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1999年(平成11年)

平成10年神審第101号
    件名
貨物船第十二平和丸貨物船第三十八天栄丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年5月27日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

佐和明、西田克史、西林眞
    理事官
橋本學

    受審人
A 職名:第十二平和丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
B 職名:第三十八天栄丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
平和丸…船橋楼右舷側に曲損等、船尾付近右舷側外板に破口
天栄丸…右舷船首部及び球状船首が圧壊

    原因
平和丸、天栄丸…狭視界時の航法(信号、速力)不遵守

    主文
本件衝突は、第十二平和丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことと、第三十八天栄丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年4月6日22時30分
播磨灘家島諸島北側
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第十二平和丸 貨物船第三十八天栄丸
総トン数 402トン 399トン
全長 60.50メートル 57.87メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 882キロワット 735キロワット
3 事実の経過
第十二平和丸(以下「平和丸」という。)は、船尾船橋型砂利採取運搬船で、A受審人ほか4人が乗り組み、空倉のまま、船首1.00メートル船尾2.80メートルの喫水をもって、平成10年4月6日16時00分愛媛県三島川之江港を発し、兵庫県家島港に向かった。
A受審人は、航海時間が比較的短かったことから、船橋当直を同人と一等航海士との2人で、それそれに補助者1人を付けて2時間交替で行い、備讃瀬戸から小豆島北側を経て播磨灘北部を東行した。
同日21時55分A受審人は、家島諸島院下島の西方で昇橋したところ、霧で視界制限状態となっており、また、家島港に近づいていたので、その後自ら操船の指揮をとり、機関長を操船の補助に、一等航海士を船首にそれぞれ配置し、22時05分少し過ぎ院下島灯台から307度(真方位、以下同じ。)0.8海里の地点に達したとき、針路を家島諸島西島の牛首ノ鼻北端付近にある牛桶岩を右舷側0.3海里離して通過する070度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、10.0ノットの対地速力で進行した。
A受審人は、間もなく左舷前方に反航船のレーダー映像を認めてこれに留意しながら続航するうち、22時21分坊勢港奈座奈2号防波堤灯台(以下「2号防波堤灯台」という。)から303度2.2海里の地点に差し掛かったころ、右舷船首38度1.5海里に、西島の陰から現れた第三十八天栄丸(以下「天栄丸」という。)の映像を初めて探知した。
A受審人は、そのころから視程が100メートルばかりに狭められていたので、操舵を手動に切り替えて自ら操舵に当たりながらレーダーの監視を行い、機関長をレーダーの監視と機関の操作に当たらせて天栄丸の動静を監視し、22時22分わずが前同船が1.3海里に接近したとき機関を約7ノットの半速力前進に減じて進行した。
22時23分半A受審人は、天栄丸の映像が右舷船首37度1.0海里に接近し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、相手船は坊勢島を発した西行する砂利運搬船で、間もなく牛首ノ鼻に接近するよう左転するので右舷を対して航過できるものと思い、速やかに機関を使用して行き脚を止めることなく、汽笛長音1回を吹鳴し、機関長に指示して機関回転数を徐々に下げさせ、同時26分少し過ぎから約3ノットの極微速力前進として続航した。
22時29分半A受審人は、船首配置の一等航海士から右舷前方に船が見えたので左舵をとるようにと告げられ、左舵一杯をとって機関を停止し、平和丸が左回転を始めたとき、右舷側至近に相手船の白、緑2灯を認め、このままでは船尾付近に衝突するので、キックを利用して船尾を左に振るつもりで右舵一杯としたが効なく、22時30分2号防波堤灯台から325度1.8海里の地点において、050度を向いた平和丸の右舷側船尾付近に、天栄丸の右舷船首が前方から60度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風力2の北東風が吹き、視程は約1,00メートルで、潮候は下げ潮の中央期であった。
また、天栄丸は、船尾船橋型砂和採取運搬船で、B受審人ほか5人が乗り組み、大阪港堺泉北区で揚荷ののち、積荷のため愛媛県菊間港に向かう航行の途中、時間調整のため、同日昼ごろ家島諸島坊勢島沖合の、2号防波堤灯台から316度400メートルのところで錨泊し、乗組員全員が同島の自宅に戻って休息をとったのち、22時10分空倉のまま、船首1.20メートル船尾3.80メートルの喫水をもって、錨泊地を発して目的港に向かった。
B受審人は、兵庫県南部全域に濃霧注意報が発表されていたことを知っていたものの、錨泊地付近では視程が約1海里あったので航行可能と思い、単独で発航操船に当たり、家島と西島の間を北上した。
22時20分B受審人は、2号防波堤灯台から329度1,300メートルの地点に達したとき、霧で急速に視界が悪化し、視程が100メートルばかりに狭められたので、甲板員として乗り組んでいた五級海技士(航海)の免状を受有する父親をレーダーによる見張りに当たらせ、自らもレーダーを監視しながら手動で操舵に当たり、針路を335度に定め、機関を半速力前進にかけて7.0ノットの対地速力で進行した。
22時22分B受審人は、左舷船首46度1.25海里に、西島の陰から現れた平和丸の映像を初めてレーダーによって探知し、同時23分半同映像が左舷船首45度1.0海里となり、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、視界制限状態であったにもかかわらず、相手船の映像を自船の左舷側に認めていることから同船が避航船で、間もなく右転するものと思い、速やかに機関を使用して行き脚を止めることなく続航した。
22時27分B受審人は、2号防波堤灯台から332度1.5海里の地点に達したとき針路を290度に転じたところ、平和丸の映像が急速に接近するので、同時30分少し前汽笛を連吹しながら右舵5度をとり、機関を全速力後進にかけたが効なく、ほぼ原針路のまま、速力が約5ノットになったとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、平和丸は船橋楼右舷側に曲損等を、船尾付近右舷側外板に機関室への浸水を伴う破口をそれぞれ生じ、天栄丸は右舷船首部及び球状船首が圧壊したが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、両船が、夜間、霧のため視界制限状態となった兵庫県家島諸島北側沖合を航行中、東行する平和丸が、霧中信号を行わず、島陰から現れた天栄丸をレーダーによって前路近距離に探知し、同船と著しく接近することを避けることができない状況であることを知った際、速やかに機関を使用して行き脚を止めなかったことと、北上する天栄丸が、霧中信号を行わず、島陰から現れた平和丸をレーダーによって前路近距離に探知し、同船と著しく接近することを避けることができない状況であることを知った際、速やかに機関を使用して行き脚を止めなかったこととによって発生したものである。

