日本財団 図書館




1999年(平成11年)

平成10年那審第30号
    件名
漁船太幸丸漁船第八勝洋丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年2月4日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁那覇支部

東晴二、井上卓、小金沢重充
    理事官
阿部能正

    受審人
A 職名:太幸丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
B 職名:第八勝洋丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
太幸丸…船首部右舷を損傷
勝洋丸…船首部左舷及び付近のフェアリーダを損傷

    原因
太幸丸…居眠り運航防止措置不十分、船員の常務(避航動作)不遵守(主因)
勝洋丸…見張り不十分、警告信号不履行、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、太幸丸が居眠り運航の防止措置が不十分で、前路で漂泊中の第八勝洋丸を避けなかったことによって発生したが、第八勝洋丸が、見張りを行わず、太幸丸に対して警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年1月31日04時00分
鹿児島県奄美大島南東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 漁船太幸丸 漁船第八勝洋丸
総トン数 9.1トン 7.53トン
全長 14.90メートル 13.90メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 183キロワット
漁船法馬力数 120
3 事実の経過
太幸丸は、まぐろはえなわ漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人が1人で乗り組み、船首0.8メートル船尾1.5メートルの喫水をもって、平成10年1月22日15時00分鹿児島県鹿児島港を発し、同県奄美大島古仁屋港に寄港後沖縄県南大東島南西方及び奄美大島南東方の漁場において操業し、まぐろ3トンを漁獲したところで操業をとりやめ、同月30日23時00分奄美大島南東方の北緯27度01分東経130度13分の地点を発し、帰港の途に就き、古仁屋港に向かった。
漁場発航時A受審人は、針路を奄美大島大島海峡に向く325度(真方位、以下同じ。)に定め、機関を全速力前進にかけ、8.3ノットの対地速力で、航行中の動力船の灯火を表示して自動操舵により進行した。
ところで、A受審人は、鹿児島港出港日から9日目であったことに加え、その日は朝から操業に従事し、投縄と揚縄との間に3時間ほど休息しただけであったことから、疲労し、睡眠が不足した状態となっており、気を緩めると居眠りするおそれがあった。
A受審人は、操舵室内後部のベッド上に座って見張りに当たっていたところ、翌31日03時00分ごろ眠気を覚えるようになったが、居眠りすることはあるまいと思い、立って見張るとか外気に当たるなど居眠り運航防止のための措置をとることなく、船首方に漁船などの灯火が散在するなか座ったまま続航するうち居眠りし始め、同時50分正船首方1.4海里に白色全周灯及び黄色点滅灯を表示した第八勝洋丸(以下勝洋丸という。)を視認できたが、同船に気付かなかった。
A受審人は、その後漂泊状態の勝洋丸に衝突のおそれがある態勢で接近したが、居眠りして同船を避けることができないまま、同一の針路及び速力で進行中、04時00分奄美大島南東方の北緯27度35分東経129度46分の地点において、太幸丸の船首が、勝洋丸の船首部左舷に後方から55度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風はほとんどなく、視界は良好であった。
A受審人は、衝突後1時間ばかり経過して目覚め、船首部の損傷を認めたが、そのまま古仁屋港に入り、同港停泊中海上保安官に事情を聞かれ、勝洋丸との衝突を知った。
また、勝洋丸は、いか釣り漁業に従事するFRP製漁船で、B受審人が1人で乗り組み、船首0.5メートル船尾1.6メートルの喫水をもって、同月29日14時00分奄美大島名瀬港を発し、同島南東方40海里の漁場に至り、翌30日早朝操業を開始した。
ところで、B受審人は、漁場では早朝から夕刻まで操業してその後潮昇りし、夜間には漂泊するようにしており、この時期2日あるいは3日にわたる出漁を繰り返していた。
B受審人は、夕刻、いか150キログラムを漁獲したところでその日の操業を終え、潮昇りののち、21時30分北緯27度35分東経129度46分付近で、船首から錨索を50メートル延ばしてつり錨の状態とし、機関を停止したうえ、白色全周灯1個及び黄色点滅灯1個のみを表示していつものとおり漂泊を開始した。
B受審人は、貨物船等が多く航行する海域であり、このとき周囲に漁船が散在していたが、灯火を表示しているので接近する他船は自船を避けてゆくものと思い、漂泊開始後間もなく翌日早朝からの操業に備えて仮眠することとし、船室のベッドに横になり、以後周囲の見張りを行わなかった。
翌31日03時50分B受審人は、270度に向首しているとき、左舷船尾55度1.4海里に航行中の動力船の灯火を表示し、自船に向けて接近する太幸丸を視認できたが、同船に気付かなかった。
B受審人は、その後太幸丸が衝突のおそれがある態勢で自船に接近したが、同船に対して警告信号を行うことができず、更に接近しても機関を使用するなど、衝突を避けるための措置をとることができないまま、270度に向首した状態で、前示のとおり衝突した。
B受審人は、衝撃で目が覚めて衝突を知り、太幸丸が走り去るので、機関を始動し、揚錨のうえ全速力で太幸丸を追いかけたが、果たせず、名瀬港帰港後名瀬海上保安部に届け出た。
衝突の結果、太幸丸は船首部右舷を損傷し、勝洋丸は船首部左舷及び付近のフェアリーダを損傷し、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、奄美大島南東方沖合において、太幸丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、前路で漂泊中の勝洋丸に衝突のおそれがある態勢で接近した際、同船を避けなかったことによって発生したが、勝洋丸が、周囲の見張りを行わず、太幸丸に対して警告信号を行わず、更に接近しても衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
A受審人は、1人で乗り組み、夜間、奄美大島南東方沖合の漁場から同島古仁屋港に向かって航行する場合、付近に適当な避泊地がなく、また同港まで5時間ばかりの航程であったのであるから、立って当直に当たるなどして居眠り運航の防止に努めるべき注意義務があった。しかるに、同人は、居眠りすることはあるまいと思い、居眠り運航の防止に努めなかった職務上の過失により、操舵室内のベッド上に座っているうち居眠りし、前路で漂泊中の勝洋丸を避けないまま進行して衝突を招き、太幸丸船首部右舷に損傷を、勝津丸船首部左舷及び付近のフェアリーダに損傷をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人が、1人で乗り組み、夜間、貨物船等が多く航行し、漁船が散在する奄美大島南東方沖合において漂泊した際、早朝からの操業に備えて仮眠し、周囲の見張りを行わなかったことは、本件発生の原因となる。
しかしながら、以上のB受審人の所為は、遠方からでも存在が分かる灯火を表示していたことなどに徴し、職務上の過失とするまでもない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION