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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年5月7日11時10分 大分県国東半島東方沖合 2 船舶の要目 船種船名 油送船第六十いづみ丸
油送船第弐拾壱一洋丸 総トン数 499トン
199トン 全長 58.92メートル
48.00メートル 機関の種類 ディーゼル機関
ディーゼル機関 出力 748キロワット
735キロワット 3 事実の経過 第六十いづみ丸(以下「いづみ丸」という。)は、可変ピッチプロペラを装備した船尾船橋型の液化石油ガス運搬船で、A及びB両受審人ほか4人が乗り組み、空倉のまま、船首1.2メートル船尾3.5メートルの喫水をもって、平成9年5月6日12時10分熊本県八代港を発し、大分県大分港に向かった。 ところで、A受審人は、船橋当直を同人、B受審人及び次席一等航海士による単独4時間の3直制とし、狭水道及び視界制限状態時は自ら操船の指揮を執っており、また、昼食の食事交替にはB受審人を船橋当直に就かせていた。 A受審人は、翌7日07時30分ごろ関門海峡東口の部埼南東方1.2海里付近で前直者と交替して船橋当直に就き、周防灘を東行して10時25分姫島水道西口に差し掛かったころ、霧により視程が1海里以下になったことから、法定の灯火を掲げて機関用意とし、10時48分姫島灯台から173度(真方位、以下同じ。)4.5海里の地点に達したとき、150度の予定針路線にのせるよう針路を145度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、折からの南東流に乗じて12.9ノットの対地速力で進行した。 10時50分A受審人は、視程が300メートルに狭められたのを認めたが、霧中信号を行うことも安全な速力にすることもせず、このころ3海里レンジとしたレーダーで船首方に他船の映像を見かけなかったことから、食事をとる少しの間なら船橋を離れても大丈夫と思い、食事交替のために昇橋したB受審人に船橋当直を任せ、針路等を引き継いで降橋した。 B受審人は、当直を交替して間もなく視程が150メートルに狭められたのを認め、3海里レンジとしたレーダーで見張りに当たり、11時01分船首方2.7海里のところに砂利運搬船(以下「第三船」という。)及びほぼ同方向2.9海里のところに第弐拾壱一洋丸(以下「一洋丸」という。)のレーダー映像を初めて認め、同時03分国東港南防波堤灯台(以下「南防波堤灯台」という。)から011度2.8海里の地点に達し、船位が予定針路線上にのったとき、両船のレーダーの航跡からいずれも自船の左舷側を航過するように見えたので、航過距離を離すため針路を158度に転じて続航した。 11時04分B受審人は、第三船の映像を左舷船首4度1.6海里、一洋丸の映像を同方位わずか右の1.8海里に認め、両船と著しく接近することを避けることができない状況になったことを知ったが、左舷を対して無難に航過できるものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを止めることもなく進行し、同時06分第三船が0.9海里に接近し不安を感じたものの、A受審人に報告しないまま当直を続け、同時07分A受審人が食事を終えて昇橋したとき、一洋丸と第三船の接近模様を引き継ぎ、引き続き在橋して見張りを続けた。 当直を交替したA受審人は、11時07分半わずか過ぎ左舷船首7度600メートルに第三船の映像を、左舷船首14度1,100メートルに一洋丸の映像をそれぞれ確かめたが、第三船を替わしてから一洋丸を替わそうと思い、速やかに行きあしを止める措置をとることなく、手動操舵に切り替えて翼角を0度の中立回転とし、間もなく左舵20度を取り、同時09分少し前左転しながら第三船を右舷方60メートルに替わした。そして、次に右転して一洋丸を替わすつもりで、右舵15度を取り、舵効きを良くするため、翼角を徐々に操作して半速力前進にまで増速しながら続航した。 11時10分少し前船首が右回頭を始めたとき、A受審人は、右舷船首45度120メートルに一洋丸を視認し、機関を全速力後進にかけて舵中央としたが効なく、11時10分南防波堤灯台から035度2.1海里の地点において、いづみ丸は、079度を向いたその船首が7.5ノットの速力で、一洋丸の左舷前部にほぼ直角に衝突した。 当時、天候は霧で風力3の北西風が吹き、潮候は下げ潮の末期にあたり、付近には1.9ノットの南東流があり、視程は約150メートルであった。 また、一洋丸は、船尾船橋型の油送船で、C受審人ほか3人が乗り組み、ガソリン620キロリットルを積載し、船首2.4メートル船尾3.5メートルの喫水をもって、同月7日09時10分大分県大分港を発し、長崎県佐世保港に向かった。 C受審人は、出航後間もなく霧により視程が約1海里になったことから引き続き操船に当たり、甲板員を見張りに就けて国東半島東岸に沿って北上し、10時47分ごろ黒津ノ鼻の沖合で第三船が右舷方から追い越していくのを視認した。 10時50分視界が更に悪化して視程が150メートルになったが、C受審人は、霧中信号を行うことなく、同時56分南防波堤灯台から092度1.9海里の地点に達したとき、針路を姫島水道に向く334度に定めて手動操舵とし、機関の回転数を全速力前進より少し減じただけで、安全な速力とせず、折からの南東流に抗して8.1ノットの対地速力で、法定の灯火を掲げて進行した。 定針したころC受審人は、左舷船首3度4.6海里にいづみ丸のレーダー映像を認め、その後動静を監視していたところ、11時04分同船がほぼ正船首1.8海里に接近し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことを知ったが、レーダーの航跡から見て自船の左舷方を航過するので、右転すれば左舷を対して無難に航過できるものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めることなく、同時05分南防波堤灯台から052度1.7海里の地点で、同船との距離が1.5海里になったとき右転し、針路を349度として続航した。 11時09分少し前C受審人は、いづみ丸と第三船の映像が重なり合うのを認めたものの、その後いづみ丸が接近してくる状況に気付かず、同時10分少し前左舷船首45度120メートルにいづみ丸を視認し、右舵一杯、機関を全速力後進としたが効なく、ほぼ原針路、原速力のまま前示のとおり衝突した。 衝突の結果、いづみ丸は、球状船首に凹損を生じ、一洋丸は、左舷前部外板に破口を生じてガソリン約50キロリットルが流出したが、のちいずれも修理された。
(原因) 本件衝突は、いづみ丸と一洋丸の両船が、霧による視界制限状態の国東半島東方沖合を航行中、南下するいづみ丸が、霧中信号を行うことも安全な速力に減ずることもせず、レーダーにより前路に探知した一洋丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったばかりか、近距離で左転したことによって発生したが、北上する一洋丸が、霧中信号を行うことも安全な速力に減ずることもせず、レーダーにより前路に探知したいづみ丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為) A受審人は、視界制限状態の国東半島東方沖合において、昼食を終えて船橋当直に復帰した際、交替者からの引継ぎにより、船首方に第三船及び一洋丸のレーダー映像を認めた場合、両船と著しく接近している状況であったから、速やかに行きあしを止めるべき注意義務があった。しかるに、同人は、第三船を替わしてから一洋丸を替わそうと思い、機関を中立回転としてから左転して第三船を避航したのち、右舵を取って機関を半速力前進にまで増速し、速やかに行きあしを止めなかった職務上の過失により、一洋丸との衝突を招き、いづみ丸の球状船首に凹損を生じさせ、一洋丸の左舷前部外板に破口を生じさせてガソリンを流出させるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 B受審人は、視界制限状態の国東半島東方合において、船長の食事交替のため船橋当直に就き、一洋丸と著しく接近することを避けることができない状況となったのを知った場合、針路を保つことができ最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかるに、同人は左舷を対して無難に航過できるものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかった職務上の過失により、一洋丸と著しく接近した状況で船長に当直を引き継いで同船との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 C受審人は、視界制限状態の国東半島東方沖合を北上中、いづみ丸と著しく接近することを避けることができない状況となったのを知った場合、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかるに、同人は、右転すれば左舷を対して無難に航過できるものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかった職務上の過失により、いづみ丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。 以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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