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1999年(平成11年)

平成9年門審第123号
    件名
貨物船ダイハツ丸8ケミカルタンカー第七天龍丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年2月18日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

伊藤實、吉川進、清水正男
    理事官
平良玄栄

    受審人
A 職名:ダイハツ丸8船長 海技免状:三級海技士(航海)
B 職名:第七天龍丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
C 職名:第七天龍丸次席一等航海士 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
ダイハツ丸…左舷船首部のブルワークに小曲損
天龍丸…右舷船尾部のボートデッキに小損及び搭載艇に破損

    原因
ダイハツ丸…追い越しの航法(避航動作)不遵守、追い越し信号不履行(主因)
天龍丸…動静監視不十分、警告信号不履行(一因)

    主文
本件衝突は、関門港関門航路において、ダイハツ丸8が、安全にかわりゆく余地がないのに、第七天龍丸の追越しを中止しなかったばかりか、追越し信号を行わなかったことによって発生したが、第七天龍丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
受審人Cを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年2月11日06時30分
関門港早靹瀬戸
2 船舶の要目
船種船名 貨物船ダイハツ丸8 ケミカルタンカー第七天龍丸
総トン数 699トン 454トン
全長 76.02メートル 55.95メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,471キロワット 735キロワット
3 事実の経過
ダイハツ丸8(以下「ダイハツ丸」という。)は、神戸港から関門港下関区、博多港、大分港及び宮崎港に運航する、船首船橋型の自動車運搬船で、A受審人ほか5人が乗り組み、軽自動車430台を載せ、船首3.0メートル船尾4.0メートルの喫水をもって、平成9年2月10日午前10時50分神戸港を発し、博多港に向かった。
A受審人は、船橋当直を自らを含む、航海士の免状を有する一等機関士及び一等航海士の3人による、単独4時間交替の3直制を出港時から採り、明石海峡備讃瀬戸及び来島海峡の狭水道で操船指揮に当たって瀬戸内海を西行し、翌11日02時30分大分県姫島沖合に至ったとき、前直の一等航海士から船橋当直を引き継ぎ、法定灯火の点灯を確かめたのち、13.0ノットの全速力前進としたまま、自動操舵により進行した。
05時45分A受審人は、下関南東水道第2号灯浮標付近で、操舵を手動に切り換え、06時07分部埼灯台から027度(真方位、以下同じ。)1,100メートルの沖合で、朝食の支度を終えて昇橋してきた司厨員を見張りに当たらせ、中ノ州南西灯浮標を右舷側200メートルに離す針路で航行中、同時10分同灯台から347度1,280メートルのところで、右舷船首方1,350メートルに第七天龍丸(以下「天龍丸」という。)の船尾灯を、また、右舷船首方で天龍丸の前方にプッシャーバージ(以下「第三船」という。)の船尾灯をそれぞれ初めて視認し、さらにその前方にも2隻の同航船の船尾灯を認め、これらの同航船に留意しながら進行し、同時15分同灯台から319度1.2海里の地点に達したとき、針路を前田沖灯浮標に向けて航行した。
A受審人は、06時22分門司埼灯台から056度1.5海里の地点に至ったとき、針路を関門橋橋梁灯(C1灯)より少し右側に向く240度に定め、機関を全速力前進にかけたまま関門航路に入り、折からの北東方に向かう潮流に抗し、1度左方に圧流されて10.0ノットの対地速力となって進行した。
定針したころA受審人は、左舷船首7度1,160メートルに天龍丸の船尾灯を認め、同船が航路の左寄りに位置して、右舷船首方の第三船を追い越しているのを認め、両船間の並航距離が200メートルあって、両船とも自船の速力より遅く、自船の針路が両船間の中央を向いていたので、作動中のレーダーで両船の動静を確かめることなく、関門橋付近の早靹瀬戸の関門航路が屈曲した狭い水路で、潮流が強くてその影響が大きく、反航船もあることを予測すると航路に追い越す余地がなかったが、このままの針路、速力で、天龍丸と第三船を左右舷側にそれぞれ100メートル離して無難に追い越せるものと思い、速力を減じて追い越すことを中止せず、しだいに両船を追い越す態勢で接近した。
06時24分A受審人は、門司埼灯台から055度1.1海里の地点に至ったとき、潮流で右方に2度圧流されて9.0ノットの対地速力となり、そのころ、天龍丸が左舷船首13度830メートルのところで針路を左右に転じて自船の前路に接近する状況であったものの、右舷前方の第三船に気をとられ、このことに気付かないまま進行した。
A受審人は、06時28分門司埼灯台から049度950メートルの地点で、右舷側の第三船と並航し、その距離が50メートルに接近して危険を感じたので、追越しを中止して同船に追随するつもりで機関を半速力前進に減じたところ、潮流により5度右方に圧流されて、7.5ノットの対地速力となって続航中、左舷船首方に反航船1隻の白、白、紅3灯を認め、同時29分左舷船首方の天龍丸が白、緑2灯を見せて正船首に向けて急接近するのを認めたので、急いで機関を中立としたが及ばず、06時3分門司埼灯台から034度540メートルの地点において、ダイハツ丸は、原針路で7.0ノットの速力となったその左舷船首が天龍丸の右舷船尾部のボートダビットに後方から20度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力6の西寄りの風が吹き、衝突地点付近では約6.0ノットの北東流があった。
また、天龍丸は、岡山県水島港から熊本県水俣港に専ら液体化学製品を輸送する、船尾船橋型のケミカルタンカーで、B及びC両受審人ほか4人が乗り組み、酢酸ビニルモノマー630トンを載せ、船首3.6メートル船尾4.3メートルの喫水をもって、同月10日13時50分水島港を発し、水俣港に向かった。
B受審人は、船橋当直を自らを含む、一等航海士及びC受審人の3人による、単独4時間交替の3直制を採っていたが、潮流の速い船舶交通がふくそうする狭水道を通航するに当たり、当直航海士が船長の経歴を有していたうえ、通航する狭水道での操船経験があったので、自ら操船指揮をとらなくても当直航海士に任せておけば大丈夫と思い、早鞆瀬戸の関門航路が屈曲した狭い水路を通航する際にも、C受審人に対して自ら昇橋して操船指揮をとる地点を明示して報告するように指示しなかった。
翌11日03時35分C受審人は、山口県宇部港本山ノ州の東方9海里沖合で、前直の一等航海士から船橋当直を引き継ぎ、法定灯火が点灯されていることを確かめたのち、10.5ノットの全速力前進のまま、自動操舵により単独で見張りと操船に当たって進行した。
06時00分部埼の北東方沖合に差し掛かったとき、C受審人は、操舵を手動に切り換えて見張りと操舵に当たり、中ノ州南西灯浮標及び中ノ州西灯浮標をそれぞれ右舷側に100メートル離して、中央水道の推薦航路線の北側250メートルをこれに沿って航行し、同時12分部埼灯台から316度1.5海里の地点で、針路を関門航路に向けたとき、左舷船尾方1,200メートルに自船の速力より早いダイハツ丸の白、白、緑3灯を初めて視認し、そのころ前方に自船の速力より遅い第三船を含む3隻の同航船の船尾灯も認め、関門航路の狭い水路に近づき、船舶交通がふくそうしていたが、船長からの指示がなかったので、このことを船長に報告しなかった。
C受審人は、06時17分少し前関門航路に入り、同時17分門司埼灯台から057度1.4海里の地点で、針路を239度に定め、機関を全速力前進にかけたまま、折からの潮流により、2度左方に圧流されて7.7ノットの対地速力で進行した。
定針したころ、C受審人は、第三船の船尾灯を右舷船首方600メートルに認め、その後同船に追い越す態勢で接近し、06時20分門司埼灯台から057度1.0海里の地点に達したとき、ダイハツ丸が左舷船尾方にしだいに接近してきたのを認めたが、まさか関門橋の手前で自船を追い越すことはあるまいと思い、以後、同船の動静を監視することなく、第三船を右舷船首45度300メートルに見るようになったので、同船をさらに右方に離して追い越すつもりで、針路を233度に転じ、第三船に近寄り過ぎたとも感じて機関を8.0ノットの半速力に減じ、潮流により5度左方に圧流されて、5.0ノットの対地速力となって西行した。
06時22分C受審人は、ダイハツ丸が正船尾1,160メートルのところで、関門航路に入って自船を追い越す態勢で接近してきたが、このことに気付かず、同時24分門司埼灯台から061度1,250メートルの地点に至ったとき、第三船とほぼ並航したので、針路を元に戻すために242度に転じ、潮流で8度右方に圧流されて4.0ノットの対地速力となり、そのころ、ダイハツ丸が右舷船尾14度830メートルのところから追い越す態勢で接近してきたが、依然、動静監視不十分で、これに気付かず、警告信号を吹鳴することなく続航した。
C受審人は、06時29分門司埼灯台から051度620メートルの地点に至ったとき、関門橋の西側から来航する反航船の白、白、紅、緑4灯を認め、そのころ、ダイハツ丸が右舷船尾50度150メートルに接近しており、大きく右転すると衝突のおそれがあったが、このことに気付かず、反航船を互いに左舷を対して避けるため、針路を火ノ山下潮流信号所の電光表示板より少し左に向く288度にしようと、急いで右舵10度をとったところ、潮流により船首が右方に大きく圧流され、同時29分半反航船を左舷側100メートルに離して替わる見通しがついたところで、元の針路に戻そうとして左舵10度をとって左転中、天龍丸は、その船首が260度を向いたとき、6.5ノットの対地速力で、前示のとおり衝突した。
B受審人は、異常音を聞き、急いで昇橋してダイハツ丸との衝突を知り、以後、同船と連絡をとるなどの事後措置に当たった。
衝突の結果、ダイハツ丸は、左舷船首部のブルワークに小曲損を生じ、天龍丸は、右舷船尾部のボートデッキに小損及び搭載艇に破損を生じたが、のち修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、東の潮流が強い関門港早靹瀬戸の関門航路において、西行中のダイハツ丸が、安全にかわりゆく余地がないのに、先航する第三船と天龍丸との追越しを中止しなかったばかりか、追越し信号を行わなかったことによって発生したが、天龍丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
天龍丸の運航が適切でなかったのは、船長が、船橋当直者に対して狭水道通航時の報告について指示しなかったことと、船橋当直者が、狭水道通航時の報告及び接近した船舶に対する措置が適切でなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
A受審人は、夜間、関門港早靹瀬戸の関門航路を西行中、先航する第三船と天龍丸に接近する場合、東の潮流が強く、航行船舶がふくそうして安全にかわりゆく余地がなかったのであるから、追越しを中止すべき注意義務があった。しかるに、同人は、航路の左側寄りで、左舷船首方を先航中の天龍丸と、右舷船首方を先航中の第三船との間を無難に追い越せるものと思い、速力を減じて追越しを中止しなかった職務上の過失により、追越し信号を行わないまま、両船を追い越す態勢で進行し、反航船を避けるため航路の右側に寄せてきた天龍丸との衝突を招き、自船の左舷船首部ブルワークに小曲損を生じさせ、天龍丸の右舷船尾部のボートデッキ及び搭載艇に損傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、東の潮流が強く、航行船舶がふくそうする関門港早靹瀬戸の関門航路を航行する予定で、船橋当直を航海士に委ねる場合、同航路において昇橋して操船指揮がとれるよう、昇橋地点を明示してその報告を指示すべき注意義務があった。しかるに、同人は、当直航海士が船長の経歴を有して関門航路を操船した経験があったから、指示しなくても何かあれば報告してくれるから大丈夫と思い、昇橋地点の報告を指示しなかった職務上の過失により、追越しの態勢で接近するダイハツ丸に対する動静監視が不十分となって、同船に対して警告信号を行うことができないまま進行し、ダイハツ丸との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
C受審人は、夜間、単独で船橋当直に就き、東の潮流が強く、航行船舶がふくそうする関門港早靹瀬戸の関門抗路を航行中、後方から接近するダイハツ丸を視認した場合、引き続き、同船の動静監視を行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、関門橋の手前で追い越すことはあるまいと思い、追越し中の第三船などに気をとられ、ダイハツ丸の動静監視を行わなかった職務上の過失により、接近するダイハツ丸に気付かず、同船に対して警告信号を行わないまま進行して衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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