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1999年(平成11年)

平成10年神審第90号
    件名
貨物船第八旭豊丸貨物船第十六神幸丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年7月29日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

須貝壽榮、工藤民雄、米原健一
    理事官
橋本學、野村昌志

    受審人
A 職名:第八旭豊丸船長 海技免状:五級海技士(航海)(旧就業範囲)
B 職名:第八旭豊丸一等航海士 海技免状:六級海技士(航海)
C 職名:第十六神幸丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
旭豊丸…船首外板に破口を伴う凹損
神幸丸…右舷中央部外板に破口を生じて右舷側に転覆、のち廃船

    原因
旭豊丸、神幸丸…狭視界時の航法(速力)不遵守

    主文
本件衝突は、両船が強潮流時に鳴門海峡の最狭部に向けて航行中、視界制限状態となった際、第八旭豊丸が、視界が回復するまで大鳴門橋南側の安全な水域で待機しなかったことと、第十六神幸丸が、視界が回復するまで同橋北側の安全な水域で特機しなかったこととによって発生したものである。
受審人Aの五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
受審人Cの三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年5月15日08時40分
鳴門海峡
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第八旭豊丸 貨物船第十六神幸丸
総トン数 473.09トン 199トン
全長 57.50メートル 58.70メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 588キロワット
3 事実の経過
第八旭豊丸(以下「旭豊丸」という。)は、船尾船橋型の液体貨物ばら積船で、A受審人及びB受審人ほか3人が乗り組み、液体炭酸カルシウム500トンを載せ、船首2.70メートル船尾3.80メートルの喫水をもって、平成9年5月14日04時10分静岡県田子の浦港を発し、愛媛県寒川港に向かった。
A受審人は、船橋当直を同人、B受審人及び甲板員による4時間交替の3直制とし、翌15日04時00分和歌山県日ノ御埼南方沖合においてB受審人から引き継いで単独の同当直に就き、紀伊水道を鳴門海峡に向けて北上中、07時00分ごろ同海峡南口に差し掛かったとき、霧で視界が制限されるようになり、同海峡の潮流は南流のほぼ最強時で、流速が6.5ノットに達していることから、このまま通峡するのは無理であると判断し、視界の回復を待つため、同時40分鳴門飛島灯台(以下「飛島灯台」という。)の南方700メートル付近で漂泊した。
ところで、鳴門海峡は、兵庫県淡路島の門埼と徳島県大毛島の孫埼南方至近との間に架かっている大鳴門橋の付近が可航幅360メートルばかりの南北に開けた最狭部となっており、潮流の最強時には流速が速く、複雑な渦流が生じるところであった。
そして、同橋には、昼間の航路標識として、可航水域の側端及び中央を示す大鳴門橋橋梁標(以下「橋梁標」という。)が設置されており、橋梁標は、昼間に同海峡を通航する船舶が同橋に接近する際の船首目標となっていた。
やがてA受審人は、それまで視認できなかった西方の大毛島の山頂が見えてきたので、まだ海面付近には霧がかかっており、鳴門海峡の潮流は弱まっていなかったが、漂泊を打ち切って通峡することとし、08時20分自ら操船の指揮をとり、B受審人に手動操舵を、甲板員に見張りをそれぞれ行わせ、霧中信号を吹鳴して発進した。
08時32分半A受審人は、飛島灯台から099度(真方位、以下同じ。)450メートルの地点で、大鳴門橋の2つの主塔の上部が見えていたことから、これを見当にして針路を339度に定め、機関を全速力より少し下げた8.5ノットにかけ、折からの南流により3.5ノットの対地速力で6度左方に圧流されながら進行した。
08時35分A受審人は、飛島灯台を左舷側360メートル隔てて通過したころ、視程が100メートルばかりで著しく視界が制限され、橋梁標はもちろんのこと、これまで見えていた大鳴門橋の主塔の上部が見えない状態となった。同人は、このような状態で5.0ノットの南流に抗して北上中にレーダーで前路に南下する船舶の映像を探知したとしても、同橋付近において、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったとき、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行き脚を止めることも、また、右側端に寄って航行することも困難であったが、間もなく霧が消散するものと思い、速やかに視界が回復するまで大鳴門橋の南側の安全な水域で待機しなかった。
一方、B受審人は、鳴門海峡の最狭部に向けて北上中、濃霧のため著い視界制限状態となったが、船長の指示により手動操舵に当たっていた。
A受審人は、08時38分半飛島灯台から015度530メートルの地点に達したとき、船首方の見張りをしていたことから、大鳴門橋の北方で右舷船首3度620メートルに南下する第十六神幸丸(以下「神幸丸」という。)のレーダー映像を探知しないまま、同橋の下の水路中央部に向けて北上し、同時39分半同橋に接近したので、いつものとおり針路を000度に転じ、潮流により20度右方に圧流されながら続航中、同時40分わずか前船首至近に同船を初めて視認し、機関を全速力後進にかけたが及ばず、08時40分飛島灯台から009度700メートルの地点において、旭豊丸は、その船首が、原針路のまま、神幸丸の右舷中央部に前方から65度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風はほとんどなく、視程は100メートル、潮候は下げ潮の初期で、南流最強時の約1時間半後にあたり、衝突地点付近にはほぼ164度に流れる5.0ノットの潮流があった。
また、神幸丸は、船尾船橋型の鋼製貨物船で、C受審人が機関長と2人で乗り組み、製紙用研磨材600トンを載せ、船首2.30メートル船尾3.45メートルの喫水をもって、同月14日17時00分広島県江田島を発し、徳島県富岡港に向かった。
ところで神幸丸では、平素はC受審人及び機関長のほか甲板員1人が乗り組み、船橋当直は3直4時間交替で行われていたが、今航海は甲板員が家庭の事情で下船していたので、同受審人と機関長とが5時間交替でこれに当たっていた。
翌15日03時00分C受審人は、播磨灘南西部において機関長から引き継いで単独の船橋当直に就き、霧模様のなか鳴門海峡に向けて東行し、04時00分ごろ孫埼の北西4海里付近に差し掛かったとき、濃霧で船橋から船首がほとんど見えない状態となったので、このまま通峡するのは無理であると判断し、視界が回復するのを待つため、減速しながら同埼西方の亀浦港に至り、05時15分同港防波堤の外で錨泊した。
C受審人は、自室で仮眠をとった後、昇橋して見張りを行っていたところ、07時00分ごろから霧が少し薄くなり、やがて付近の錨泊船のほか、孫埼に近い鳴門山頂や大鳴門橋の主塔の上部なとが見えるようになったものの、まだ視界が十分回復していなかったが、08時25分抜錨のうえ、自ら手動操舵で操船に当たり、機関長に見張りを行わせ、霧中信号を行わず、鳴門海峡に向けて発進した。
08時38分C受審人は、孫埼の北東450メートル沖合に至り、もうすぐ大鳴門橋の下に向けて右転しようとしていたとき、海面近くの霧が少し濃くなり始め、同時38分半孫埼灯台から056度550メートルの地点で、大鳴門橋の主塔の上部が見えていたので、これを見当にして針路を大鳴門橋の下の水路中央部に向く160度に定め、機関を5.0ノットの半速力にかけ、折からの南流に乗じ10.0ノットの対地速力で2度右方に圧流されながら進行した。
定針直後、C受審人は、視程が100メートルばかりで著しく視界が制限され、橋梁漂はもちろんのこと、これまで見えていた大鳴門橋の主塔が見えない状態となり、また、手動操舵をしていて右舷船首2度620メートルに北上する旭豊丸のレーダー映像を探知しないまま南下した。
ところが、C受審人は、このような状態のもとで流速5.0ノットの南流に乗じて続航すれば、自らは手動操舵に当たっているので、レーダーによる見張りを十分に行うことができないうえ、レーダーで前路に北上する船舶の映像を探知したとしても、大鳴門橋付近において、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったとき、針路を保つことができる最小限度の速度に減じ、必要に応じて行き脚を止めることも、また、右側端に寄って航行することも困難であったが過去の経験から間もなく霧が消散するものと思い、速やかに視界が回復するまで大鳴門橋の北側の安全な水域で待機しなかった。
こうしてC受審人は、旭豊丸のレーダー映像を探知しないで続航中、08時39分半大鳴門橋まで120メートルに近づいたとき、船首右方至近に旭豊丸のマスト及び船橋を初めて視認し、急いで左舵一杯をとったが及ばず、神幸丸は前示のとおり衝突した。
衝突の結果、旭豊丸は、船首外板に破口を伴う凹損を生じ、のち修理された。一方、神幸丸は、右舷中央部外板に破口を生じて右舷側に転覆し、サルベージ船によって香川県多度津港に引き付けられ、のち廃船となった。また、C受審人及び機関長は、転覆の直前に海中に飛び込み、旭豊丸によって救助された。

(原因)
本件衝突は、両船が強潮流時に鳴門海峡の最狭部に向けて航行中、著しし視界制限状態となった際、北上する旭豊丸が、視界が回復するまで大鳴門橋南側の安全な水域で待機しなかったことと、南下する神幸丸が、視界が回復するまで同橋北側の安全な水域で待機しなかったこととによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人は、強い南流時に鳴門海峡を最狭部に向けて北上中、大鳴門橋に差し掛かる少し前に著い視界制限状態となった場合、南下する船舶と著しく接近することを避けることができない状況となったとき、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行き脚を止めることも、また、右側端に寄って航行することも困難であったから、視界が回復するまで同橋南側の安全な水域で待機すべき注意義務があった。しかるに、同人は、間もなく霧が消散するものと思い、視界が回復するまで同橋南側の安全な水域で待機しなかった職務上の過失により、そのまま北上を続けて神幸丸との衝突を招き、旭豊丸の船首外板に破口を伴う凹損を生じさせ、神幸丸の右舷中央部外板に破口を生じさせて右舷側に転覆させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
C受審人は、強い南流時に鳴門海峡を最狭部に向けて南下中、大鳴門橋に差し掛かる少し前に著しい視界制限状態となった場合、北上する船舶と著しく接近することを避けることができない状況となったとき、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行き脚を止めることも、また、右側端に寄って航行することも困難であったから、視界が回復するまで同橋北側の安全な水域で待機すべき注意義務があった。しかるに、同人は、過去の経験から間もなく霧が消散するものと思い、視界が回復するまで同橋北側の安全な水域で待機しなかった職務上の過失により、そのまま南下を続けて旭豊丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせ、神幸丸を転覆させるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
B受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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