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1999年(平成11年)

平成9年第二審第33号
    件名
プレジャーボート重進丸プレジャーボート飛鳥II衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年6月16日

    審判庁区分
高等海難審判庁
原審広島

小西二夫、吉澤和彦、松井武、葉山忠雄、雲林院信行
    理事官
金城隆支

    受審人
A 職名:重進丸船長 海技免状:四級小型船舶操縦士
B 職名:飛鳥II船長 海技免状:四級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
重進丸…船首部に擦過傷及び推進器に曲損
飛鳥II…右舷船首部を大破したうえ転覆、のち廃船、乗船者1名溺死、1名2箇月の加療を要する左肩甲骨骨折、左膝外側副靭帯損傷及び左下腿打撲等の重傷

    原因
飛鳥II…見張り不十分、横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
重進丸…見張り不十分、横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

    二審請求者
理事官喜多保、受審人B、補佐人田川俊一

    主文
本件衝突は、飛鳥IIが、見張り不十分で、前路を左方に横切る重進丸の進路を避けなかったことによって発生したが、重進丸が、見張り不十分で、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Bの四級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年5月19日00時05分
山口県室津港
2 船舶の要目
船種船名 プレジャーボート重進丸 プレジャーボート飛鳥II
全長 9.55メートル 7.90メートル
機関の種類 ディーゼル機関 電気点火機関
出力 80キロワット 58キロワット
3 事実の経過
重進丸は、船内機方式の機関1基と懸垂式の舵を備えたクルーザー型FRP製プレジャーボートで、専ら遊漁兼交通の手段として使用されていたところ、A受審人が1人で乗り組み、あじ釣りを行うとともに実家で1人住まいをしている実母に会う目的で、船首0.36メートル船尾は舵板の下端まで1.00メートルの喫水をもって、平成8年5月18日16時40分山口県熊毛郡尾国を発し、同県平郡島南東端の沖ノ瀬付近であじ釣りをしたのち、同島北東部の羽仁に向かった。
18時50分ごろ、A受審人は、羽仁の港内に到着したところで、船尾から錨を降ろして船首を防波堤のビットに係留し、19時ごろ実家に立ち寄り、暫時ビールを飲みテレビを見ながら実母と談笑したのち、翌日早朝尾国で落ち合う予定の友人との遊漁に備えて船内で睡眠をとることにし、22時ごろ帰船した。
帰船後、A受審人は、キャビンでラジオを聞きながら横になったが、思うように寝付かれなかったため、すぐに尾国へ帰航して同地で休息をとることにし、その旨を実母に伝えようと思い、機関を始動したのち実家に立ち寄ったところ、玄関が施錠されていて同人に会えなかったので、そのまま実家前の空地を経由して再度帰船し、23時15分羽仁を発航して帰途に就いた。
発航に当たって、A受審人は、12ボルトのバッテリー2個を電源とする白色全周灯が、操舵室の屋根の先端中央に設置されているマストの頂部に点灯していることを確認するとともに、同一バッテリーを電源とする両色灯が、同室前方に接続して設けられているキャビンの屋根の先端中央に,点灯していることを確かめたうえ、操舵室内のコントロールスタンドの後方に立ち、同室前面の窓ガラス越しに前路の見張りを行い、時折同室両側壁から顔を出して左右を瞥見(べっけん)しながら、舵輪と機関操作レバーによって操舵操船に当たった。
やがて、A受審人は、平郡水道を横切ったのち上関海峡を航過し、23時58分室津港昭和町防波堤灯台(以下「防波堤灯台」という。)から184度(真方位、以下同じ。)600メートルの地点に達したとき、夜間の航行であるため機関を最大回転数より低い毎分2,600回転にかけ、全速力より若干減じた13.0ノットの対地速力とし、針路を349度に定め、熊毛郡平生町唐釜の岬付近にあるシーサイドホテルと同町岳山の中腹にある光輝病院の両明かりのほぼ中央を船首目標にして唐釜の沖合に向かって進行した。
翌19日00時01分半、A受審人は、防波堤灯台から338度850メートルの地点に達したとき、左舷船首26度1海里ばかりのところに飛鳥IIの白・緑両灯火を視認でき、その後同船が自船の前路を右方に横切り衝突のおそれのある態勢で接近するのを認めることができる状況であったが、左右を瞥見しただけで船はいないと思い、船首目標とした両明かりに向首することに気を取られ、左舷方の見張りを十分に行わなかったのでこのことに気付かず、同船がさらに接近しても機関を停止するなどの衝突を避けるための協力動作をとることなく続航した。
こうして、A受審人は、飛鳥IIの存在と同船の接近に全く気付かないまま、00時05分防波堤灯台から345度1.2海里の地点において、船体に異常音と衝撃を感じ、急いで機関を停止したところ、重進丸が、飛鳥IIの右舷船首部に、その前方から73度の角度で原針路、原速力のまま衝突し、これを乗り切ったことを知った。
当時、天候は晴で風力2の東風が吹き、潮候は下げ潮の中央期にあたり、月齢は1.5日であった。
また、飛鳥IIは、船外機方式の機関を主・副2碁備えたランナバウト型FRP製プレジャーボートで、専ら遊漁の手段として使用されていたところ、B受審人が1人で乗り組み、釣り仲間の友人5人を乗せ、ちぬの磯釣りを行うため、船首0.27メートル船尾0.64メートルの喫水をもって、同月18日17時00分山口県熊毛郡志田を発し、同時15分ごろ同県佐合島南西方沖合の筏瀬に立ち寄って友人1人を降ろし、その後同島の岩礁に1人、南岸の岩礁に2人をそれぞれ降ろしたのち、自らも他の友人1人とともに筏瀬に降り、18時15分ごろからちぬ釣りを始めた。
やがて、B受審人は、風が吹き始めたことから磯釣りを中止することにし、21時30分ごろ友人達を収容するに当たって、12ボルトのバッテリー1個を電源とする白色全周灯が、操舵室上部にあるオーニング展張用フレームの後端中央に点灯していることを確認するとともに、同一バッテリーを電源とする両色灯が、キャビンの屋根の先端中央に点灯していることを確かめたうえ、友人達が釣りをしている岩礁を順次回り、同フレームの前部左舷側にあるサーチライトを適宜照射しながら同人達を収容したのち、23時45分ごろ最後の友人1人を乗せて筏瀬を発し、志田に向かって帰途に就いた。
B受審人は、操舵室内のコントロールスタンドの後方に立ち、キャビン前部の風防ガラスの上縁から顔を出して前路の見張りを行い、時折同室両側壁からも顔を覗かせて左右を瞥見しながら、舵輪と機関操作レバーによって操舵操船に当たった。
23時52分B受審人は、亀岩灯標から180度50メートルの地点に達したとき、右舷船首方から波しぶきが甲板上にあがるのを避けるため、主船外機1基のみを最大回転数よりかなり低い毎分2,000回転にかけ、ほぼ半速力の8.0ノットの対地速力とし、針路を095度に定め、志田船溜(ふなだま)り防波堤の照明灯の明かりを船首目標にして進行した。
翌19日00時01分半、B受審人は、防波堤灯台から328度1.5海里の地点に達したとき、右舷船首47度海里のところに重進丸の白・紅両灯火を視認でき、その後同船が前路を左方に横切り衝突のおそれのある態勢で接近するのを認めることができる状況であったが、この時間帯に船はいないと思い、友人達との雑談や船首目標の明かりに向首することに気を取られ、右舷方の見張りを十分に行わなかったのでこのことに気付かず、右転するなどして同船の進路を避けることなく続航した。
こうして、B受審人は、重進丸の存在及びその接近に気付かないまま航行するうち、00時05分わずか前、自身の右隣に立っていた友人の叫び声を聞き、右舷船首至近に迫った同船を初めて視認したが、何の措置も取り得ないまま、飛鳥IIは、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、重進丸は、船首部に擦過傷及び推進器に曲損を生じたが、のち修理され、飛鳥IIは、右舷船首部を大破したうえ転覆し、重進丸によって近くの海岸に引きつけられ、その後同県光市の修理会社まで運ばれたが、のち廃船となった。
また、飛鳥IIの乗船者は、全員が海中に投げ出され、船首部右舷側甲板に座っていたC(昭和28年12月4日生)は溺死し、その他の者は、重進丸に救助されたが、船首部左舷側甲板に座っていたDは2箇月の加療を要する左肩胛(けんこう)骨骨折、左膝外側副靭帯(じんたい)損傷及び左下腿(かたい)打撲等の重傷を負った。

