日本財団 図書館




1999年(平成11年)

平成9年門審第95号
    件名
漁船第三寿丸貨物船クォーシン衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年3月5日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

畑中美秀、吉川進、岩渕三穂
    理事官
伊東由人

    受審人
A 職名:第三寿丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
寿丸…船首部が大破して浸水、のち廃船処分
クォーシン…左舷中央部外板に擦過傷

    原因
クォーシン…動静監視不十分、船員の常務(前路進出)不遵守(主因)
第三寿丸…船橋を無人、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、クォーシンが、動静監視不十分で、互いに右舷を対して無難に航過できる態勢で航行していた第三寿丸の前路に向けて転針し、新たな衝突の危険を生じさせたことによって発生したが、第三寿丸が、船橋を無人にし、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年6月2日19時20分
種子島南東沖合
2 船舶の要目
船種船名 漁船第三寿丸 貨物船クォーシン
総トン数 19.95トン 15,122.00トン
全長 166.67メートル
登録長 14.80メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 8,127キロワット
漁船法馬力数 190
3事実の経過
第三寿丸(以下「寿丸」という。)は、専ら紀州沖から種子島南方海域にかけぞ鮪延(まぐろはえ)縄漁業に従事するFRP製漁船で、1回の出漁で10回の操業をこなしたのち母港で水揚げする形をとり、A受審人及びB指定海難関係人ほか3人が乗り組み、船首1.2メートル船尾2.0メートルの喫水をもって平成8年6月2日08時僚船の第十五寿丸とともに、宮崎県油津港を発し、種子島南方海域の漁場に向かった。
A受審人は、漁場まで外洋を航行する際は、各乗組員で2時間毎の単独船橋当直輪番制を採り、各当直員に対しては、危険を感ずることがあれば、船長に報告して対応措置を仰ぐよう普段から指示していたものの、食事のために当直員が船橋を無人にするような事態を、当直員個人の判断に任せて暗黙の了解を与え、特にB指定海難関係人に対しては、同人の長年の海上経験を重視するあまり、これに気兼ねし、船橋を無人のまま離れてはならない旨指示していなかった。
B指定海難関係人は、18時00分少し前に昇橋して前直者と交代して船橋当直に入り、18時00分種子島灯台から101度(真方位、以下同じ。)25.7海里の地点に達したとき、針路を190度に定めて自動操舵とし、機関を9.0ノットの全速力前進にかけ、折からの海流に抗し、2度右に圧流されながら192度の実航針路と7.4ノットの対地速力で進行した。
19時05分B指定海難関係人は、出港前日の夕食時に飲んだ酒が残って体調が勝(すぐ)れず、当直交代前の夕食も十分にとれずにいたところ、急に腹具合が急(せ)いてきたので、最船尾上甲板に設けられたトイレに用足しに出掛けることとしたが、操舵室後部の無線室で休息をとっていた船長に一時船橋当直を依頼することなく、レーダーの画面を一瞥(べつ)したところ、右舷船首40度5.8海里に右舷対右舷で互いに無難に航過する態勢で北上していたクォーシンの映像を認めることができたが、トイレに駆け込むことに気を奪われ、同映像を見落とし、付近には他の船舶がいないものと思い、船橋を無人にしたまま船尾端のトイレまで足を運んだ。
B指定海難関係人は、用を終えたのちも速やかに船橋に戻らず、空腹を覚えたので、船尾部の船員室に入って食事代わりに蜜柑を食べようと思い、蜜柑を細かく切っているうち、同時14分半少し過ぎ右舷対右舷で互いに無難に航過する態勢で北上していたクォーシンが針路を寿丸の前路に向けて右転したのち、2海里にまで接近し、新たな衝突の危険が生じていたが、これに気づかず、衝突を避けるための措置をとることなく続航中、19時20分種子島灯台から122度27.4海里の地点で、寿丸は、原針路・原速力のまま、その船首がクォーシンの左舷中央部に前方から80度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風力3の北東風が吹き、付近には白波があり、ほぼ日没時であった。
また、クォーシンは、船尾船橋型コンテナ専用運搬船で、船長C、一等航海士Dほか17人が乗り組み、コンテナ893個の10,671トンを積載し、船首6.30メートル船尾7.58メートルの喫水をもって、同月1日08時30分(現地時刻)台湾基隆港を発し、京浜港横浜区に向かった。

D一等航海士は、16時00時から当番の操舵手と2人で航海当直に入って見張りにあたっていたところ、19時05分右舷船首1度5.8海里に南下している寿丸を視認できる状況となったがこれに気づかず、同時13分種子島灯台から125度25.5海里の地点に至り、寿丸は右舷船首13度2.6海里と方位が右に大きく変わり、互いに右舷対右舷で距離1海里以上隔てて無難に航過できる態勢となったが、折からの日没前の太陽の光を背部から受け、寿丸の船体を認めたものの、動静監視不十分で、どうしたことか同船の針路の予測を誤り、このままでは衝突のおそれがあると判断し、寿丸を逆に左舷船首18度に見て同船の前路に向首する080度に右転し、クォーシンが無難に南下していた寿丸の前路を塞(ふさ)ぐ格好となる態勢で進行し、同船との新たな衝突の危険を生じさせ、同時14分半少し過ぎ寿丸は衝突の危険が生じたまま2海里に接近したが、速やかに右転するなど、衝突の危険を解消する措置をとらずに続航中、同時20分少し前左舷船首至近に迫った寿丸に衝突の危険を感じ、右舵一杯にとって右転したが及ばず、船首が090度に向いたとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、寿丸は、船首部が大破して浸水したが、自力で帰港したのち廃船処分にされ、クォーシンは、左舷中央部外板に擦過傷を生じたが、のち修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、種子島南東沖合において、北上中のクォーシンが南下中の寿丸と互いに右舷を対して無難に航過できる態勢で航行していた際、クォーシンが、動静監視不十分で、寿丸の前路に向けて転針し、新たな衝突の危険を生じさせたことによって発生したが、寿丸が、船橋を無人にし、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
寿丸の運航が適切でなかったのは、船長が航行中船橋を無人にすることのないよう船橋当直者に指示しなかったことと、船橋当直者が船橋を無人にしたこととによるものである。

(受審人等の所為)
A受審人は、夜間航行中、無資格者に船橋当直を委ねる場合、船橋を離れる必要が生じた際は、船長に一時船橋当直を依頼するなどして、船橋を無人にすることのないよう、各乗組員に指示しておくべき注意義務があった。しかしながら、同受審人は、B指定海難関係人は海上経験の豊富なことから特に注意することもあるまいと思い、船橋を無人にすることのないよう、指示しておかなかった職務上の過失により、B指定海難関係人が船橋を無人にしたまま航行し、クォーシンとの衝突を招き、寿丸の船首に圧壊を、クォーシンの左舷中央部に擦過傷をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B指定海難関係人が、夜間航行中、船橋を無人にし、新たな衝突の危険を生じたまま接近するクォーシンに気づかなかったことは、本件発生の原因となる。
しかしながら、以上のB指定海難関係人の所為に対しては、本人が深く反省している点に徴し、勧告するまでもない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図1

参考図2






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION