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1999年(平成11年)

平成9年神審第64号
    件名
貨物船第八十三泰正丸貨物船徳安丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年1月27日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

工藤民雄、佐和明、清重隆彦
    理事官
坂本公男

    受審人
A 職名:第八十三泰正丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
B 職名:第八十三泰正丸次席一等航海士 海技免状:四級海技士(航海)
C 職名:徳安丸船長 海技免状:六級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
泰正丸…左舷船首部外板の一部に裂傷を伴う凹損
徳安丸…右舷中央部のブルワークに曲損

    原因
徳安丸…狭視界時の航法(避航動作・信号・レーダー)不遵守(主因)
泰正丸…狭視界時の航法(避航動作・レーダー・速力)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、徳安丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったばかりか、漂泊中に明石海峡航路内に圧流された際、航路外に出ようといちじ航路を逆航する態勢で回頭進行したことによって発生したが、第八十三泰正丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことも一因をなすものである。
受審人Cを戒告する。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年2月14日07時35分
明石海峡
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第八十三泰正丸 貨物船徳安丸
総トン数 488トン 199.18トン
全長 64.40メートル 36.70メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 441キロワット
3 事実の経過
第八十三泰正丸(以下「泰正丸」という。)は、主として兵庫県家島諸島と阪神間において砂などの輸送に従事する船尾船橋型の砂利採取運搬船で、A受審人及び息子のB受審人ほか3人が乗り組み、砂礫約1,200トンを載せ、船首3.30メートル船尾480メートルの喫水をもって、平成8年2月14日05時10分兵庫県家島港を発し、航行中の動力船の灯火を点灯して、同県神戸市垂水区舞子浜の海岸整備工事現場に向かった。
A受審人は、舞子浜までの短距離航海であったことから、発航操船に当たったのちも、朝食をとるため降橋したほかは在橋して操船の指揮を執り、05時54分ごろ上島南方に達したころ、霧模様となって1海里ばかり前方を先航していた同航船の船尾灯がかすみ、ほとんど見えなくなったので、機関を全速力前進より少し減じた回転数毎分240とし、9.0ノットの対地速力で、自動吹鳴装置による霧中信号を行いながら播磨灘北部を東行した。
その後、A受審人は、周囲が明るくなり視界が少し回復したので航海灯を消し、07時15分江埼灯台から269度(真方位、以下同じ。)2.3海里の地点にあたる、明石海峡航路西方灯浮標を左舷側に300メートル離して通過したとき、針路を071度に定め、それまで操舵をしていたB受審人を見張りに就け、自らは手動で操舵に当たるとともに時折舵輪左横にあるカラーレーダーを見ながら、明石海峡航路の西口南側付近に向け同一速力で進行した。
A受審人は、明石海峡航路の西口に近づくにつれ、海面付近が白っぽく見え始め、工事中の明石海峡大橋主塔の上部は視認できたものの、その下部が確認できない状況となり、07時25分江埼灯台の西北西方1,800メートル付近に差し掛かったころ、濃霧となって視程が200メートル足らずに狭められたので、機関を微速力前進に減じ、5.0ノットの対地速力で続航した。
このころ、操舵室コンソール左舷端にあるフード付き白黒レーダーを0.75海里レンジとして見ていたB受審人は、左舷船首方に4個の映像を探知し、A受審人に左前方に4個の映像がある旨の報告をしたが、これらが同航船のようで、A受審人がカラーレーダーを見ているようなので大丈夫と思い、自らがレーダーの監視に当たる立場にあったのに、その後レーダー監視を行わず、コンソール左舷端付近で肉眼での見張りに当たり、A受審人を適切に補佐しなかった。
一方、A受審人は、B受審人から左前方に4個の映像があるとの報告を受けたとき、これらが同船で問題ないものと思い込んだうえ、B受審人がレーダーを見てくれているものと思い、同人に対し、レーダーによる見張りを十分に行って探知した映像を適宜報告するよう指示することなく、また自らカラーレーダーを十分に監視することもしないで進行した。
07時31分半A受審人は、江埼灯台から329度1,300メートルの地点にあたる、明石海峡航路中央第1灯浮標を左舷側700メートルに通過して明石海峡航路に入航したとき、針路を航路に沿う088度に転じ、5.0ノットの対地速力で、航路内の南側境界線寄りを続航した。このころ徳安丸が明石海峡航路内の、左舷船首3度620メートルのところに漂泊しており、同船と著しく接近することを避けることができない状況であったが、B受審人から何らの報告もなく、また自らもレーダー監視を十分に行っていなかったので、このことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じないまま進行した。
07時33分A受審人は、徳安丸が左舷船首5度400メートルとなったとき、同船が自船の前路で機関を前進にかけ、ゆっくりと西から南方に向け左転を始めて衝突するおそれがある状況となったが、依然レーダー監視か不十分で、なおもこのことに気付かずに、速やかに行き脚を止める措置をとることなく続航した。
A受審人は、07時34分左舷船首方200メートルに徳安丸のマスト、次いで船体の右舷側を認めて同船が南方に向いていることを知り、驚いて右舵一杯をとり、さらに舵効きをよくするつもりで機関の回転数を上げたが及ばず、07時35分江埼灯台から350度1,100メートルの地点において、160度を向いた泰正丸の左舷船首が、4.0ノットの速力をもって、徳安丸の右舷中央部に後方から20度の角度で衝突した。
当時、天侯は霧で風はほとんどなく、視程は約200メートルで、潮候は下げ潮の中央期にあたり、明石海峡の潮流はほぼ転流時で、衝突地点付近には微弱な東北東流があった。
また、徳安丸は、山口県徳山下松港及び岡山県水島港と阪神間各港とを航行する船尾船橋型のセメント運搬船で、C受審人ほか2人が乗り組み、セメント250トンを載せ、船首2.25メートル船尾3.38メートルの喫水をもって、同月13日07時30分徳山下松港を発し、神戸港に向かった。
発航後、C受審人は、一等航海士と交互に5時間交替で、単独の船橋当直に当たって瀬戸内海及び播磨灘を東行し、翌14日05時30分ごろ淡路島富島港北方2.5海里付近で、一等航海士と交替して当直に就き、機関を全速力前進にかけ、9.0ノットの対地速力で明石海峡西口に向け進行した。
C受審人は、明石海峡西口に近づくにつれ、霧のため視界が狭められるようになり、05時45分半江埼灯台から271度1,500メートルの地点に達し、明石海峡航路の西口に1,300メートルに接近したとき、霧が濃くなって視程が約200メートルに狭められ、付近に漂泊する他船も認められるようになったので、明石海峡の通峡を断念して視界が回復するのを待つこととし、同時50分江埼灯台から301度700メートルの同航路南側境界線の外側において、機関を中立として漂泊を開始した。
漂泊開始後、C受審人は、昇橋した一等航海士及び機関長とともに周囲の見張りに当たり、1.5海里レンジとした白黒レーダーを一等航海士と交互に監視し、圧流されたときには機関を使用して移動しながら、江埼灯台の北側0.4海里付近の海域で、航行中の動力船の灯火のほか作業灯を点灯し、時々手動で対水速力を有しない場合の霧中信号を吹鳴して漂泊を続けた。
その後、徳安丸は、微弱な東北東流により徐々に圧流され、船舶交通の妨げとなるおそれのある、一方通航の明石海峡航路の南側境界線に近づき、やがて航路内に入るようになった。
07時25分ごろから視界が少し回復したようになり、やがてC受審人は、工事中の明石海峡大橋や明石海峡航路を通航する他船が視認できるようになったので、汽笛の吹鳴を中止し、航海を再開しようと考えていたところ、同時30分ごろ再び霧が濃くなって視程が約200メートルに狭められるようになったので、再度、明石海峡の通峡を取り止めることにした。
C受審人は、07時31分半江埼灯台から357度1,200メートルの地点で、船首が270度に向いていたとき、左舷船首5度620メートルに、明石海峡航路に入航して航路内の南側境界線寄りを東行する態勢となった泰正丸をレーダーで探知できる状況になり、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、いちじ視界が少しよくなったことに気を許し、肉眼での見張りに当たり、レーダーによる見張りを十分に行うことなく、このことに気付かず、対水速力を有しない場合の霧中信号を行わなかった。
07時33分C受審人は、泰正丸が左舷船首7度400メートルに接近したとき、自船が明石海峡航路の南側境界線内に入っているような気配を感じ、淡路島北岸寄りに移動することとしたが、少しの間移動するだけなので大丈夫と思い、依然レーダーによる見張りを十分に行うことなく、衝突の危険がなくなるまで行き脚を止め続けずに、自ら操舵に当たって左舵25度とし、機関を約3ノットの微速力前進にかけ、霧中信号を行わないまま、ゆっくりと左回頭を開始し、いちじ明石海峡航路の中央から右の部分を逆航する態勢で進行した。
こうして、C受審人は、左転を続けていたところ、07時34分半少し過ぎ右舷正横至近に、自船に向けて接近する泰正丸の船首部を初認し、驚いて機関を停止するとともに舵を少し戻したが及ばず、徳安丸は、180度を向首し、2.0ノットの対地速力で、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、泰正丸は、左舷船首部外板の一部に裂傷を伴う凹損を生じ、徳安丸は、右舷中央部のブルワークに曲損を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、霧のため視界が制限された明石海峡航路において、航路の通航を中止して南側境界線の外で漂泊中の徳安丸が、航路内に圧流され、航路を東行する泰正丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、霧中信号を行わず、レーダーによる見張り不十分で、航路外に出ようと発進し、航路の中央から右の部分をいちじこれを逆航する態勢で回頭進行したことによりて発生したが、泰正丸が、徳安丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、レーダーによる見張り不十分で、速やかに行き脚を止める措置をとらなかったことも一因をなすものである。
泰正丸の運航が適切でなかったのは、操舵に当たりながら指揮を執っていた船長が、補佐に当たっていた次席一等航海士に対し、レーダーによる見張りを十分に行って探知した映像を適宜報告するよう指示しなかったことと、同航海士が、レーダーによる見張りを十分に行わなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
C受審人は、霧のため視界が制限された明石海峡において、同海峡の通峡を中止して明石海峡航路の南側境界線の外で漂泊中、微弱な東北東流により航路内に圧流され、航路外に移動を開始しようとする場合、航路を東行して接近する泰正丸を早期に発見できるよう、レーダーによる見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、少しの間移動するだけなので大丈夫と思い、肉眼での見張りに当たり、レーダーによる見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、泰正丸が著しく接近することを避けることができない状況となって東行していることに気付かず、航路外に出ようと航路の中央から右の部分をいちじ逆航する態勢で左回頭進行して衝突を招き、泰正丸の左舷船首部外板の一部に裂傷を伴う凹損並びに徳安丸の右舷中央部ブルワークに曲損を生じさせるに至った。
以上の渡邊受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人は、霧のため視界が制限された明石海峡航路において、自ら操舵に当たりながら指揮を執り、次席一等航海士を見張りに就けて東行する場合、同航海士に対し、レーダーによる見張りを十分に行って探知した映像を適宜報告するよう指示すべき注意義務があった。
しかるに、同人は、次席一等航海士がレーダーによる見張りを十分に行って探知した映像を適宜報告してくれるものと思い、レーダーによる見張りを十分に行って探知した映像を適宜報告するよう指示しなかった職務上の過失により、航路内に圧流されて漂泊中の徳安丸と著しく接近することを避けることができない状況となったことに気付かず、行き脚を停止する措置をとることができずに進行して衝突を招き、前示のとおり両船に損傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、霧のため視界が制限された明石海峡航路を東行中、見張りに当たって船長の補佐に当たる場合、前路で漂泊している徳安丸を見落とすことのないよう、レーダーによる見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、船長が時折レーダーを見ているようなので大丈夫と思い、肉眼での見張りに当たり、レーダーによる見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、徳安丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、船長に適切な報告を行うことができずに進行して衝突を招き、前示のとおり両船に損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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