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1999年(平成11年)

平成10年門審第113号
    件名
貨物船豊後丸貨物船天祐丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年8月11日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

供田仁男、阿部能正、西山烝一
    理事官
伊東由人

    受審人
A 職名:豊後丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:天祐丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
豊後丸…左舷側後部外板及び船橋左舷側壁に凹損
天祐丸…右舷船首部外板に凹損

    原因
豊後丸、天祐丸…狭視界の航法(速力・信号)不遵守

    主文
本件衝突は、豊後丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことと、天祐丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年4月3日10時30分
兵庫県赤穂港港外
2 船舶の要目
船種船名 貨物船豊後丸 貨物船天祐丸
総トン数 506トン 497.80トン
全長 61.77メートル 74.80メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 956キロワット 1,360キロワット
3 事実の経過
豊後丸は、船尾船橋型のセメント運搬船で、A受審人ほか5人が乗り組み、セメント606トンを積み、船首3.11メートル船尾3.38メートルの喫水をもって、平成9年4月3日10時15分赤穂港を発し、兵庫県尼崎西宮芦屋港に向かった。
A受審人は、霧模様のなか1人で操船に従事し、機関を半速力前進にかけて港口に至り、10時18分赤穂御埼灯台から283度(真方位、以下同じ。)2.2海里の地点において、針路を180度に定め、このころ霧で視程が400メートルに狭められ、視界制限状態となったものの、安全な速力とすることなく、機関を港内全速力前進にかけて1.0ノット(対地速力、以下同じ。)に増速し、港外の掘り下げ水路内を南下した。
A受審人は、霧中信号を吹鳴し、航行中の動力船の灯火を表示して手動で操舵にあたり、舵輪の左隣に設置されたレーダーによる見張りを行ううち、10時23分半左舷船首55度1.5海里に天祐丸のレーダー映像を初めて探知し、同船が自船の前路に近づいてくる様子から、赤穂港に入港する船であると判断した。
10時26分少し過ぎA受審人は、天祐丸の映像が左舷船首64度1.0海里となって同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことを知ったが、入港する天祐丸が出港する自船を避けてくれるものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めないまま南下を続けた。
10時26分半A受審人は、掘り下げ水路出入口の赤穂第1号及び第2号両灯浮標間に達したころ、視程が更に悪化して200メートルになり、前方に漁船のレーダー映像を多数認めていたので、同時27分少し過ぎ赤穂御埼灯台から244度2.4海里の地点で、針路を130度に転じて進行した。
10時29分半A受審人は、左舷前方に天祐丸の船首の白波を視認し、直ちに機関を全速力後進にかけ、右舵一杯としたが及ばず、10時30分赤穂御埼灯台から234度2.2海里の地点において、豊後丸は、船首が220度を向き、6.0ノットの前進行きあしをもって、その左舷側後部に天祐丸の右舷船首が後方から47度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風はほとんどなく、潮候は下げ潮の中央期にあたり、視程は200メートルであった。
また、天祐丸は、船尾船橋型の貨物船で、B受審人ほか3人が乗り組み、セメント原料1,420トンを積み、船首3.70メートル船尾4.45メートルの喫水をもって、同日08時20分兵庫県東播磨港を発し、赤穂港に向かった。
B受審人は、霧模様のなか1人で操船に従事し、東播磨航路を出航すると同時に機関を全速力前進にかけ、11.7ノットの速力で播磨灘北部を西行し、09時57分播磨灘北航路第7号灯浮標を185度に75メート隔てて航過したとき、針路を赤穂第1号及び第2号両灯浮標の南方に向かう267度に定め、このころ霧で視程が1,000メートルに狭められ、視界制限状態となったが、安全な速力とすることなく、全速力のまま進行した。
B受審人は、航行中の動力船の灯火を表示して手動で操舵にあたり、舵輪の左隣に設置されたレーダーによる見張りを行ううち、10時18分少し過ぎ赤穂御埼灯台から185度1.2海里の地点に達して、霧が濃くなり視程が200メートルとなったのを認めるとともに、右舷船首43度2.6海里に豊後丸のレーダー映像を初めて探知し、機関を半速力前進として8.5ノットに減速したものの、依然安全な速力とすることなく、霧中信号を吹鳴して続航した。
10時26分少し過ぎB受審人は、豊後丸の映像が右舷船首29度1.0海里となって同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことを知ったが、近距離ではあっても豊後丸が前路を替わってゆくものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めないまま進行した。
10時28分B受審人は、豊後丸の霧中信号を近くに聞いて機関を停止し、行きあしで続航中、同時30分わずか前同信号を間近に再び聞いて左舵一杯をとった直後、右舷前方に同船の船体を視認し、機関を全速力後進としたが及ばず、天祐丸は、原針路のまま、7ノットの前進行きあしをもって前示のとおり衝突した。
衝突の結果、豊後丸は左舷側後部外板及び船橋左舷側壁に凹損を生じ、天祐丸は右舷船首部外板に凹損を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、霧による視界制限状態の赤穂港港外において、南下する豊後丸が、安全な速力とせず、レーダーで前路に探知した天祐丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことと、西行する天祐丸が、安全な速力とせず、レーダーで前路に探知した豊後丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人は、霧による視界制限状態の赤穂港港外を南下中、レーダーで前路に認めた天祐丸と著しく接近することを避けることができない状況となったのを知った場合、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかし、同人は、入港する天祐丸が出港する自船を避けてくれるものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかった職務上の過失により、同船との衝突を招き、豊後丸の左舷側後部外板及び船橋左舷側壁に凹損を、天祐丸の右舷船首部外板に凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、霧による視界制限状態の赤穂港港外を西行中、レーダーで前路に認めた豊後丸と著しく接近することを避けることができない状況となったのを知った場合、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかし、同人は、近距離ではあっても豊後丸が前路を替わってゆくものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかった職務上の過失により、同船とめ衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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