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1999年(平成11年)

平成10年神審第41号
    件名
ケミカルタンカー三秀丸貨物船エンプレス ヘブン衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年4月22日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

佐和明、工藤戻雄、西林眞
    理事官
平野浩三

    受審人
A 職名:三秀丸船長 海技免状:五級海技士(航海)(旧就業範囲)
    指定海難関係人

    損害
三秀丸…左舷船首部が圧壊、のち廃船、一等航海士が裂創
工号…右舷外板が中央部から船尾にかけて凹損をともなう擦過傷

    原因
三秀丸…狭視界時の航法(速力、信号、レーダー)不遵守
エ号…狭視界時の航法(速力、信号)不遵守

    主文
本件衝突は、三秀丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことと、エンプレス ヘブンが、視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年2月14日07時55分
和歌山県日ノ御埼沖合
2 船舶の要目
船種船名 ケミカルタンカー三秀丸 貨物船エンプレス ヘブン
総トン数 319.53トン 46,734.00トン
全長 275.70メートル
登録長 46.18メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 30,964キロワット
3 事実の経過
三秀丸は、船尾船橋型ケミカルタンカーで、A受審人ほか5人が乗り組み、メチルイソプチルケトン350トンを載せ、船首2.80メートル船尾3.80メートルの喫水をもって、平成8年2月13日11時40分山口県岩国港を発し、京浜港に向かった。
A受審人は、船橋当直を同人含めて3人による単独4時間3直制として瀬戸内海を東行し、翌14日00時ごろから約4時間鳴門海峡北側で潮待ちのため漂泊したのち同海峡を通過し、05時10分鳴門飛鳥灯台から145度(真方位、以下同じ。)4.6海里の地点で、レーダーによって和歌山県日ノ御埼を3海里離して航過するよう、141度の針路としたうえ、船橋当直を甲板員に任せて降橋した。
自室で休息をとっていたA受審人は、06時30分紀伊日ノ御埼灯台(以下「日ノ御埼灯台」という。)から303度11.2海里の地点に達したとき、霧模様となったのを自室の窓越しに認め、昇橋し操船の指揮をとり、そのころまだ視程が1.5海里ほどあったので、引き続き針路を141度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、折りからの微弱な南流により約1度右方に圧流しされながら、10.5ノットの対地速力で進行した。
A受審人は、日ノ御埼に近づいたころから霧が濃くなり、視程も1,000メートルから100メートルの間で断続的に良くなったり悪くなったりするようになったので、自らレーダーによる監視に当たり、当直中の甲板員には肉眼で見張りを行わせ、07時31分日ノ御埼灯台から231度3.7海里の地点において同灯台に並航したとき、船首方向2海里から4海里にかけて漁船群の映像を認めるようになったが、速やかに安全な速力に減じ、霧中信号を行うなどの措置をとらないまま、漁船群を左舷側に替わすため、針路を146度に転じたのみで続航した。
07時44分少し前A受審人は、日ノ御埼灯台から201度4.5海里の地点に達したとき、左舷前方6海里付近に来航するエンプレス ヘブン(以下「エ号」という。)の映像を6海里レンジとしたレーダーで探知できる状況となったものの、近くの漁船群の動向に気を奪われてこのことに気付かなかった。そして、同時49分少し過ぎエ号の映像が左舷船首5度約3海里となり、その後急速に近づき、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、依然レーダーによる前路の見張りが不十分でこのことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行き脚を止めることもしないで進行した。
07時52分少し過ぎA受審人は、エ号の映像が左舷船首5度1.2海里となったとき、ようやく同船の映像に気付いたが、なおも機関を使用して行き脚を止める措置をとらず、左舷を対して替わすつもりで自動操舵のまま針路を166度に転じて続航中、同時54分半少し過ぎ左舷前方近くに相手船の船首を初めて視認し、手動操舵に切り替えて右舵一杯、機関停止としたが及ばず、07時55分日ノ御埼灯台から186度6.0海里の地点において、180度を向いた三秀丸の左舷船首が、ほぼ原速力のまま、エ号の右舷側中央部外板に後方から約70度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風力3の北風が吹き、視程は約150メートルで、潮候はほぼ低潮時であった。
また、エ号は、コンテナ専用船で、船長B、三等航海士Cほか27人が乗り組み、コンテナ742個20,808トンを載せ、船首10.10メートル船尾10.30メートルの喫水をもって、同月13日16時55分京浜港横浜区を発し、神戸港に向かった。
翌14日07時45分C三等航海士は、日ノ御埼灯台から167度8.6海里の地点に達したとき昇橋して前直者と当直を交替し、針路を引き続き317度に定め、同じく当直を交替した操舵手を手動操舵に当たらせ、機関を全速力前進にかけ22.1ノットの対地速力で進行した。
定針時C三等航海士は、6海里レンジとしたレーダーで右舷船首方向5.3海里のところに三秀丸の映像を初めて認め、更に同船の手前に漁船群の映像も認めていたところ、間もなく霧となり視程が約150メートルまで狭められたが、このことを船長に報告せず、また、速やかに安全な速力に減じ、霧中信号を行うなどの措置をとらなかった。
07時49分少し過ぎC三等航海士は、三秀丸の映像を右舷船首3度3海里に認め、その後急速に近づき、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行き脚を止めることもしないで続航した。
07時52分C三等航海士は、相手船がますます接近するので不安に思い、汽笛で長音1回を吹鳴し、相手船の接近模様をレーダーによって監視するうち衝突の危険を感じ、、同時53分半右舷前方の漁船群に入るのを避けて相手船を避航するため、操舵手に左舵10度を、引き続き左舵20度を指示して回頭中、船首が250度を向いたとき、前示のとおり衝突した。
B船長は、汽笛の吹鳴音と自船が回頭を始めたことに気付いて衝突の約1分前に昇橋し、事態を十分に把握できないまま三秀丸との衝突を目撃したが、衝突の衝撃が少なかったので、相手船の安全を確認しないまま航行を続け、のち海上保安部から三秀丸との衝突を告げられた。
衝突の結果、三秀丸は左舷船首部が圧壊し、エ号は右舷外板が中央部から船尾にかけて凹損をともなう擦過傷を生じ、三秀丸は修理されないまま廃船とされ、エ号はのち修理された。また、三秀丸一等航海士Dが衝突時の衝撃で裂創などの傷を負った。

(原因)
本件衝突は、両船が霧のため視界制限状態となった和歌山県日ノ御埼沖合を航行中、南下する三秀丸が、霧中信号を行うことも安全な速力に減じることもなく、レーダーによる見張りが不十分で、エ号と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行き脚を止めなかったことと、北上するエ号が、霧中信号を行うことも安全な速力に減じることもなく、レーダーで前路に認めた三秀丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行き脚を止めなかったこととによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人は、霧のため視界制限状態となった日ノ御埼沖合を、レーダーにより前路に漁船群を探知して南下する場合、速やかに安全な速力に減じたうえ、反航する他船を早期に探知できるようレーダーによる前路の見張りを厳重に行うべき注意義務があった。ところが、同人は安全な速力に減じないまま、漁船群に接近してその動向に気を奪われ、レーダーによる前路の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、北上するエ号に気付くのが遅れ、同船と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最少限度の速力に減じず、必要に応じて行き脚を止めずに同船との衝突を招き、三秀丸の左舷船首部を圧壊させるなどの損傷を、エ号の右舷外板に凹損をともなう擦過傷をそれぞれ生じさせ、三秀丸乗祖員に裂創などの傷を負わせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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