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1999年(平成11年)

平成10年門審第39号
    件名
貨物船第十優昭丸貨物船キムヤン トレーダー衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年7月2日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

宮田義憲、西山烝一、平井透
    理事官
喜多保

    受審人
A 職名:第十優昭丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:第十優昭丸一等航海士 海技免状:四級海技士(航海)(旧就業範囲)
    指定海難関係人

    損害
優昭丸…左舷船首部外板を損傷
キ号…右舷前部外板に凹損

    原因
優昭丸、キ号…狭視界時の航法(速力・信号)不遵守

    主文
本件衝突は、第十優昭丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことと、キムヤン トレーダーが、視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年7月14日02時23分
瀬戸内海周防灘
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第十優昭丸 貨物船キムヤン トレーダー
総トン数 299トン 879トン
全長 64.02メートル 72.69メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 956キロワット
3 事実の経過
第十優昭丸(以下「優昭丸」という。)は、主として鋼材の輸送に従事する船尾船橋型の貨物船で、A及びB両受審人ほか2人が乗り組み、海水バラスト650トンを載せ、空倉のまま、船首1.90メートル船尾3.20メートルの喫水をもって、平成8年7月14日00時00分関門港若松区を発し、兵庫県姫路港に向かった。
A受審人は、発航とともに操船指揮にあたり、B受審人に補佐させて関門海峡を航過し、01時44分部埼灯台から135度(真方位、以下同じ。)2.1海里の地点において、針路を125度に定め、自動操舵として、機関を11.0ノットの全速力前進とし、B受審人に船橋当直を委ね、降橋して自室で休息した。
B受審人は、単独で当直に就き、02時00分本山灯標から281度7.6海里の地点に達したとき、にわかに霧がかかりはじめ、視程が300メートルばかりとなり、視界が制限される状態となったところから、霧中信号を吹鳴して同時02分機関を9.5ノットに減速した。
その後更に視界が悪化してきたが、B受審人は、平素からの船長の指示に反して、霧となったことを船長に報告することなく、その後引き続いて霧中信号を吹鳴することも、安全な速力に減ずることも行わないまま、レーダーを監視しながら続航するうち、02時04分本山灯標から279度7.0海里の地点に達したとき、レーダーで左舷船首5度2.8海里のところにキムヤン トレーダー(以下「キ号」という。)の映像を初めて認め、しばらく同船の映像を監視したところ、その方位に大きな変化が認められないので同船と著しく接近することとなるものと判断し、同船と左舷を対して航過するつもりで、同時05分右舵をとり、針路を130度に転じて進行した。
B受審人は、その後もキ号の方位がほとんと変わらないまま接近するので、02時09分少し前霧中信号を呪糺て針路を135度に転じ、同時10分左舷船首4度1.9海里となり、同船と著しく接近することを避けることができなし状況となったが、二度にわたって右転したからキ号と互いに左舷を対して航過できるものと思い、速やかに針路を保つこと力できる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止める措置をとることなく続航し、同時16分同船が左舷船首2度1.0海里になったのを認めて更に5度右転して針路を140度としたものの、依然としてその方位にほとんど変化がないまま接近するのを認め、同時22分三度目の霧中信号を吹鳴した。
食堂でテレビを見ていたA受審人は、これを聞き、初めて霧中信号であることに気付き、急ぎ昇橋してB受審人の報告を聞き、02時22分少し過ぎ取りあえず手動操舵として15度の右転を指示したうえ、レーダーを見たところ中心点至近に迫ったキ号の映像を認め、同時23分少し前右舵一杯を指示して自ら機関を全速力後進としたが及ばず、優昭丸は、02時23分本山灯標から258度5.0海里の地点において、その船首が170度を向いたとき、原速力のまま、左舷船首がキ号の右舷側前部に後方から30度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の初期で、視程は50メートルであった。
また、キ号は、可変ピッチプロペラを装備し、大韓民国諸港と千葉港、大阪港及び名古屋港間の鋼材輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、船長Cほか9人が乗り組み、鋼製コイル1,668トンを載せ、船首4.00メートル船尾5.20メートルの喫水をもって、同月8日12時00分同国光陽港を発し、関門海峡経由で千葉港に向かった。
C船長は、越えて14日01時12分ごろ同海峡を航過し、視界制限状態の周防灘を航行中、本山灯標から268度4.6海里の地点において、他船と衝突したので昇橋して事後処置にあたり、機関長と甲板手1人を船橋に残して補佐させ、一等航海士をはじめ他の乗組員を衝突箇所及び損害の調査に赴かせた。
C船長は、視程が50メートルばかりとなっている海域で、船舶交通の輻輳する航路筋にそのまま漂泊することによる二次災害の発生を懸念して航路筋から離脱することとし、02時03分同地点を発進し、機関を7.0ノットの半速力前進にかけ、徐々に速力を上げ、200度方向に向けてゆっくり右転しながら進行した。
C船長は、02時04分本山灯標から267度4.6海里の地点に達したとき、レーダーで右舷船尾68度2.8海里のところに優昭丸の映像を認めることができ、同船と著しく接近することとなる状況となったものの、これに気付かず、霧中信号を吹鳴することも、レーダーによる見張りを十分に行うこともしないまま続航した。
C船長は、調査結果の詳報を得ないで速力を上げて航走することによる浸水の危険を感じ、02時10分本山灯標から261度4.8海里の地点において、針路を200度とし、機関の翼角を0として惰力で前進し始めたとき、優昭丸が右舷船尾69度1.9海里となり、その後その方位がほとんど変わらず、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、衝突による損傷状況が気になり、依然としてレーダーによる見張りを十分に行わず、これに気付かないまま、速やかに機関を後進にかけて行きあしを停止することなく進行し、同時23分少し前右舷至近に迫った優昭丸の船影を初めて視認したものの、どうすることもできず、キ号は、原針路のまま、わずかな行きあしをもって前示のとおり衝突した。
衝突の結果、優昭丸は左舷船首部外板を損傷し、キ号は右舷前部外板に凹損を生じたがのちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、優昭丸及びキ号の両船が、霧による視界制限状態の山口県宇部港沖合を航行中、東行する優昭丸が霧中信号を吹鳴しなかったばかりか、安全な速力とせず、レーダーで前路に探知したキ号と著しく接近することを避けることができなし状況となった際、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことと、南行するキ号が霧中信号を吹鳴せず、レーダーによる見張り不十分で、優昭丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、速やかに機関を後進にかけて行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。

(受審人の所為)
B受審人は、夜間、霧による視界制限状態の山口県宇舗轡袷を東行中、レーダーで前路に認めたキ号と著しく接近することを避けることができない状況となった場合、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかしながら、同人は、二度にわたって右転したから左舷を対して航過できるものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを止める措置もとらなかった職務上の過失により、キ号との衝突を招き、優昭丸の左舷船首部外板を損傷し、キ号の右舷前部外板に凹損を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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