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1999年(平成11年)

平成10年横審第88号
    件名
油送船第十八常盤丸貨物船春日丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年3月16日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

西村敏和、猪俣貞稔、勝又三郎
    理事官
大本直宏

    受審人
A 職名:第十八常盤丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:第十八常盤丸一等航海士 海技免状:三級海技士(航海)
C 職名:春日丸船長 海技免状:四級海技士(航海)(履歴限定)
    指定海難関係人

    損害
常盤丸…船首部に凹損
春日丸…左舷後部に破口を伴う凹損

    原因
常盤丸…狭視界時の航法(レーダー・速力・信号)不遵守(主因)
春日丸…狭視界時の航法(信号・速力)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、第十八常盤丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことによって発生したが、春日丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことも一因をなすものである。
受審人Bを戒告する。
受審人Cを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年4月4日07時50分
三重県大王埼沖合
2 船舶の要目
船種船名 油送船第十八常盤丸 貨物船春日丸
総トン数 279トン 199トン
全長 49.00メートル 56.94メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 588キロワット 588キロワット
3 事実の経過
第十八常盤丸(以下「常盤丸」という。)は、専ら和歌山下津港から名古屋港及び京浜港向けの潤滑油等の運送に従事する船尾船橋型の鋼製油送船で、A、B両受審人ほか3人が乗り組み、潤滑油500キロリットルを積載し、船首2.60メートル船尾3.75メートルの喫水をもって、平成9年4月3日16時40分和歌山下津港を発し、名古屋港に向かった。
ところで、B受審人は、平成9年1月31日に常盤丸の一等航海士として乗り組み、その後A受審人の休暇下船に伴って、2月28日から3月31日までの1箇月間、同人に代わって船長職を執っていたことから、A受審人は、4月1日に船長職に復帰した際、B受審人に対して、視界制限状態となった際の報告について指示しなかった。
A受審人は、船橋当直を自らとB受審人及び甲板長とで単独3直制とし、4月4日03時00分三重県三木埼南方沖合において、船橋当直に就き、紀伊半島東岸を大王埼沖合に向けて進行し、06時40分大王埼灯台から215度(真方位、以下同じ。)11.5海里の地点で、甲板長と船橋当直を交替して降橋し、自室で就寝した。
甲板長は、船橋当直中、伊良湖水道では霧のため視界制限状態にあるとの情報を入手し、北上するに従っ視界が悪化することが予想されたので、法定灯火を表示し、機関を直ちに操作することができる状態にしたうえで、07時15分大王埼灯台から204度6.1海里の地点において、B受審人と船橋当直を交替した。
船橋当直に就いたB受審人は、このころ視程は3海里あったものの、霧のため左舷側の陸岸力視認できない状況であったので、6海里レンジとしたレーダーで船位を確認したところ、いつもの針路線より陸岸に寄っており、このまま大王埼沖合に向かうと、同沖合を航過して布施田水道に向かう船舶の進路と交差することになるので、07時18分大王埼灯台から202度5.6海里の地点において、針路を053度に定め、機関を毎分330回転の全速力前進にかけ、9.7ノットの対地速力で、自動操舵により進行した。
B受審人は、大王埼沖合の伊良湖水道に向ける転針地点に接近したころ、視程が1海里に狭まって視界制限状態となったがこの程度の視程であれば、1人で当直を行っても大丈夫と思い、更に視界が悪くなるようであれば、A受審人に報告することにし、霧中信号を行わず、安全な速力とすることもせずに、6海里レンジとしたレーダーで見張りを行いながら続航した。
07時40分少し前B受審人は、大王埼灯台から166度3.2海里の地点に達したとき、右舷船首3度3.0海里のところに春日丸をレーダーで探知できる状況で、その後同時43分同船を正船首2.0海里のところに見るようになり、その方位がわずかに左方に変化していたものの、著しく接近することが避けられない状況となったが、レーダー見張りを十分に行っていなかったので、このことに気付かず、霧中信号を行うことも、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、また、必要に応じて行きあしを止めることもせずに進行した。
07時44分半B受審人は、6海里レンジとしたレーダーで、大王埼灯台から152度3.0海里の転針地点に達したことを確認し、このとき、左舷船首3度1.5海里に春日丸の映像を探知できる状況であり、このまま予定針路に向けて転針すれば、前方から接近する春日丸に対し、左転することになる状況であったが、転針方向に対するレーダー見張りを十分に行わなかったので、このことに気付かず、針路を左に転じて023度とし、伊良湖水道に向かった。
間もなくB受審人は、大王埼が3海里内に入ったのでレーダーを3海里レンジに切り替えたところ、海面反射によりレーダー画面の中心部の輝度が上がって中心部付近の映像の識別ができなくなったので、同画面の調整を行いながら続航し、やがて濃い霧の中に入って視界が急速に狭められ、視程が100メートルとなったが、同画面の調整を急いでいたことから、このことをA受審人に報告せずに進行した。
07時46分少し過ぎB受審人は、大王埼灯台から147度2.8海里の地点において、右舷船首29度1.0海里に春日丸の映像を探知できる状況となり、自船の左転によって同船と衝突の危険を生じていたが、レーダー画面の調整に気をとられ、レーダー見張りを十分に行わなかったので、依然として春日丸の存在に気付かず、行きあしを止めることもせずに続航した。
こうして、B受審人は、07時50分わずか前右舷船首至近に迫った春日丸を視認したが、どうすることもできず、07時50分大王埼灯台から136度2.5海里の地点において、常盤丸は、原針路、原速力のまま、その船首が、春日丸の左舷後部に、直角に衝突した。
当時、天候は霧で風はほとんどなく、視程は100メートルであった。
A受審人は、自室で就寝中、衝撃を感じて直ちに昇橋し、事後の措置に当たった。
また、春日丸は、船尾船橋型の鋼製貨物船で、C受審人ほか2人が乗り組み、橋梁部材150トンを積載し、船首1.50メートル船尾2.80メートルの喫水をもって、同月3日14時50分木更津港を発し、佐世保港に向かった。
ところで、C受審人は、機関員として雇入れされているが、2箇月間につき15日間に限り船長職を執ることができ、船長が休暇下船した際には、船長職を執り、これまでに通算して1箇月半ほど同職を執った経験を有し、同職に就いているときは、視界制限状態時や狭水道通過時においては、自らが必ず昇橋して操船を指揮することにしていたことから、乗組員に対して必ず報告するよう指示し、船橋当直を自らが22時から02時、機関長が06時から10時、甲板員が02時から06時の単独4時間3直制としていた。
翌4日05時50分機関長は、大王埼灯台から077度22.0海里の地点において、船橋当直に就き、法定の灯火を表示して、前直から引き続いて針路を250度とし、機関を毎分350回転の全速力前進にかけ、10.5ノットの対地速力で、自動操舵により進行していたところ、06時30分同灯台から080度15.0海里の地点において、視程が3海里となり、その後西進するに従って徐々に視界が悪化し、07時30分同灯台から099.5度5.0海里の地点に至って、濃い霧の中に入って急速に視界が狭められ、視程が100メートルの視界制限状態となったので、C受審人に報告して昇橋を求めた。
C受審人は、直ちに昇橋して操船の指揮を執り、機関長を手動操舵に、先に昇橋していた甲板員を右舷側のレーダー見張りにそれぞれ就け、霧中信号を行うことも、安全な速力に減じることもせずに、自らは3海里レンジとした左舷側のカラーレーダーで見張りを行いながら続航した。
07時39分C受審人は、3海里レンジの外周に入ってきた常盤丸のレーダー映像を初めて認め、その動静を監視していたところ、同時40分少し前大王埼灯台から113度3.5海里の地点において、同船の映像を左舷船首14度3.0海里に認めるようになり、同映像の方位がわずかに左方に変化しながら船首輝線に沿うように接近していたことから、同船は反航船で、自船と左舷を対して0.5海里ばかり隔てて通過するものと判断し、その後同映像を系統的に観察しなかったので、同船と著しく接近する状況にあったことに気付かず、機関を毎分300回転に下げて圧9.0ノットの対地速力に減じただけで、霧中信号を行わずに進行した。
間もなくC受審人は、便意を催し、常盤丸のほかは他船の映像を認めなかったことから、無資格ではあるが、船橋当直の経験が長い機関長を操舵に、甲板員をレーダー見張りに就けているので、少しの間なら船橋を離れても大丈夫と思い、機関長らに対して何ら指示せずに、「用便に行く。」とだけ告げて船橋を離れた。
機関長は、手動操舵に就いたままレーダー見張りを行っていたところ、07時43分大王埼灯台から119度3.2海里の地点において、左舷船首17度2.0海里のところに常盤丸の映像を認め、同船と著しく接近することが避けられない状況となったが、左舷を対して通過できると思い、C受審人から何ら指示がなかったので、霧中信号を行わず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、また、必要に応じて行きあしを止めることもせずに、同受審人の昇橋を待ちながら続航した。
07時46分少し過ぎ機関長は、大王埼灯台から126度2.9海里の地点に達して、左舷船首18度1.0海里のところの常盤丸の映像が、方位が変化せずに、レーダー画面の中心部に向かってくるようになったので、同船を避けるため針路を5度右に転じて255度としたうえで、甲板員に指示してC受審人に直ちに昇橋するよう求めたが、同人がなかなか昇橋して来ないので、同時47分更に針路を260度と小刻みに右に転針した。
こうして、機関長は、常盤丸の映像がレーダー画面の中心に近づき、海面反射内に入って同映像の識別が困難となり、衝突の危険を感じて急ぎ右に転舵して回頭中、春日丸の船首が293度を向いたとき、原速力のまま前示のとおり衝突した。
C受審人は、甲板員から「衝突しそうだ。」との報告を受け、急いで通路に出たところで衝撃を感じ、直ちに昇橋して事後の措置に当たった。
衝突の結果常盤丸は、船首部に凹損を生じ、春日丸は、左舷後部に破口を伴う凹損を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、両船が霧のため視界制限状態となった熊野灘を航行中、北上する常盤丸が、霧中信号を行うことも、安全な速力に減じることもせず、レーダーによる見張り不十分で、春日丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて行きあしを止めなかったばかりか、左転進行したことによって発生したが西進する春日丸が、霧中信号を行うことも、安全な速力に減じることもせず、常盤丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて行きあしを止めなかったことも一因をなすものである。
常盤丸の運航が適切でなかったのは、船長の船橋当直者に対する視界制限状態時の報告について指示が十分でなかったことと、船橋当直者の視界制限状態となったことの報告が行われず、同状態における措置が適切でなかったこととによるものである。
春日丸の運航が適切でなかったのは、船長が、自ら操船の指揮をとらなかったことによるものである。

(受審人の所為)
B受審人は、熊野灘を北上中、視界制限状態となった場合、接近する他船を見落とさないよう、レーダーによる見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、レーダー画面の調整に気をとられ、レーダーによる見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、春日丸と著しく接近することが避けられない状況となったことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて行きあしを止めなかったばかりか、左転進行して衝突を招き、常盤丸の船首部に凹損を生じ、春日丸の左舷後部に破口を伴う凹損を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
C受審人は、熊野灘を西進中、視界制限状態となった場合、自ら操船を指揮すべき注意義務があった。しかしながら、同人は、無資格ではあるが、船橋当直の経験が長い機関長を手動操舵に就けているので、少しの間なら船橋を離れても大丈夫と思い、何らの指示もせずに船橋を離れて用便に行き、自ら操船を指揮しなかった職務上の過失により、同機関長が適切な措置をとれないまま進行して衝突を沼き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人が、熊野灘を北上中、視界制限状態時の報告についての指示が不十分で、船橋当直者から同状態となったことの報告が得られず、自ら操船の指揮を執ることができなかったことは、本件発生の原因となる。
しかしながら、以上のA受審人の所為は、視界が急速に制限された状況のもと、船橋当直者が転針地点の確認やレーダー画面の調整に気をとられ、A受審人への報告が行われず、操船の指揮を執ることができなかったことに徴し、職務上の過失とするまでもない。

よって主文のとおり裁決する

参考図






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