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1999年(平成11年)

平成10年横審第71号
    件名
油送船第二いそぷれん丸貨物船第八進成丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年6月29日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

西村敏和、猪俣貞稔、長浜義昭
    理事官
葉山忠雄、長谷川峯清

    受審人
A 職名:第二いそぷれん丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
B 職名:第二いそぷれん丸一等航海士 海技免状:五級海技士(航海)
C 職名:第八進成丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
D 職名:第八進成丸一等航海士 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
いそぷれん丸…球状船首部及び右舷船首部に破口を伴う損傷
進成丸…貨物倉右舷側後部の喫水線下に破口を生じて浸水、沈没

    原因
いそぷれん丸…狭視界時の航法(信号、速力、レーダー)不遵守
進成丸…狭視界時の航法(速力)不遵守

    主文
本件衝突は、第二いそぷれん丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことと、第八進成丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
受審人Cを戒告する。
受審人Dを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年7月8日00時08分
房総半島野島埼沖合
2 船舶の要目
船種船名 油送船第二いそぷれん丸 貨物船第八進成丸
総トン数 699トン 378トン
全長 76.00メートル 66.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,323キロワット 735キロワット
3 事実の経過
第二いそぷれん丸(以下「いそぷれん丸」という。)は、専ら引火性液体類であるC5留分と称するペンタン留分の運送に従事し、千葉港でペンタン留分を積載して鹿島港で揚荷し、鹿島港でイソプレン分を分留した残留ペンタン留分を横載して千葉港で揚荷する運航形態をとる、可変ピッチプロペラを装備した船尾船橋型の鋼製C5専用船で、A、B両受審人ほか6人が乗り組み、残留ペンタン留分1,300トンを積載し、船首2,8メートル船尾4.8メートルの喫水をもって、平成10年7月7日15時39分鹿島港を発し、千葉港に向かった。
ところで、R株式会社(以下「R社」という。)は、いそぷれん丸を所有し、同船を関連会社であるS株式会社に裸用船に出し、船員を配乗したうえで再用船して他社に運航を委託していたが、いそぷれん丸など所有船舶のほか、定期用船及び運航委託船舶を含め含計36隻を運航しており、これらの船舶の運航及び荷役の安全指導を担当する部門として安全管理部を置き、同部では、各船に赴いて指導文書等を配布するなどして安全指導を行っていたものの、船舶の運航に関することは基本的に船長の職務権限に属することであるとして、船長にその対応を委ねていたので、視界制限状態における各船の運航実態を十分に把握しておらず、同状態時における安全運航についての指導を徹底していなかった。
一方、A受審人は、視界制限状態時における遵守事項及び運航基準などを記載した、R社安全管理部作成の文書を船橋内に掲示することによって、各船橋当直者に対し、同状態時における報告、減速基準及び見張員の増員などについて周知していた。しかし、A受審人は、千葉、鹿島両港間を約2日間で1往復の、年間約140往復に及ぶ航海で、これまで各船橋当直者が、同状態時における報告、霧中信号及び減速などを励行していないことを知っていたが、同状態時における報告など遵守すべき事項について改めて指示するまでもないと思い、各船橋当直者に対し指示を徹底していなかった。
A受審人は、船橋当直を通常は自らと3人の航海士による単独4直制としていたが、同年6月に乗船した新任の二等航海士が同当直に慣れるまでの間、同じ当直に入れて操船の補助に就け、B受審人及び次席一等航海士はそれぞれ単独で、3直制の船橋当直とし、当直時間は定めずに同当直交替地点を定め、鹿島港から千葉港くの航海においては、自らは発航時から鹿島港外まで、次席一等航海士が鹿島港外から千葉県太東埼沖合まで、B受審人が太東埼沖合から同県布良鼻沖合まで、そして布良鼻沖合から千葉港入港までは自らが操船指揮に当たることにしていた。
A受審人は、発航前にVHF無線電話で千葉県北部地方に濃霧注意報が発表されていることを知り、発航時から霧模様のため視程が約1海里の視界制限状態となっていたことから、法定の灯火を表示し、霧中信号を行い、鹿島港外の船橋当直交替地点を航過したのちも引き続いて操船の指揮を執り、所定の当直者である次席一等航海士を手動操舵に就け、機関回転数毎分275及び翼角前進15度の全速力前進にかけ、11.5ノットの対地速力で鹿島灘を南下した。
16時10分A受審人は、周囲に船舶が少なくなったところで、自動操舵に切り換えて次席一等航海士を見張りに就け、17時45分犬吠埼沖合に至って視程が2海里以上に回復し、犬吠埼灯台をはじめ陸上の灯火が視認できるようになったので、霧中信号を止め、その後は同航海士に船橋当直を委ねることとしたが、再度視界制限状態となったときには同当直者から報告があるものと思い、同当直者に対し、同状態となったときには船長に報告するよう、各当直者への申し送りについて改めて指示せずに降橋し、自室で休息をとった。
20時15分B受審人は、太東埼沖合において、次席一等航海士から視界が悪くなってきたこと及び周囲の他船の動静について引き継ぎを受けて船橋当直に就き、このころ視程が約1海里に狭まって視界制限状態となったが、このことをA受審人に報告せず、霧中信号を行うことも、速力を減じることもせずに、船橋右舷後部に設置されたレーダーを3海里レンジとして他船の航跡を表示させ、映像の中心位置を1.5海里後方に下げ、船首方向が4.5海里まで探知できるようにして見張り用に、また、操舵装置の左舷側に設置されたレーダーを12海里レンジとして船位の測定用にそれぞれ使用し、操舵装置の後方に立って操船に当たった。
21時29分B受審人は、岩和田港防波堤灯台から138度(真方位、以下同じ。)4.0海里の地点において、針路を238度に定め、引き続き全速力前進のまま、折から海潮流の影響により10.8ノットの対地速力で、自動操舵により進行したところ、定針後間もなく濃い霧のため視界が約100メートルに制限された状況となったが、依然としてこのことをA受審人に報告しないまま、霧中信号を行うことも、速力を減じることもせずに続航した。
23時56分B受審人は、野島埼灯台から127度3.5海里の地点に達したとき、見張り用のレーダーで右舷船首19度3.2海里のところに、第八進成丸(以下「進成丸」という。)のレーダー映像を初めて認め、その接近状況から同船は反航していることを知り、自船は間もなく270度に転針する予定であるので、早めに同針路に転じれば、同船も右転して互いに左舷を対して通過できると考え、同時57分同灯台から130度3.5海里の地点において、針路を270度に転じ、海潮流の影響により、10.3ノットの対地速力で進行した。
転針後、B受審人は、操舵室左舷後部の海図台に向かって、海図に転針地点を記入し、続いて航海日誌に英文で転針した旨を記入していたところ、翌8日00時00分半、野島埼灯台から138度3.05海里の地点において、右転しないまま直進する進成丸が左舷船首10度2.0海里のところに接近し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、不慣れな英文で同日誌に記入していたことから、これに手間取り、レーダーによる同船の動静監視を行っていなかったので、このことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、また、必要に応じて行きあしを止めることもせずに続航した。
00時04分B受審人は、野島埼灯台から147度2.7海里の地点において、ようやく航海日誌の記入を終えてレーダーで進成丸の動静を確認したところ、同船が左舷船首7度1.0海里のところに接近しており、既に同船と著しく接近することを避けることができない状況となっていることを知ったものの、自船の右舷側2海里には野島埼沿岸の暗礁などが存在することから、針路を大幅に右に転じることが困難な状況もあって、同時05分同灯台から150度2.6海里の地点において、同船と1,400メートルの距離になったとき、左舷を対して通過するつもりで、自動操舵のまま針路設定つまみを10度だけ右に回し、針路を280度に転じた。
こうして、B受審人は、原速力のまま続航中、00時07分半、進成丸の映像が間近に迫って衝突の危険を感じ、探照灯を,点滅して注意を喚起し、続いて針路設定を285度とした直後に、左舷船首至近に同船の緑灯と船橋を視認して、急いで針路設定つまみを大きく左に回したが、効なく、00時08分野島埼灯台から160度2.3海里の地点において、いそぷれん丸の船首が285度を向いたとき、原速力のまま、進成丸の右舷後部に、前方から47度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風はほとんどなく、視程は約100メートルであった。
A受審人は、自室で就寝中に衝撃を感じて直ちに昇橋し、進成丸乗務員の救助に当たった。
また、進成丸は、主として瀬戸内海において鋼材などの運送に従事する船尾船橋型の鋼製貨物船で、C、D両受審人ほか2人が乗り組み、銑鉄1,000トンを積載し、船首3.1メートル船尾4.4メートルの喫水もって、同月6日16時00分福山港を発し、塩釜港に向かった。
ところで、C受審人は、平成6年に進成丸が就航して以来、同船の船長として乗り組み、当初から甲板部の乗組員が自身とD受審人の2人だけであったため、船橋当直を単独6時間2直制とせざるを得ず、同受審人が、同船の船舶所有者であるT有限会社の代表取締役を務める関係上、一等航海士として雇入れしていたものの、海上勤務の経験が長く、自身が休暇下船した際などに年間延べ2ないし3箇月間臨時に船長職に就くなど、同船の運航に慣れていたことから、同受審人が同当直中は、視界制限状態時や狭水道通過時においても、同受審人に同当直を委ねたままで、同状態時には機関部の当直者を昇橋させて見張りを強化していたものの、これまでも昇橋して自ら操船の指揮を執ることはなかった。
翌7日20時40分C受審人は、伊豆半島東摩の爪木埼沖合において、D受審人に針路及び速力だけを引き継いで船橋当直を交替し、降橋して目室で休息をとった船橋当直に就いたD受審人は、法定の灯火を表示し、操舵装置の左舷側に設置された2台のレーダーのうち、1台を6海里レンジとして遠距離の見張り用に、他の1台を3海里レンジとして近距離の見張り用にそれぞれ使用し、GPSプロッタで船位を確認しながら操船に当たり、機関回転数毎分355の全速力前進にかけて伊豆半島東方を北上し、21時53分伊豆大島灯台から327度2.6海里の地点において、針路を090度に定め、折から海潮流の影響により、13.2ノットの対地速力で、野島埼南方沖合に向けて自動操舵によって進行した。
23時45分D受審人は、野島埼灯台から209度4.6海里の地点に達し、このころ同灯台は視認できなかったものの、視程が1海里以上あり、視界制限状態となっていなかったことから、野島埼東方の陸岸を約2海里離して航過するつもりで、レーダーにより航過距離を確認したうえで、針路を058度に転じた。
23時55分D受審人は、野島埼灯台から188度2.95海里の地点において、霧が急に濃くなって視程が約100メートルに狭まって視界制限状態となったが、同状態時においても船橋当直者が操船することになっていたので、このことをC受審人に報告せず、自動吹鳴により霧中信号を始め、機関回転数毎分250の半速力前進として7.0ノットの対地速力に減じ、6海里レンジとしたレーダーで周囲を確認、したところ、右舷船首18度3.5海里にいそぷれん丸のレーダー映像を初めて認め、その接近状況から同船は反航していることを知り、同船と右舷を対して約0.5海里隔てて通過できると判断して続航した。
翌8日00時00分半D受審人は、野島埼灯台から177度2.6海里の地点において、いそぷれん丸が右舷船首22度2.0海里に接近し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、その方位がわずかに右方に変化していたので、このまま右舷を対して無難に通過できると思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、また、必要に応じて行きあしを止めることもせずに進行し、同時05分同灯台から166度2.4海里の地点において、同船が右舷船首27度1,400メートルに接近して不安を感じたので、ようやく機関回転数毎分210の微速力前進に減じ、5.0ノットの対地速力で続航した。
こうして、D受審人は、微速力前進に減速したことにより、視界制限状態となったことを知って昇橋してきた機関長を見張りに就けて進行中、00時07分いそぷれん丸のレーダー映像の方位が変化しなくなったことに気付き、更に機関回転数毎分180の極微速力前進に減じたものの、依然として行きあしを止めず、同時07分半、他船の汽笛音を聞いて機関を停止し、その直後に右舷船首方向にいそぷれん丸の発光信号を、続いて霧に反射した同船の灯火を視認して機関を後進としたが、及ばず、原針路のまま、約3ノットの前進惰力で、前示のとおり衝突した。
C受審人は、自室で就寝中に衝撃で事故の発生を知り、昇橋する暇もなく、浸水により船体が右舷側に大きく傾斜したので、他の乗組員とともに海中に飛び込み、全員が膨張式いかだに乗り込んで、同いかだに備付けの笛を吹きながら救助を待った。
衝突の結果、いそぷれん丸は、球状船首部及び右舷船首部に破口を伴う損傷を生じたが、のち修理され、進成丸は、貨物右舷側後部の喫水線下に破口を生じて浸水し、間もなく沈没したが、C受審人ほか同船の乗組員は、いそぷれん丸に無事救助された。

(原因)
本件衝突は、夜間、霧のため視界制限状態となった房総半島野島埼沖合において、いそぷれん丸が、霧中信号を行うことも、安全な速力に減じることもせずに西行中、レーダーによる動静監視不十分で、前路に探知した進成丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて行きあしを止めなかったことと、進成丸が北上中、レーダーで前路に探知したいそぷれん丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、漸次減速はしたものの、必要に応じて行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。
いそぷれん丸の運航が適切でなかったのは、船長の船橋当直者に対する視界制限状態時の報告についての指示が徹底していなかったことと、同当直者の同状態時の報告及び措置が適切でなかったこととによるものである。進成丸の運航が適切でなかったのは、船長が視界制限状態時に自ら操船を指揮する体制を採らなかったことと、船橋当直者の同状態時の措置が適切でなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
A受審人は、濃霧注意報が発表された状況下の鹿島灘を南下中、視界が回復して所定の当直者に船橋当直を委ねて降橋する場合、同当直者に対し、再度視界制限状態となったときにには船長へ報告するよう、各当直者への申し送りについて改めて指示すべき注意義務があった。しかしながら、同人は、船橋内に同状態となったときの報告について記載した文書を掲示しているので、改めて指示するまでもないと思い、同当直者に対し、同状態となったときには船長へ報告するよう、各当直者への申し送りについて改めて指示しなかった職務上の過失により、同状態となったことの報告が得られず、同当直者に任せたまま進行して衝突を招き、いそぷれん丸の船首部に破口を伴う損傷などを生じ、進成丸の貨物倉右舷側後部の喫水線下に破口を生じさせて浸水、沈没させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、夜間、霧のため視界制限状態となった房総半島野島埼沖合を西行中、レーダーで右舷前方に進成丸の映像を探知し、同船と左舷を対して通過しようとして針路を右に転じた場合、同船と著しく接近することを避けることができるかどうかを判断できるよう、レーダーによる動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、自船は右転したので進成丸もそのうち右転し、互いに左舷を対して無難に通過できるものと思い、不慣れな英文での航海日誌の記入に気をとられ、レーダーによる動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、同船が右転せずに直進し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、また、必要に応じて行きあしを止めることもせずに、原速力のまま進行して衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
C受審人は、船舶を連航する場合、視界制限状態時において、自ら操船を指揮する体勢を採るべき注意義務があった。しかしながら、同人は、船橋当直者は操船に慣れており、見張員を増員しているので、同当直者に任せたままで大丈夫と思い、同状態時において、自ら操船を指揮する体制を採っていなかったばかりか、同当直者に対して同状態となったことを報告するよう指示しなかったことから、同状態となったことの報告が得られず、自ら操船を指揮しなかった職務土の過失により、同当直者に任せたまま進行して衝突を招き、前示のとおり損傷を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項3号を適用して同人を戒告する。
D受審人は、夜間、霧のため視界制限状態となった房総半島野島埼沖合を北上中、レーダーで右舷前方にいそぷれん丸の映像を探知し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことを知った場合、針路を保つことができる最小度の速力に減じ、また、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかしながら、同人は、同船のレーダー映像が接近してくることに不安を感じ、漸次減速はしたものの、必凄に応じて行きあしを止めなかった職務上の過失により、前進惰力で進行して衝突を招き、前示のとおり損傷を生じさせるに至った。
以上のD受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条弟1項3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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