日本財団 図書館




1999年(平成11年)

平成10年神審第61号
    件名
貨物船第三十八勝丸貨物船イスラ・ミンドロ衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年8月11日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

佐和明、工藤民雄、西林眞
    理事官
竹内伸二

    受審人
A 職名:第三十八勝丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
B 職名:第三十八勝丸甲板員 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
勝丸…左舷船首部に亀裂を伴う凹損、左舷中央部ブルワークに曲損
イ号…右舷前部外板に亀裂を伴う凹損、左舷船尾付近外板に凹損

    原因
イ号…動静監視不十分、海交法の航法(航路)不遵守、船員の常務(新たな危険)不遵守(主因)
勝丸…動静監視不十分、警告信号不履行、海交法の航法(航路)不遵守、船員の常務(新たな危険)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、イスラ・ミンドロが、航路をこれに沿わないで航行し、第三十八勝丸と新たな衝突のおそれを生じさせたばかりか、動静監視不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、第三十八勝丸が、航路をこれに沿わないで航行したばかりか、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年2月28日22時10分
瀬戸内海来島海峡
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第三十八勝丸
総トン数 496トン
全長 66.80メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,471キロワット
船種船 名貨物船イスラ・ミンドロ
総トン数 2,981トン
全長 88.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,912キロワット
3 事実の経過
第三十八勝丸(以下「勝丸」という。)は、船尾船橋型砂利運搬船で、A、B両受審人ほか4人が乗り組み、空倉のまま、船首0.50メートル船尾2.00メートルの喫水をもって、平成9年2月28日12時30分関門港下関区を発し、岡山県笠岡港に向かった。
A受審人は、船橋当直を同人及びB受審人を含む4人による単独2時間半交替の4直制として瀬戸内海を東行し、19時00分からA受審人が当直に当たり、21時30分ごろ来島梶取鼻灯台の南西方2海里ばかりで次直のB受審人と交替した。
ところで、勝丸にはA受審人の父親が一等機関士として乗り組んでいたが、同人は有限会社Rの社長で、五級海技士(航海)の免状も受有し、乗組員配乗の都合で船長職を執ったり機関士職を執ったりしており、また、B受審人にも、必要に応じて船長、航海士及び甲板員などの各職を適宜執らせることにしていた。そして、A受審人が海技免状を取得してからは、同人にできるだけ船長職を執らせるようにしており、同人は単独で来島海峡を通航した経験を十分に積んでいた。
こうして、A受審人は、当直交替後も引き続き在橋して来島海峡航路に接近したが、船長経験が十分にあるB受審人に操船を任せておいても大丈夫と思い、むしろ同人の操船を見学するつもりで、自ら操船の指揮を執ることなく、操舵室の右舷側に置いてあるいすに腰掛けてB受審人の運航を傍観していた。
B受審人は、操舵スタンド後方に置いたいすに腰掛けて操船に当たり、21時50分ごろ来島海峡航路第2号灯浮標(以下、灯浮標の名称については「来島海峡航路」を省略する。)の北側480メートルのところで同航路に入航し、当時同海峡の潮流が順潮であったので中水道を経由して航行する予定であったが、四国側に近寄って航行することになる、航路中央より少し右側を東行した。
そのころB受審人は、右舷前方約1,000メートルのところに、自船より遅い速力で同航するイスラ・ミンドロ(以下「イ号」という。)の船尾灯を初認し、同船が自船よりさらに航路の右寄りを航行しており、間もなく2隻の反航船がイ号に対し、それぞれ探照灯を照射したり、単閃光を2回発したりしたものの、同船が両反航船と左舷を対して航過したので、イ号の運航に対して不審を持つようになった。
B受審人は、第4号灯浮標北側の航路屈曲部付近で右転したのち、大島及び大下島側に近寄って航行することになる、航路の左側に徐々に寄る進路で航行していたところ、イ号も航路の左側に寄り始め、間もなく自船の前路を左方に替わったのを認めた。
22時02分B受審人は、小島東灯標から330度(真方位、以下同じ。)1.4海里の地点に達したとき、中水道への航程を短縮し、船首方750メートルのイ号をできるだけ離すつもりで、海上交通安全法に定められている来島海峡航路の航法を順守してできる限り大島及び大下島側に近寄って航行せず、再び針路を航路の右側に寄る132度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、折からの南流に乗じて14.0ノットの対地速力で、航路をこれに沿わずに進行した。
一方、A受審人は、イ号が航路の右側を航行して反航船から探照灯を照射されているのを視認しており、やがてイ号の船尾灯が自船の右方から左方に替わったのを認めていたが、不審な行動をするイ号の動静を厳重に監視したり、B受審人に対し、中水道を経由して航行するのであるから、できる限り大島及び大下島側に近寄って航行するようにと指示したりするなど、自ら操船の指揮を執らなかった。
22時08分B受審人は、小島東灯標から042度800メートルの地点に達したとき、左舷船首40度680メートルのところでイ号が右転しているのを認め、同船が中水道に向けて回頭中で、自船も早めに右転すれば、イ号と安全な横距離を保って中水道に向かうことができるものと思い、進路を中渡島潮流信号所と馬島東端のナガセ鼻灯台の間に向首する153度に転じ、依然航路をこれに沿わない態勢のまま続航した。
22時09分少し前B受審人は、イ号がさらに回頭を続け、左舷船首60度500メートルのところで西水道に向かう態勢となり、自船と新たな衝突のおそれが生じたがまさかイ号が西水道に向けて転針するとは思わず、中渡島潮流信号所の信号や小武志島周辺に設置されていた架橋工事用灯浮標及び警戒船に気を取られ、イ号の動静監視不十分で、このことに気付かず、同船に対して警告信号を行い、機関を使用して行き脚を止めるなど、衝突を避けるための措置をとらないまま続航した。
22時10分少し前B受審人は、左舷前方至近にイ号の前部マスト灯と船体を認め、あわてて操舵を手動に切り替え、右舵一杯をとって機関を停止したが及ばず、22時10分小島東灯標から103度980メートルの地点において、勝丸は、原針路、原速力のまま、その船首がイ号の船首部右舷側に後方から51度の角度で衝突し、のち両船舷側が再び衝突した。
当時、天候は曇で風力2の南東風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、衝突地点付近には約2ノットの南流があった。
また、イ号は、船尾船橋型貨物船で、船長Cほか24人が乗り組み、空倉のまま、船首1.00メートル船尾4.50メートルの喫水をもって、同月27日22時45分大韓民国釜山港を発し、兵庫県姫路港に向かった。
ところで、C船長は、これまでに船長として来島海峡航路を6回通航した経験があったが、海上交通安全法により同航路の通航に関する特別な規定が定められていることを知らず、また、船内に備えられていた英国版海図に順潮時及び逆潮時の進路法が記載されていたが、これを読むこともしないまま、専ら中水道より可航幅の広い西水道を通航していた。
C船長は、関門海峡を経て瀬戸内海に入って東行し、翌28日21時47分ごろ、三等航海士を補佐に当たらせ、操舵手を手動操舵に、二等機関士を主機遠隔操縦装置にそれぞれ配置し、第2号灯浮標の北300メートルのところで来島海峡航路に入航したが、当時順潮時であったにもかかわらず、同航路の右側に付けて航行した。そして、第4号灯浮標の北側付近で2隻の反航船と行き会い、互いに左舷を対して航過しようとしたところ、これらが探照灯を照射して合図を送ってきたものの、その意図が分からないまま左舷を対して航過し、間もなく航路の中央を航行するため、針路を航路線より左方に転じた。
こうして、C船長は、航路の中央より少し左側を航行するようになり、22時01分小島東灯標から335度1.3海里の地点に達したとき、針路を航路に沿う123度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの南流に乗じて12.5ノットの対地速力で進行した。
C船長は、そのころ前路に数隻の大型船の船尾灯を視認しており、これらが全て馬島北方の航路屈曲部付近において中水道に向かう針路に転じて南下するのを認めたが、いつものとおり西水道を通航するつもりで、三等航海士にもその旨伝えて続航した。
22時06分C船長は、三等航海士からそろそろ西水道に向かう転針点である旨の報告を受けたので、海図室に入って船位を確認したうえ海図で西水道の状況を把握したのち、同時07分少し過ぎ小島東灯標から051度1,320メートルの地点でレーダーを確認し、右舷正横後60度750メートルのところに勝丸の映像を初めて認めた。しかし、同船長は、同船力同航船で、自船が中水道に向かわず西水道に向かう態勢となれば、相手船の方で避けてくれるものと思い、前方を見ながら右舵15度を令したところ、潮流に押されて回頭速度が十分に得られず、続いて右舵20度、30度と令したのち、針路を204度に保つよう指示し、中水道に向かう勝丸と新たな衝突のおそれがある状況を生じさせた。
22時09分少し前C船長は、204度の針路として航路をこれに沿わずに進行中、右舷船首70度500メートルのところに衝突のおそれがある態勢で接近する勝丸の白、白、紅3灯を視認できたものの、動静監視不十分でこのことに気付かず、中水道に向けて左転するなど、同船との衝突を避けるための措置をとらないで、原針路、原速力で続航中、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、勝丸は左舷船首部に亀裂を伴う凹損及び左舷中央部ブルワークに曲損を、イ号は右舷前部外板に亀裂を伴う凹損及び左舷船尾付近外板に凹損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、両船が順潮時の来島海峡航路馬島北方を南下する際、イ号が、航路をこれに沿って航行しないで西水道に向け転針し、中水道に向け南下する勝丸と新たな衝突のおそれを生じさせたばかりか、動静監視不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、勝丸が、大島及び大下島側に近寄る進路としないで、航路に沿って航行しなかったばかりか、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
勝丸の運航が適切でなかったのは、来島海峡航路を通航する際、在橋中の船長が、自ら操船の指揮を執らなかったことと、船橋当直者が動静監視を十分に行わなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
A受審人は、夜間、順潮時の来島海峡航路を通航する場合、自ら操船の指揮を執るべき注意義務があった。ところが、同人は、当直中の甲板員が船長経験が十分にあり、任せておいても大丈夫と思い、同人に操船及び見張りを任せたままいすに腰掛けてその運航を傍観し、自ら操船の指揮を執らなかった職務上の過失により、イ号との衝突を招き、勝丸の左舷船首部に凹損などを、イ号の右舷前部外板に凹損などをそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、夜間、順潮時の来島海峡航路馬島北方を、操船に当たって中水道に向け南下中、不審な運航をしていたイ号に後方から接近する場合、その動静を十分に監視すべき注意義務があった。ところが、同人は、まさかイ号が西水道に向けて転針するとは思わず、その動静を十分に監視しなかった職務上の過失により、同船が自船の前路に向けて転針し、新たな衝突のおそれが生じたことに気付かず、警告信号を行わないまま同船との衝突を招き、両船に前示の損傷をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION