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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成7年7月3日12時05分 瀬戸内海濃地諸島太濃地島南方沖合 2 船舶の要目 船種船名 油送船せいわ丸
貨物船ニューヒナセ 総トン数 1,254トン
499トン 全長 74.97メートル
64.35メートル 機関の種類 ディーゼル機関
ディーゼル機関 出力 2,058キロワット
735キロワット 3 事実の経過 せいわ丸は、ボイラー用燃料油の輸送に従事する可変ピッチプロペラ及びフラップラダーを備えた船尾船橋型油送船で、A受審人ほか9人が乗り組み、空倉のまま、船首1.75メートル船尾3.70メートルの喫水をもって、平成7年7月3日11時45分岡山県水島港三菱化学第1号桟橋を発し、愛媛県越智郡波方町の波方ターミナル株式会社専用桟橋に向かった。 A受審人は、単独で出航操船に当たり、離浅後間もなく機関を全速力前進にかけて12.3ノットの対地速力とし、11時50分濃地諸島の太濃地島三角点(以下「三角点」という。)から346度(真方位、以下同じ。)2.6海里の地点に達したとき、太濃地島及び上濃地島間の水道(以下「濃地水道」という。)を西行する予定とし、出港部署を終えて昇橋した甲板員に手動操舵を命じ、針路を161度に定めて水島港港内航路(以下「港内航路」という。)の右側をこれに沿って南下した。 ところで、濃地諸島は、水島港の南西側港界に隣接してほほ南北方向に、北からイザロ濃地島、細濃地島、太濃地島及び上濃地島が連なり、港内航路を南下中は各島によって南方から西方にかけての視野が部分的に遮蔽される状況であった。また、濃地島水道は、可航幅約370メートルの狭い水道であったが、水島港への出入航船が通航するところであった。 A受審人は、11時57分ごろ水島港港内航路第5号灯浮標(以下、灯浮標名については「水島港港内航路」を省略する。)の1,000メートルばかり手前の地点に達したとき、右舷船首42度1.4海里のところに濃地島水道に向けて東行するニューヒナセを初めて視認したが、間もなく同船はイザロ濃地島の陰に入って見えなくなった。 12時00分少し前A受審人は、三角点から005度1,150メートルの、港内航路の屈曲地点に至り、針路を同航路に沿う169度に転じ、同時02分第3号灯浮標まで420メートルに近付いたところで、それまで細濃地島、太濃地島によって視認できなかったニューヒナセと濃地島水道付近で行き会うことを予測して湾曲部信号を行った。 12時03分少し前A受審人は、第3号灯浮標を右舷船首45度50メートルに見る、三角点から081度310メートの地点に達したとき、右舵5度、10度、更に20度を令し、同灯浮標を付け回すようにして同水道に向け回頭を始め、同時03分船首が173度まで回頭したころ、右舷船首72度510メートルのところにニューヒナセを再び視認した。 そこで、A受審人は、ニューヒナセが濃地島水道の左側寄りを航行しており、衝突のおそれがあることを知ったが、速やかに左舵一杯をとって右転を中止するなどの衝突を避けるための措置をとることなく、短1声を吹鳴して右舵一杯を令するとともにプロペラ翼角を0度とした。 そのため、ピッチプロペラの特性から回頭速度が急速に緩慢となって濃地島水道の中央に進出するようになり、A受審人は、急きょプロペラ翼角を後進に操作したが及ばず、12時05分三角点から130度310メートルの地点において、せいわ丸は、250度を向いて約3ノットの速力となったとき、その船首が、ニューヒナセの左舷後部に前方から30度の角度で衝突した。 当時、天候は曇で風力3の南西風が吹き、潮高は上げ潮の中央期であった。 また、ニューヒナセは液体化学薬品の輸送に従事する船尾船橋型油タンカー兼液体化学薬品ばら積船で、B受審人ほか5人が乗り組み、液体化学薬品1,000トンを 載せ、船首3.70メートル船尾4.40メートルの喫水をもって、同日10時15分香川県丸亀港を発し、水島港に向かった。 B受審人は、単独で船橋当直に当たり、備讃瀬戸東航路を横切って水島航路を北上していたところ、水島港の代理店から着桟予定時刻が30分繰り下げられた旨の連絡を受けたので、速力を減ずるとともに同航路の航路外に出て時間調整をすることにした。 B受審人は濃地島水道を経て濃地諸島の西方海域に出たのち、11時40分ごろ昼食をとるため次席一等航海士に昇橋を命じ、同航海士に船橋当直を任せて降橋し、同時50分三角点から260度1.4海里の地点で、再び昇橋して単独で船橋当直に就き、針路を濃地島水道に向く085度に定め、機関を極微速力前進にかけて6.0ノットの対地速力で進行した。 11時57分ごろB受審人は、濃地島水道の0.7海里ばかり手前の地点に達したとき、左舷船首62度1.4海里のところに、港内航路を南下するせいわ丸を初めて視認したが、間もなくイザロ濃地島の陰に入って見えなくなった。 ところで、B受審人は、085度の針路のままでは濃地島水道の左側寄りを航行する態勢であったが、このことに留意せず、その右側端に寄せて航行する措置をとることなく、細濃地島、太濃地島によってせいわ丸を視認できないまま、同一針路で続航した。 12時03分少し前B受審人は、左舷前方の第3号灯浮標の少し北側にせいわ丸を再び視認し、同時03分左舷船首20度510メートルのところで同船が右転しているのを認めたが、衝突のおそれがあることに気付かず、同船が自船の前路を航過して行くものと思い、速やかに行きあしを停止するなどの衝突を避けるための措置をとることなく、機関を停止した。 その後、B受審人は、短音3声を吹鳴して順次微速力後進、半速力後進、全速力後進とかけたが及ばず、ニューヒナセが100度を向いて約4ノットの速力となったとき、前示のとおり衝突した。 衝突の結果、せいわ丸は、球状船首左舷側及び船首部左舷側ブルワークに凹損を、ニューヒナセは、左舷側後部外板、同上甲板及び同端艇甲板等に凹損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。
(衝突地点に対する考察) 本件は、せいわ丸が、港内航路を南下し、濃地島水道に向けて右転中、また、ニューヒナセが、港内航路に向けて濃地島水道を東行中、同水道で衝突した事件である。 ところで、衝突直前のせいわ丸は、濃地島水道に向かうに当たり、右舵5度、10度、20度、ハードスターボードをとって旋回していたことから、その舵角は、平均して20度で右旋回していたものと認められる。 一方、せいわ丸の舵の縦横比は、海上試運転成績表写中の船尾形状寸法図よると約2.19であるから、その旋回径は、東京商船大学教授岩井聰著「新訂操船論」中の「一杯舵35度に対する旋回径を基準とし各舵角に対する旋回径の割合を比較した図表」により、一杯舵角の旋回径の1.2倍となる。 したがって、せいわ丸の海上試運転成績表写中の旋回力試験成績(右旋回)及び前述の旋回径を総合すると、針路169度から250度までの81度を右回頭する際の進出地点は、12時03分少し前の右転開始地点を基点として、169度の針路線に対し、縦距が216メートル、旋回横距が62メートル進出したところとなる。 一方、せいわ丸の衝突部位は、船橋から54メートル船首方であるから、衝突地点は、前示進出地点から衝突時の船首方向250度の方位線上に54メートル加算した、三角点から130度310メートルの地点であったとするのが相当である。
(両船の濃地島水道における航行模様に対する考察) せいわ丸は、港内航路の右側をこれに沿って南下し、第3号灯浮標を右舷船首45度50メートルに見る地点で濃地島水道に向けて右回頭を開始している。 ところで、港内航路から濃地島水道へ向かうに当たり、第3号灯浮標を右舷船首45度50メートルに見て右転を開始し、濃地島水道に沿う方向まで回頭したところで、同水道の右側端に寄って航行する針路とすることは、港内航路及び濃地島水道を通航する際の航法として、通常の操船方法である。 一方、A受審人は、ニューヒナセの来航を知っていたが、それまでは濃地諸島の陰で視認できず、右回頭中に再び同船を視認できるようになったとき、右舵一杯をとるとともに翼角を0度としている。 しかしながら、A受審人が翼角を0度としたのは、同人が、上述の操船方法に順じて右回頭をしていたところ、ニューヒナセを再び視認するようになったとき、同船が濃地島水道の右側に寄って航行していないことに気付き、衝突のおそれがあることを知って行きあしを止めようとしたからである。 このため、せいわ丸は、舵側に流れる水流がプロペラ翼にせき止められる状態となり右舵一杯としたものの所期の舵効が得られず、同水道の中央寄りに進出したものであるが、プロペラ翼角を0度としたことは、衝突を避けるための咄嗟(とっさ)の措置であって、これをもってせいわ丸が濃地島水道の右側端に寄って航行していなかったとは認められない。 一方、ニューヒナセは、定針後衝突するまで転針していないのであるから、衝突地点から引いた針路の反方位線上を航行していたものと認められる。 したがって、ニューヒナセは、濃地島水道の右側端に寄って航行していたとは認められない。
(原因) 本件衝突は、岡山県水島港南西部の濃地島水道において、濃地諸島の西方海域から同水道に向けて東行するニューヒナセが、同水道の右側端に寄って航行しなかったばかりか、せいわ丸との衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、港内航路から同水道を西行しようとするせいわ丸が、ニューヒナセを認めた際、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為) B受審人は、岡山県水島港の南西部港界に隣接する濃地諸島の西方海域から濃地島水道に向けて東行する場合、同水道の右側端に寄って航行すべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、水道の右側端に寄って航行しなかった職務上の過失により、せいわ丸との衝突を招き、せいわ丸の球状船首左舷側及び船首部左舷側ブルワークに凹損を、自船の左舷後部外板、同上甲板、同端艇甲板等に凹損をそれぞれ生じさせた。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 A受審人は、港内航路から濃地島水道を西行するつもりで第3号灯浮標を付け回して右回頭中、同水道の右側に寄らないで東行するニューヒナセを認め、衝突のおそれがあるのを知った場合、速やかに左舵をとって右転を中止するなどの衝突を避けるための措置をとるべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、速やかに右転を中止するなどの衝突を避けるための措置をとらなかった職務上の過失により、同船との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
(参考)原審裁決主文平成9年2月27日広審言渡(原文縦書き) 本件衝突は、せいわ丸が、所定のわん曲部信号を行わなかったばかりか、狭い水道の右側端に寄って航行しなかったこと及びニューヒナセが、所定のわん曲部信号を行わなかったばかりか、狭い水道の右側端に寄って航行しなかったことに因って発生したものである。 受審人Aを戒告する。 受審人Bを戒告する。
参考図
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