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1999年(平成11年)

平成10年広審第34号
    件名
油送船日山丸貨物船新住宝丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年1月21日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

黒岩貢、釜谷獎一、上野延之
    理事官
前久保勝己

    受審人
A 職名:日山丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:新住宝丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
日山丸…左舷船首部外板に破口を生じで浸水
新住宝丸…船首部外板に凹損

    原因
日山丸、新住宝丸…狭い水道の航法(右側通行)不遵守

    主文
本件衝突は、日山丸が、狭い水道の右側端に寄せる針路とせず、その中央に向けて進行したことと、新住宝丸が、狭い水道の右側端に寄せる針路とせず、その中央に向けて進行したこととによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年3月22日19時40分
下津井瀬戸
2 船舶の要目
船種船名 油送船日山丸 貨物船新住宝丸
総トン数 699トン 199トン
全長 75.26メートル 57.5メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,323キロワット 661キロワット
3 事実の経過
日山丸は、水島港を基地として主に関西、九州方面への石油製品の輸送に従事する船尾船橋型油タンカーで、A受審人ほか6人が乗り組み、粗製ガソリン約2,000キロリットルを積載し、船首3.70メートル船尾5.02メートルの喫水をもって、平成9年3月22日19時00分水島港を発し、航行中の動力船の灯火を表示して名古屋港に向かった。
A受審人は、出港後引き続き在橋して操船の指揮に当たり、当直中の一等航海士を操舵に付けて水島航路を南下し、19時28分久須見鼻灯標から270度(真方位、以下同じ。)1.9海里の地点に達したとき、針路を090度に定めて同航路から下津井瀬戸に入り、機関を全速力前進にかけ、折からの逆潮流に抗し、9.4ノットの対地速力で進行した。
ところで、下津井瀬戸は、北側の陸岸と、南側の櫃石(ひついし)島、松島、釜島及びコシキなどの浅瀬との間をほぼ東西に延び、その中央部を下津井瀬戸大橋が南北に縦断する長さ約2海里の小型船の常用航路で、同橋の西側の水路幅は十分に広かったが、その東側は東方に進むに連れて狭くなり、とりわけ同瀬戸東口付近の久須見鼻灯標と松島北東端との間は、可航幅約350メートルの狭い水道となっていた。
19時36分A受審人は、久須見鼻灯標から269度1,200メートルの地点で、針路を前示狭い水道に向く098度に転じて続航したところ、同時36分半同灯標から267度1,050メートルの地点に至り、左舷船首12度102海里に白、白、緑3灯を表示した新住宝丸を初めて認め、同船と同水道付近で出会うものと予測して進行した。
19時38分A受審人は、久須見鼻灯標から260度650メートルの地点に達したとき、新庄宝丸の灯火を左舷船首9度1,200メートルに認めるとともに、まもなく狭い水道に差し掛かることから、右転して同水道右側端に寄せるべき状況となったが、レーダー等により自船の位置を確実に把握しておらず、右舷側の松島を近く感じていたのですでに同水道の右側寄りに向首しているものと思い、同時38分半同灯標から256度500メートルの地点で探照灯による短閃光1回を発したのち針路を6度右に転じて104度としたものの、右側端に寄せる針路とすることなく、同水道のほぼ中央に向けて続航した。
19時39分A受審人は、新住宝丸が右舷船首9度600メートルに接近し、マスト灯の間隔は狭まったものの、依然、緑灯を見せていたことから衝突の危険を感じて機関を微速力前進に減じ、更に右に寄せようとしたが松島への接近が気になって果たせず逆潮流により船首をわずかに左右に振りながら同船の右転を期待して進行中、同時40分少し前新住宝丸が短閃光2回を発して左転を始めたのに驚き、機関を停止するとともに右舵一杯としたが及ばず、19時40分日山丸は、久須見鼻灯標から212度270メートルの地点において、120度を向首し、6.0ノットの速力となったその左舷船首部に、新住宝丸の船首が真横から衝突した。
当時、天候は晴で風1の北東風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、衝突地点付近には1.4ノットの西流があった。
また、新住宝丸は、鋼材輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、B受審人ほか2人が乗り組み、空倉のまま、船首0.4メートル船尾2.5メートルの喫水をもって、同日12時10分大阪港を発し、日没後は航行中の動力船の灯火を表示して下津井瀬戸経由で水島港に向かった。
出港後当直に就いたB受審人は、明石海峡を抜けたところで機関長と当直を交代し、その後、小豆島大角鼻の手前で再び当直に就き、備讃瀬戸東航路を経て柏島南方から下津井瀬戸に向け西行した。
19時35分半B受審人は、久須見鼻灯標から080度1,480メートルの地点に達したとき、針路を同灯標と松島東端との間の狭い水道に向く249度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの順潮流に乗じて12.0ノットの対地速力で手動操舵として進行したところ、同時36分半同灯標から084度1,100メートルの地点に至り、右舷船首17度1.2海里に白、白、紅3灯を表示した日山丸を初めて認め、同船と同水道付近で出会うものと予測して続航した。
19時38分B受審人は、久須見鼻灯標から098度600メートルの地点に達したとき、日山丸の灯火を右舷船首20度1,200メートルに認めるとともに、まもなく狭い水道に入ることから、右転してその右側端に寄せるべき状況となったが、平素と同様に同水道の中央を通航する針路で航行しても大丈夫と思い、直ちに同水道の右側端に寄せる針路とすることなく進行した。
19時39分B受審人は、久須見鼻灯標から135度300メートルの地点に達したとき、狭い水道に沿う針路とするため右転して270度としたところ、日山丸の灯火を右舷船首6度600メートルに認め、左舷灯が見えたもののマスト灯の間隔が狭く、ときおり両舷灯が、更には右舷灯が見えるように感じたことから、右転をためらっているうちなおも接近し、同時40分少し前探照灯による短閃光2回を発し、左舵一杯、機関を全速力後進としたが及ばず、新住宝丸は、210度を向首してほぼ原速力のまま前示のとおり衝突した。
衝突の結果、日山丸は、左舷船首部外板に破口を生じで浸水し、新住宝丸は、船首部外板に凹損を生じたがのち両船とも修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、両船が、久須見鼻付近の狭い水道を航行する際、東行する日山丸が、その右側端に寄せる針路とせず、中央に向けて進行したことと、西行する新住宝丸が、その右側端に寄せる針路とせず、中央に向けて進行したこととによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人が夜間、久須貝鼻付近の狭い水道に向けて東行する場合、他船と安全に航過できるよう、その右側端に寄せる針路とすべき注意義務があった。しかるに、同人は、右舷側の島が近く感じたことからすでに同水道の右側寄りに向首しているものと思い、わずかに右転しただけで、右側端に寄せる針路としなかった職務上の過失により、同水道の中央を進行して新住宝丸との衝突を招き、自船の左舷船首部外板に破口を、新住宝丸の船首部外板に凹損をそれぞれ生じせしめるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人が、夜間、久須見鼻付近の狭い水道に向けて西行する場合、他船と安全に航過できるよう、その右側端に寄せる針路とすべき注意義務があった。しかるに、同人は、平素と同様に同水道の中央を進行しても大丈夫と思い、右側端に寄せる針路としなかった職務上の過失により、同水道の中央を進行して日山丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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