(受審人の所為)
受審人は、夜間、霧のため視界制限状態となった家島諸島北側沖合を東行沖、霧中信号を行わず、島陰から現れた天栄丸をレーダーによって前路近距離に探知し、同船と著しく接近することを避けることができない状況であることを知った場合、速やかに機関を使用して行き脚を止めるべき注意義務があった。ところが、同人は、天栄丸が島岸に接近するよう左転し、右舷を対して航過できるものと思い、速やかに行き脚を止めなかった職務上の過失により、同船との衝突を招き、平和丸の船橋楼右舷側に曲損等を、船尾付近右舷側外板に機関室への浸水を伴う破口をそれぞれ生じさせ、天栄丸の船首部等を圧壊させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、夜間、霧のため視界制限状態となった家島と西島の間を北上中、霧中信号を行わず、島陰から現れた平和丸をレーダーによって前路近距離に探知し、同船と著しく接近することを避けることができない状況であることを知った場合、速やかに機関を使用して行き脚を止めるべき注意義務があった。ところが、同人は、視界制限状態であったにもかかわらず、平和丸の映像を左舷側に認めていたことから、同船が避航船で間もなく右転するものと思い、速やかに行き脚を止めなかった職務上の過失により、同船との衝突を招き、両船に前示のとおりの損傷をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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