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1999年(平成11年)

平成10年広審第49号
    件名
貨物船くろしお丸油送船第七大福丸衝突事件〔簡易〕

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年3月2日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

織戸孝治
    理事官
向山裕則

    受審人
A 職名:くろしお丸船長 海技免状:一級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
くろしお丸…左舷船首部のハンドレールに曲損
大福丸…左舷船首部外板に凹損

    原因
くろしお丸…操船・操機(離岸操船)不適切

    主文
本件衝突は、前進行きあしの制御に対する配慮が不十分であったことによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
適条
海難審判法第4条第2項、同法第5条第1項第3号
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年11月8日16時15分
岩国港
2 船舶の要目
船種船名 貨物船くろしお丸 油送船第七大福丸
総トン数 4,945トン 494トン
全長 119,62メートル
登録長 55.03メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 7,060キロワット 735キロワット
3 事実の経過
くろしお丸は、博多、岩国及び京浜の各港間を周航し、可変ピッチプロペラを設備する1基1軸及びスターンスラスタのみを設置し、上甲板上2段にまでコンテナを積載することができる載貨設備を有するロールオンロールオフ設備の船尾船型貨物船で、A受審人ほか12人が乗り組み、コンテナ260個及びシャーシ15台の合計約2,000トンをほぼ満載し、船首5.75メートル船尾5.95メートルの喫水をもって、平成9年11月8日16時10分岩国港第2区にある新港埠頭を発し、京浜港に向かう予定で離岸操船を開始した。因(ちなみ)にくろしお丸は、同日07時30分新港埠頭の北側岸壁に同埠頭北端から約170メートル水深約8メートルのところに、右舷後方約45度方向に右錨を投錨してホースパイプから錨鎖2節(錨鎖1節27メートル)を繰り出し、船首部からバウライン、スプリング等計3本の係留索を、船尾音からも同様に4本の係留索を岸壁上に取り、左舷付け係留して荷役終了後の発航であった。
ところで、新港埠頭は、岩国港の北部に位置し、長さ約550メートル幅約300メートルのほぼ長方形の、岩国市新港町から北東方向に海上へ突き出した荷役埠頭で、同埠頭側の水域の状況は、同埠頭北方500メートルばかりのところに、防波堤に囲まれた船だまり及び装束埠頭が、また、西側には石油会社の民間岸壁及び装港埠頭などがそれぞれ築造され、付近一体は東側に開けたほぼ逆コの字形の水域となっていた。また、新港埠頭北側岸壁には、第七大福丸(以下「大福丸」という。)が、くろしお丸の船首方約20メートルのところに右舷付けでくろしお丸と互いに船首を対して係留され、同埠頭北端から007度(真方位、以下同し)270メートルばかりのところには500トン程度の第三船が錨泊していた。
A受審人は、離岸時には特にショアランプのある船尾部の係留索の取り込み作業に手間取ることから、船首に一等航海士、甲板長及び甲板員の計3人を、船尾に二等航海士及び操舵手3人の計4人を出航部署としてそれぞれ配置し、同受審人だけが在橋して、各配置の間をマイクで連絡を取り合って、離岸操船を行うこととしており、係留索取り込み作業終了後、船尾配置の操舵手が昇橋することになっていた。
A受審人は、前示錨泊船と陸岸とにより囲まれた新港埠頭北側水域で後進左回頭して出航態勢に入るつもりで、全係留索を解纜後、縮錨を開始すると共に、船尾を右舷側に振り出すため左舵一杯、スターンスラスタ右に操作したのち、折からの北東風に抗して回頭効率をあげるため、舵行を利用しようと考え、右舷後方に錨を投下していることから、機関を少しくらい前進にかけても行きあしがつくことはあるまいと思い、左舷ウイングに出て同所に設置してあるスラスタ及び機関遠隔操縦装置により機関を極微速力前進にかけ、更に16時13分ごろ微速力前進をかけた。
その後A受審人は、船尾が右方に振れて前示第三船が船尾方となり、同人の死角に入ったこと、また、丁度その頃南東方から新港埠頭北側水域へ向首していた500トン程度の砂利運搬が船尾方に替わったので、船尾方の状況を確認するため、機関を中立として船橋後部に向かうこととした。
このときA受審人は、前進行きあしの制御に対する配慮が不十分で、揚錨作業に伴い後方に延出している錨鎖が、短くなるにつれて錨鎖の把駐力が徐々に弱まったことと相俟(あいま)って、自らがかけた機関の作用により自船にわずかずつ前進行きあしがつき始めたことに気付かず、一方、船首配置の一等航海士は後方に延出した錨鎖方向を注視し、甲板長は揚錨機の操作に当たり、また、甲板員は錨鎖の洗浄作業をそれぞれ行っていたため、誰もこのことに気付かなかった。
A受審人は、左舷ウイングから船橋後部を経由して右舷ウイングに回ったとき、自船が大福丸に接近していることに気付き、16時15分少し前急ぎ左舷ウイングに戻り機関を全速力後進、スラスタを停止とするも及ばず、16時15分岩国港北防波堤灯台から176度560メートルの地点で、くろしお丸は、錨鎖を約半節繰り出したまま、218度を向首し、わずかな前進楕力をもって、その左舷船首部が大福丸の左舷船首部に前方から22度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力4の北東風が吹き、潮候は下げ潮の初期であった。
また、大福丸は、岩国港を基地として主に瀬戸内海各港間の重油輸送に従事し、船長B(以下「B船長」という。)ほか5人が乗り組む、船尾船橋型油タンカーで、休息の目的で、空倉のまま、船首0.4メートル船尾3.2メートルの喫水をもって、同月7日12時30分から新港埠頭北岸壁に右舷付け係留していた。
B船長は、1人で在船して自室に居たとき、衝撃を感じたので、船外に出たところ、くろしお丸と前示のとおり衝突したことを知った。
衝突の結果、くろしお丸は、左舷船首部のハンドレールに曲損を、大福丸は左舷船首部外板に凹損などをそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、離岸操船に際し、前進行きあしの制御に対する配慮が不十分で、船首方の隣接岸壁に係留中の大福丸に向首進行したことによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人は、船首方近距離の隣接岸壁に大福丸が係留している状況の下、機関を前進にかけて離岸操船を行う場合、同船に接近しないよう、前進行きあしの制御に対する配慮を十分行うべき注意義務があった。ところが、同人は、右舷航方に錨を投下していたことから、船尾を右舷側に振り出すために機関を少しくらい前進にかけても行きあしがつくことはあるまいと思い、前進行きあしの制御に対する配慮を十分に行わなかった職務上の過失により、自船に前進行きあしがつき始めたことに気付かず、大福丸に向首進行して衝突を招き、くろしお丸の左舷船首部ハンドレールに曲損を、大福丸の左舷船首部外坂に凹損などをそれぞれ生じさせるに至った。

参考図






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