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1999年(平成11年)

平成10年仙審54号
    件名
貨物船興和丸貨物船インガ・エス衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年6月10日

    審判庁区分
地方海難審判庁
仙台地方海難審判庁

高橋昭雄、上野延之、長谷川峯清
    理事官
上中拓治、黒田均

    受審人
A 職名:興和丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
興和丸…右舷外板後部に凹損
イ号…左舷外板の前部から後部にかけて凹損を伴う擦過傷

    原因
興和丸…動静監視不十分、横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
イ号…動静監視不十分、警告信号不履行、横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は興和丸が、静動監視不十分で、前路を左方に横切るインガ・エスの進路を避けなかったことによって発生したが、インガ・エスが、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年9月2日04時42分
浦賀水道
2 船舶の要目
船種船名 貨物船興和丸 貨物船インガ・エス
総トン数 499.95トン 11,964トン
登録長 66.96メートル 140.77メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,176キロワット 10,010キロワット
3 事実の経過
興和丸は、船尾船橋型貨物船で、A受審人ほか3人が乗り組み、鋼材1.522トンを積載し、船首4.1メートル船尾5.0メートルの喫水をもって、平成9年9月2日01時35分千葉県木更津港を発し、岩手県釜石港に向かった。
発航後、A受審人は、自ら単独で船橋当直に当たり、航行中の動力船の灯火を点灯して浦賀水道航路を南下し、03時53分浦賀水道航路中央第1号灯浮標を左舷側500メートルに航過したところで、針路を190度(真方位、以下同じ。)に定め、機関を全速力前進にかけて10.0ノットの対地速力(以下速力は対地速力である。)で自動操舵により進行した。
04時30分A受審人は、右舷船首29度4.7海里にインガ・エス(以下「イ号」という。)の白、白、紅の3灯を初めて視認するとともに、更にその右方で約4海里のところにイ号の左前方を同航する第三船(以下[第三船」という。)の白、白、紅の3灯及び左舷船首12度3.8海里に北上する第四船(以下「第四船」という。)の白、白、紅の3灯をそれぞれ認め、間もなく同時33分方位が変わらないまま3.4海里に同号の白、白、紅の3灯を視認するようになり、同号が前路を左方に横切り衝突のおそれのある態勢であることを知ったが、同号がそろそろ浦賀水道航路に向かう北上船の転針地点に達して左転するものと考え、また、自船が第四船の船尾を左舷側に替わして洲埼方面に向ければ同号と互いに右舷を対して航過できるものと思い、その動静監視を十分に行うことなく、以後第四船を注視してそのまま続航した。
04時37分A受審人は、剱埼灯台から132度4.5海里の地点に達したとき、第三船の方位が明確に右方に変わりその前路を替わる状況となったものの、右舷船首29度1.9海里にイ号の白、白、紅の3灯を視認することができ、引き続き同号が前路を左方に横切り衝突のおそれのある態勢で互いに接近中であることが分かる状況であった。しかし、イ号が自船の右舷側を替わしたと思い、依然としてその動静監視を十分に行わなかったので、同号に気付かず、早期に右転するなどして同号の進路を避けないまま、左舷船首23度1.4海里に接近した第四船の船尾を替わして洲崎方面に向かおうとして同船の船尾を付け回すように自動操舵により小角度の左舵を取り始めた。その後、機関音の高い閉ざされた船橋内で操船に当たっていたので、イ号から発せられた信号音にも気付かないまま徐々に左転しながら進行した。
こうして、04時41分半A受審人は、ようやく第四船の船尾を替わる状況となったところで、右舷方を見て右舷正横少し後方至近に直ったイ号を認め、急いで左舵一杯にしようとしたが間に合わず、04時42分剱埼灯台から137度5.2海里の地点において、興和丸は、船首が131度を向いたとき、原速力のまま、その右舷後部がイ号の左舷前部に後方から16度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力3の南風が吹き、視界は良好であった。
また、イ号は、船尾船橋型コンテナ船で、船長B及び一等航海士Cほか14人が乗り組み、コンテナ810個を積載し、船首7.6メートル船尾8.1メートルの喫水をもって、同年8月29日13時00分香港港を発し、京浜港東京区に向かった。
越えて翌月2日04時00分B船長は、洲埼灯台から268度9.3海里の地点で、053度の針路で機関を全速力前進にかけ千葉県浮島のパイロットステーションに向けて操船指揮に当たったとき、C一等航海士が当直に就いた。
04時30分B船長は、剱埼灯台から174度5.6海里の地点で、左舷船首40度0.7海里に船速の遅い同航中の第三船の船尾灯及び右舷前方に第四船の白、白、紅の3灯を視認したころ、C一等航海士から左舷船首14度4.7海里のところに針路が交差する態勢で南下する興和丸の報告を受け、同船の白、白、緑の3灯を初めて視認した。
その後、04時33分B船長は、剱埼灯台から166度5.2海里の地点に至り、第三船が自船の針路とやや交差した態勢で接近する状況であることを認めて針路を056度に転じたところ、左舷船首17度3.4海里に興和丸の白、白、緑の3灯を視認するようになり、同船が前路を右方に横切り衝突のおそれがある態勢となったが、そのうちに自船の進路を替わすものと思い、その動静監視を十分に行うことなく、その後自船の近距離のところを同航する第三船及び前路を左方に横切る態勢で接近する状況の第四船に注意を払いながら17.3ノットの速力で進行した。
04時37分B船長は、左舷船首17度1.9海里に興和丸の白、白、緑の3灯を認めることができ、引き続き前路を右方に横切り衝突のおそれのある態勢で互いに接近する状況であったが、第三船及び第四船に気を取られて興和丸の動静監視を十分に行わなかったので、これに気付かず、警告信号を行わないで続航した。
04時40分B船長は、左舷側に第三船を追い抜いたとき、左舷船首12度1,100メートルのところに衝突のおそれのある態勢で接近中の興和丸の白、白、緑の3灯を視認したが、右舷前方近距離を第四船が前路を左方に横切る態勢で北上中で右舵一杯を取ることができない状況であったものの、速やかに機関を停止更に全速力後進にかけて行きあしを止めるなどの衝突を避けるための協力動作をとることなく、長音1回を二度吹鳴して右舵10度を取り機関を半速力に減じ、第四船が前路を替わって間もなく、同時41分少し過ぎ興和丸の船首尾に生じた波で同船が左転中であることを知り、衝突の危険を感じて急いで短音1回を吹鳴して右舵一杯を令し続いて機関停止を発令したが効なく、イ号は、船首が115度を向いたとき、約13ノットの速力で、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、興和丸は右舷外板後部に凹損を、また、イ号は左舷外板の前部から後部にかけて凹損を伴う擦過傷をそれぞれ生じた。

(航法の適用)
興和丸側補佐人は、本件が形の上では海上衝突予防法15条の関係であったものの、海上交通安全法適用海域という船舶が輻輳する水域で発生したことから、横切り船の航法のみに委ねるのは速断すぎかつ不十分であること、本件時、第三船更にその後方に他船が点々としていたことが推定されること及びイ号のような大型高速コンテナ船が剱埼沖に設定された分離航路帯に沿って北上することが当然であり、同号が航路帯に沿って北上するための変針点に近づいていた状況から、興和丸が左転し続けたことが実務の上で安全な航法であったと主張するので、航法の適用について検討する。
本件は、特別法である海上交通安全法が適用される海域で発生したが、興和丸及びイ号両船が同法に規定する航法の適用を受けない状況下で衝突したものであるので、一般法である海上衝突予防法によって律せられることになる。そして、仮に第三船及び第四船を介在させなかったならば、すなわち両船のみの見合関係の観点から見れば、前述した事実関係から、また、興和丸側及びイ号側両船橋当直者が相手船との関係を互いに前路を横切る態勢であることを認識して操船に当たっていたことからも、横切り船の航法が適用されることに争いのないところである。
ところで、興和丸及びイ号の両船が見合関係を生じるとほぼ同時に第三船及び第四船が同見合関係に介在した形の状況であった。
そこで、本件に適用される航法が予防法15条(横切り船の航法)であるか、同法39条(船員の常務)であるかについて検討する。
(1) 見合関係の成立時期
まず、前示認定の事実によれば、04時30分興和丸側A受審人は、イ号、第三船及び第四船を、また、イ号側B船長は、興和丸、第三船及び第四船をそれぞれ初認した。しかし、各船が衝突のおそれがあるか否かについて確かめるのに多少の時間を要する結果、同時33分A受審人及びB船長が互いに自船の前路を横切る態勢であることを認識でき、興和丸及びイ号の両船間に衝突のおそれのある見合関係が成立したものと見做す。
そこで、興和丸と第三船との関係について見ると、興和丸は、04時33分右舷船首36度3海里に第三船を視認でき、その後同時37分右舷船首43度1.7海里に同船の左舷灯に続いて間もなく両舷灯を視認するようになり、その方位が右舷方に明確に変化して第三船の前路を無難に替わることが分かる状況であったことから、両船間に見合関係が成立しなかったことが認められる。また、興和丸と第四船との関係については、互いに左舷を対して無難に航過する態勢であったことは明らかである。
次に、イ号と第三船との関係について見ると、04時33分イ号が転針したことによって衝突のおそれのある見合関係が解消されたと見做すことができる。イ号と第四船との関係については、04時40分B船長が衝突のおそれがある態勢で接近中の興和丸に気付き右舵一杯を取ろうとしたが危険な状況であった点に鑑み、イ号と第四船との両船間に衝突のおそれのある見合関係があったものと認める。
(2) 興和丸とイ号との間の適用航法
前述によれば、04時33分興和丸イ号及び第四船との間に、ほぼ同時に見合関係が成立したことになる。そこで、興和丸とイ号との両船間において、予防法の基本原則である二船間の航法の適用について、同法15条(横切り船の航法)の適用の可否について考察する。
両船の関係において、興和丸が避航船であり、イ号が保持船となる。したがって、興和丸は、やむを得ない場合を除き、できる限り早期に、かつ、大幅な衝突回避の動作が求められる。
興和丸にとって考えられる避航動作は、04時37分同船が左転開始したとき、イ号までの距離が1.9海里で、かつ、第三船の前路を替わろうとしていた時期であった。そこで、それから以降早期に同号の船尾に向けて右転するか、減速するか、あるいは両方のいずれかの動作を取ることが要求されたが、これらの動作は実現可能で、かつ、衝突回避のために有効であったと推定する。そして、その結果が第四船更には第三船に対して衝突のおそれのある関係を惹起することにはならない。
したがって、興和丸とイ号との両船間は、予防法15条(横切り船の航法)が適用される関係にあったというべきである。
興和丸側の主張は採用することができない。

(原因)
本件衝突は、夜間、浦賀水道において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれのある態勢で接近中、興和丸が動静監視不十分で、前路を左方に横切るイ号の進路を避けなかったことによって発生したが、イ号が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
A受審人は、夜間、単独で船橋当直に就いて浦賀水道を南下中、前路を左方に横切る体勢で接近するイ号の白、白、紅の3灯を視認した場合、衝突のおそれがあるかどうかを判断することができるよう、同号の動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、イ号が自船の右舷方を航過するよう左転していくものと思い、自船としても同号を右舷側に替わしたい気持ちもあって、左舷船首方から反航する第四船と左舷を対して航過するのを待って速やかに左転しようとしてその動向に気を取られ、イ号に対する動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、同号と衝突のおそれのある態勢で互いに接近する状況に気付かず、その進路を避けないまま進行して、イ号との衝突を招き、興和丸の右舷外板後部に凹損を、イ号の左舷外板の前部から後部にかけて凹損を伴う擦過傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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