に破口を伴う凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の内海水先区水先の業務を1箇月停止する。
A受審人は、夜間、霧で視界制限状態となった来島海峡西水道を南下する場合、後方から接近するフ号を見落とさないよう、レーダーによる後方の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、レーダー画面船首方に現れる偽像の確認に気を取られ、レーダーによる後方の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、フ号の接近に気付かず、注意喚起信号を行わないで同船との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION