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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年3月1日10時05分 京浜港横浜区 2 船舶の要目 船種船名 油送船オウシヤンスワロウ 貨物船大翔丸 総トン数 36,002.57トン 3,215トン 全長
226.50メートル 93.02メートル 機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関 出力 9,635キロワット
3,089キロワット 3 事実の経過 オウシヤンスワロウ(以下「オ号」という。)は、東南アジアと本邦諸港間において原油輸送に従事する船尾船橋型の油タンカーで、A受審人ほか21人が乗り組み、海水バラスト21,000トンを積載し、船首4.66メートル船尾8.84メートルの喫水をもって、平成9年3月1日09時20分京浜港横浜区の大東通商横浜油槽所桟橋を発し、シンガポール港に向かった。
09時53分A受審人は、横浜本牧防波堤灯台(以下「本牧灯台」という。)から097度(真方位、以下同じ。)650メートルの地点に達し、対地速力が5.8ノットとなったとき、浦賀水道航路に向かうため右転を始め、同時53分半機関の回転数を港内全速力前進の毎分75に上げ、やがて横浜航路を出て、同時57分半同灯台から122度1,600メートルの地点で、対地速力が9.4ノットとなったとき、右転を終えて針路をほぼ浦賀水道航路第5号灯浮標に向首する180度に定め、徐々に増速しながら続航した。 定針したとき、A受審人は、左舷船首12度2.1海里のところにやや進路を交差させて来航する大翔丸を初めて視認したが、浦賀水道航路北口に達するまでに対水速力を12ノットばかりに上げて行くこととし、09時58分半テレグラフを航海全速力前進とするよう三等航海士に命じた。 ところで、オ号の機関操縦機構は、機関制御室の速度調整レバーの設定位置によって機関の最大回転数が抑えられるようになっており、当時のオ号の同レバーは、A受審人の指示によって港内全速力前進の毎分回転数75に設定され、テレグラフが航海全速力前進となっても、同受審人から回転数についての指令がない限り、機関制御室では同レバーを操作しないことにしており、このときも、テレグラフは航海全速力前進となったものの、同受審人から回転数についての指令がなかったので、港内全速力前進の回転数75が保持されたままとなっていた。 09時59分A受審人は、折からの強い南西風による圧流を考慮して針路を182度とし、左方に6度圧流されながら進行するうち、10時00分本牧灯台から139度1.1海里の地点に至り、増速中であった速力がほぼ港内全速力前進の回転数に対応した11.3ノットとなったとき、前路を右方に横切る態勢の大翔丸を左舷船首14度1.4海里に見るようになり、その後同船の方位がほとんど変わらず、衝突のおそれのある態勢で接近するのを認めた。 A受審人は、そのうち大翔丸の方で自船の進路を避けるものと思い、10時00分半対地速力が港内全速力前進の11.4ノットとなって、同速力で南下を続けていたところ、同時01分半相手船が左舷船首15度1.0海里となったとき、同船が20度左転したものの、依然衝突のおそれのある態勢のまま接近していたので、同時02分汽笛を吹鳴して警告信号を行った。しかるに、大翔丸は自船を避航しないまま進行を続け、やがてA受審人は、大翔丸が間近に接近したのを認めたが、同船の避航の動作のみで衝突は回避できるものと思い、速やかに機関を後進にかけて行きあしを止めるなど衝突を避けるための協力動作をとらなかった。 10時04分A受審人は、大翔丸が左舷船首方650メートルに接近したとき、衝突の危険を感じて機関を停止とし、同時04分半右舵一杯を令するとともに機関を全速力後進としたが、すでに遅く、10時05分本牧灯台から157度2.1海里の地点において、オ号は、192度を向首したその船首が、9.7ノットの速力で、大翔丸の右舷船首部に前方から57度の角度で衝突した。 当時、天候は曇で風力6の南西風が吹き、潮候は下げ潮の初期であった。 また、大翔丸は、本邦諸港間においてセメント輸送に従事する船尾船橋型の専用船で、B受審人ほか10人が乗り組み、セメント3,522トンを積載し、船首5.05メートル船尾5.82メートルの喫水をもって、同年2月28日08時40分和歌山県和歌山下津港を発し、京浜港横浜区に向かった。 翌3月1日08時20分B受審人は、浦賀水道航路南口の南方沖合で昇橋し、甲板手を手動操舵に就かせて操船の指揮に当たり、同航路を出たのち、09時44分半東京湾中ノ瀬B灯浮標の西南西方で、機関用意を令して機関を港内全速力前進とし、同時46分半半速力前進、同時51分半微速力前進に減じ、国際信号旗数字旗1を掲げて5.0ノットの対地速力で北上した。 09時57分B受審人は、本牧灯台から154度2.8海里の地点に達したとき、着岸予定の本牧ふ頭D突堤南側の新建材バースに向かうため、汽笛により短音2回の針路信号を行って左転し、とりあえず針路を本牧灯台に向首する335度に定めたところ、右舷船首13度2.2海里に右回頭中のオ号を初めて視認し、自船の存在を知らせるつもりで汽笛により短音数回を吹鳴して進行した。 09時57分半B受審人は、オ号が右回頭を終えて針路を南に向け、前路を左方に横切る態勢となったのを認め、10時00分同船を右舷船首13度1.4海里に見るようになり、その後その方位がほとんど変わらず、衝突のおそれのある態勢で接近したが、相手船は自船の船尾側を替わるものと思い、コンパス方位の変化を確かめるなどその動静を十分に監視しなかったので、このことに気付かず、オ号の進路を避けずに続航した。 10時01分半B受審人は、本牧灯台から154度2.4海里の地点に至り、オ号を右舷船首12度1.0海里に見るようになったとき、新建材バースに向けるとオ号の船首方向を横切ることとなる状況であったが、短音2回の針路信号を行って20度左転し、針路を同バースの東端に向首する315度に転じた。しかし、同受審人は、オ号が巨大船であったことから、左転後も衝突のおそれのある態勢が続いていたが、依然同船は自船の船尾側を替わるものと思い、その動静を十分に監視しなかったので、このことに気付かず、オ号の進路を避けないまま進行した。 B受審人は、10時03分オ号が1,100メートルとなったころ、ようやく同船と衝突のおそれのあることに気付き、オ号に自船の船尾側を替わすよう促すために汽笛により短音数回を吹鳴し、更に同時04分オ号が650メートルに接近したのを見て、衝突の危険を感じ、機関を停止し、続いて後進としたが、及ばず、大翔丸は、ほとんど行きあしがなくなったとき、ほほ原針路のまま前示のとおり衝突した。 衝突の結果、オ号は球状船首に亀裂を伴う凹損を生じ、大翔丸は右舷船首部外板に破口を生じて浸水したが、のちいずれも修理された。
(航法の適用) 本件は、横浜航路を出て浦賀水道航路に向かうオ号と、同航路を出て本牧ふ頭D突堤南側の新建材バースに向かう大翔丸とが、京浜港横浜区の本牧沖合において衝突したもので、同海域は港則法が適用されるところであるが、同法には本件に適用する航法がないので、海上衝突予防法で律することとなる。 ところで、海上衝突予防法は、2隻の動力船が互いに進路を横切る場合において衝突するおそれがあるとき、他の動力船を右舷側に見る動力船は、当該他の動力船の進路を避けなければならず、また、当該他の動力船は、その針路及び速力を保たなければならないとして横切り船及び保持船の航法(以下「横切り船の航法」という。)をそれぞれ規定している。 一方、衝突するおそれがある見合い関係とは、具体的な当事者が実際に衝突の危険を認めた関係を意味するものではなく、注意深い船長が注意していたとすれば衝突の危険があるものと認めることができる関係を指すものとされており、見合い関係の始期は、両船の大きさ、操縦性能、気象・海象の状況、海域や船舶交通の輻輳状況等によって変化するものである。 以下本件について考察する。 まず、オ号の針路については、衝突6分前の09時59分に折からの強い南西風による圧流を考慮して180度から182度とし、その後同針路を保持しながら衝突直前まで進行したものと認められる。 また、オ号の速力については、エンジンロガー記録関係部分写により、衝突6分半前の09時58分半にテレグラフを港内全速力前進から航海全速力前進としていることが認められるが、A受審人に対する質問調書中、「航海全速力前進を令したが、機関の回転数は、09時58分半から衝突直前までの間、港内全速力前進の毎分75のままであった。」旨の供述記載及び松田証人の当廷における同旨の供述から、機関の回転数の上限は衝突直前まで毎分75が保持され、それを超えることはなかったものと考えられる。 このことに、海上公試運転成績書写中のクラッシュアヘッド試験成績及び惰力試験成績と定針前の右旋回に伴う速力変化等を総合勘案すると、対地速力は、右旋回を終えた9時57分半の9.4ノットから徐々に増速して、同時58分9.9ノット、同時59分10.7ノット、10時00分11.3ノット、同時00分半11.4ノットとなり、それ以降は11.4ノットが保持されたものと認められる。 次に、大翔丸の針路については、衝突の3分前の10時01分半に針路を335度から315度としていることが認められ、また、同船の速力については、衝突の8分前の09時57分から衝突直前の機関停止まで50ノットの対地速力が保持されていたものと認められる。 これらのことから考察すると、衝突5分前の10時00分、両船間の距離が1.4海里のとき、大翔丸を左舷側に見るオ号の速力はほぼ11.4ノットが保持されるようになっているが、そのとき以降における互いに相手船の船橋を見る方位の変化は、10時01分半大翔丸が左転するまでの1分半の間、両船互いに左方に変化しているものの、それは1度であり、また、大翔丸の左転後は変化の方向が反転し、両船互いに右方に変化しているものの、それは1分毎に1度、2度の割合であることが分かる。 このように、10時00分以降、オ号及び大翔丸の両船が、互いに相手船を見る方位の変化は、大翔丸の左転の有無にかかわらず、わずかであり、オ号が全長226メートルの巨大船であることを考慮すると、衝突のおそれがあったものと認められる。 一方、衝突の5分前、船間距離1.4海里のときに衝突のおそれのある見合い関係が成立したとすることは、オ号を右舷側に見る大翔丸側において、当時の速力での最短停止距離が、同船の海上試運転成績表写中の前後進試験成績から約80メートルと求められ、また、オ号の船尾方を替わすため約30度右回頭するのに要するアドバンスが同成績表写中の旋回試験成績から約200メートルと求められることから、衝突のおそれの有無を判断するのに若干の時間を要することを勘案しても、避航動作をとるのに十分な時間的、距離的な余裕があったものと認められる。 他方、大翔丸を左舷側に見るオ号側において、当時の速力での最短停止距離を海上公試運転成績書写中の後進試験成績から求めると約1,100メートルで、自船の動作のみで衝突回避が可能な限界は10時02分少し前となることから、衝突を避けるための協力動作をとるのに十分な、時間的、距離的な余裕があったものと認められる。 以上のことを総合すると、船舶交通の輻輳する狭い港内という海域的な事情を考慮すれば衝突の5分前、船間距離1.4海里は、避航船及び保持船がそれぞれの義務を履行するのに、時間的にも、距離的にも必要、かつ、十分なものであり、したがって、本件は横切り船の航法によって律するのが相当である。
(原因) 本件衝突は、京浜港横浜区において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれのある態勢で接近中、大翔丸が、動静監視不十分で、前路を左方に横切るオ号の進路を避けなかったことによって発生したが、オ号が、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為) B受審人は、京浜港横浜区を本牧ふ頭D突堤南側の新建材バースに向けて入航中、右舷前方に前路を左方に横切る態勢のオ号を認めた場合、衝突のおそれの有無を判断できるよう、コンパス方位の変化を確かめるなど同船の動静を十分に監視すべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、オ号は自船の船尾側を替わるものと思い、その動静を十分に監視しなかった職務上の過失により、同船と衝突のおそれのある態勢で接近していることに気付かず、その進路を避けないまま進行して同船と衝突を招き、同船の球状船首に亀裂を伴う凹損を生じさせ、大翔丸の右舷船首部外板に破口を生じ、浸水させるに至った。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 A受審人は、京浜港横浜区を浦賀水道航路に向けて航行中、左舷前方の大翔丸が、前路を右方に横切り衝突のおそれのある態勢のまま、自船の進路を避けずに間近に接近するのを認めた場合、速やかに機関を後進にかけて行きあしを止めるなど衝突を避けるための協力動作をとるべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、相手船の避航動作のみで衝突は回避できるものと思い、衝突を避けるための協力動作をとらなかった職務上の過失により、そのまま進行して大翔丸と衝突を招き、両船に前示のとおりの損傷を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
(参考)原審裁決主文平成10年7月23日横審言渡 本件衝突は、大翔丸が、前路を左方に横切るオウシヤンスワロウの進路を避けなかったことによって発生したが、オウシヤンスワロウが、警告信号を行わず、衝突を避けるための動作をとらなかったことも一因をなすものである。 受審人Bを戒告する。 受審人Aを戒告する。
参考図
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