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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成8年2月24日05時35分 三重県加布良古水道 2 船舶の要目 船種船名 貨物船永祥丸
貨物船第運 総トン数 199トン 199トン 登録長 50.71メートル 52.01メートル 機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関 出力
404キロワット 588キロワット 3 事実の経過 永祥丸は、船尾船橋型の貨物船で、A受審人ほか2人が乗り組み、鋼材647トンを積載し、船首2.75メートル船尾3.85メートルの喫水をもって、平成8年2月22日09時10分関門港若松区を発し、名古屋港に向かった。 A受審人は、船橋当直を同人及び甲板長による6時間2直制とし、狭水道及び視界の良くないときは同人が操船に当たり、越えて24日05時00分ごろ三重県的矢港沖合で昇橋して甲板長と船橋当直を交替し、加布良古及び桃取両水道を通航することとしてレーダーを3海里レンジにして時折監視しながら航行し、同時31分加布良古水道の誓願島灯標から128度(真方位、以下同じ。)380メートルの地点に達したとき、針路を351度に定め、機関を全速力前進にかけ、10.0ノットの対地速力で手動操舵により進行した。 定針したときA受審人は、左舷船首2度980メートルのところに低速力で北上する第十一勝運丸(以下「勝運丸」という。)の船尾灯を認め得る状況であったが、レーダーを活用するなどして十分な見張りを行っていなかったので、加布良古水道内ののり養殖施設の標識灯火及び島の明かりに紛れた同船に気付かず、その後自船が桃取水道に向けて左転するつもりでいたので、加布良古水道内での転針に気を取られ、転針のころにはさらに接近して衝突の危険があったものの、依然、見張りが不十分で同船に気付かず、機関を減速するなど、同船との衝突を避けるための措置をとることなく続航した。 A受審人は、05時34分丸山埼灯標から081度200メートルの地点で、針路を島ケ埼灯台に向く315度に転じたとき、右舷船首2度200メートルほどのところに、勝運丸が合図する明かりを認め、舵輪右側の手元に置いてあった双眼鏡で確認したところ、至近に迫った勝運丸の船橋に気付き、衝突の危険を感じ、左舵一杯、全速力後進としたが効なく、永祥丸は、05時35分丸山埼灯標から007度200メートルの地点において、原針路、原速力のまま、その右舷船首が、勝運丸の左舷船尾部に後方から5度の角度で衝突した。 当時、天候は晴で風力3の北北西風が吹き、付近には約1ノットの北流があり、視界は良好であった。 また、勝運丸は、船尾船橋型の貨物船で、B受審人ほか3人が乗り組み、肥料502トンを積載し、船首2.30メートル船尾3.40メートルの喫水をもって、同月22日14時30分関門港若松区を発し、四日市港に向かった。 B受審人は、船橋当直を同人、一等航海士及び甲板長の3人による単独4時間交替とし、越えて24日加布良古水道を通航するころ昇橋して同人が操船と見張りに当たり、甲板長を操舵に就け、04時29分石鏡灯台を左舷方に見て航過したとき、後方5海里ほどのところに両舷灯を見せて来航する永祥丸を初めて視認したが、接近するまでまだ間があるものと思い、同船の動静を監視することなく10.0ノットの対地速力で進行中、04時40分ヨセマル灯浮標を164度180メートルに見る地点に達したとき、運転中の右舷発電機が停止した。 ところで、勝運丸の主機は、A重油を燃料とし、冷却海水ポンプのみが電動機駆動で、他の清水ポンプ、濁骨油ポンプ及び燃料予圧ポンプはいずれも主機直結のものであるため、船内電源が喪失しても清水及び潤滑油の温度が上昇し過ぎない範囲に減速して運転でき、また、操舵機は、主操舵装置としての電動油圧による機動操舵と、船内電源喪失時の補助操舵装置として、船橋の舵輪を回すことによって発生する油圧により作動する手動操舵とがあり、その切替えは船橋内のジャイロスタンド左側にあるスイッチで行い、手動操舵は機動操舵に比べて舵をとるのに約3倍の時間がかかり、応急に配電される非常用電源では舵角表示器がつかないため右舵と左舵の判別もできなかった。 B受審人は、右舷発電機が停止したとき、操舵機を手動操舵に切り替え、速力を4.0ノットの微速力に減じて航行し、直ぐに昇橋してきた機関長に命じて左舷発電機を起動させたところ、船内電源が復旧したことから、近くの菅島南方は養殖施設が多かったこともあり、そのまま加布良古水道を通航して答志島南方沖合に錨泊したうえで右舷発電機の修理を行うこととして続航し、04時53分誓願島灯標から126度1,650メートルの地点に達したとき、左舷発電機も停止して船内電源が喪失した。 B受審人は、発電機が停止して非常用電源に切り替わったとき機関を極微速力前進に減じ、既に加布良古水道に入っていたのでそのまま同水道を通過することとしたものの、運転不自由船の灯火を表示せずに航行し、05時19分誓願島灯標から082度200メートルの地点で、舵輪を右に回すと同時に機関を一時後進にかけ、船首を右に振って針路を355度に定め、機関を極微速力前進にかけて2.0ノットの対地速力で進行した。 B受審人は、05時31分丸山埼灯標から077度200メートルの地点に達し、針路を島ヶ埼灯台を少し右に見る310度に転じたとき、左舷船尾39度980メートルのところに、白、白、紅の3灯を見せて接近する永祥丸を視認したが、自船は水道内を極端に遅い速力とさせることが難しい状態で航行して他船の通航を妨げる状況であったものの、航海灯を点灯して速力を減じているから同船が避けてくれるものと思い、同船の接近する状況を確認し、必要な場合は早めに警告信号を行って避航を促すことができるよう、同船の動静監視を十分に行うことなく、同船に対して警告信号を行わないで続航し、同時34分同船が丸山埼灯標に並航後左転し、左舷後方から200メートルほどに接近したとき、衝突の危険を感じ、船橋の外に出て同船に向かって懐中電灯を輪を描くように回して合図したが及ばず、勝運丸は、ほぼ原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。 衝突の結果、永祥丸は、右舷錨が脱落して海中に没するとともに右舷船首ブルワークに曲損等を生じ、勝運丸は、左舷船尾ブルワーク折損、左舷中央部ハンドレール曲損、左舷ハッチカバーローラー破損等を生じたが、のちそれぞれ修理された。
(原因) 本件衝突は、夜間、両船が前後して三重県加市良古水道を北上中、永祥丸が、見張り不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことと、勝運丸が、発電機が停止する状態となった際、運転不自由船の灯火を表示しなかったばかりか、動静監視不十分で、警告信号を行わなかったこととによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、夜間、三重県加布良古水道を北上する場合、同水道にはのり養殖施設の標識灯火があり、島の明かりもあって、航行船舶の航海灯と紛れる状況であったから、接近する他船を見落とさないよう、レーダーを活用するなどして見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、水道内での転針に気を取られ、レーダーを活用するなどして見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、先航する勝運丸に気付かず、衝突を避けるための措置をとらずに進行して同船との衝突を招き、永祥丸の右舷錨を海中に脱落させ、同船の右舷船首ブルワークに曲損等を生じさせ、勝運丸に左舷船尾ブルワーク折損、左舷中央部ハンドレール曲損、左舷ハッチカバーローラー破損等を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 B受審人は、夜間、加布良古水道を北上中、発電機が停止し、極端に速力を減じて針路を安定させることが難しい状態で航行し、左舷後方に永祥丸の白、白、紅の3灯を認めた場合、接近状況を確認して早めに避航を促すための警告信号を行うことができるよう、動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、自船は速力が遅いから永祥丸が避けてくれるものと思い、針路を安定させることに気を奪われ、同船の動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、警告信号を行わないまま進行して同船との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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