(主張に対する判断)
重進丸及び飛鳥II側ともに、自船は白色全周灯及び両色灯(以下両灯をまとめて「航海灯」という。)を点灯していたが、相手船はこれを点灯せず、無灯火であった旨を主張するので、以下この点について検討する。
最初に、重進丸側を考察すると、A受審人は、同人の供述調書写において、「羽仁を出航するとき、白色全周灯と両色灯のスイッチを入れ、良好に点灯していることを確認した。」旨を供述し、原審審判においても、「23時15分ごろ平郡島の羽仁を出航するとき、航海灯とキャビンの明かりを点灯した、電源は平成7年に新しく取り替えた12ボルトのバッテリー2個である。」旨の供述している。
一方、E証人は、同じく原審審判において、「23時15分ごろ羽仁に帰航したとき、重進丸が航海灯とキャビンの明かりを掲げて出航するのを認めた、夜は明かりをつけないと怖くて走れないと思う。」旨を供述し、また、当庁が実施した羽仁における実地検査においても同旨の説明をしていて、A受審人の供述を裏付ける供述及び説明をしている。
確かに、E証人の存在は、A受審人が、同人に対する質問調書において、「羽仁を出航するときから衝突するまで知り合いの者に全く会わなかった、羽仁を出航したのは重進丸1隻だけであった。」旨を述べていて、重進丸が出航するとき、これを目撃したという証人の存在を当初は否定していたことからすると、いささか唐突の感を禁じ得ず、また、同証人の供述は、同受審人の供述と若干ではあるが時間的な差異が認められる。
しかしながら、A受審人は、当廷において、「金此羅丸は、多分私が最初に帰宅したのち重進丸に帰船し、キャビンで横になっていたとき入航してきたものと思うが、金比羅丸の入航には気が付かなかった。」旨を供述している。
一方、E証人は、原審審判において、「夜釣りをしていたところ、息子から23時だから止めようといわれた、釣り場から5分ぐらいかかって帰港し、機関は冷却のため着岸後2ないし3分経って停止した、その後めばるをすくっているときに重進丸の発進音を聞いた。」旨を供述している。
また、A受審人は、当庁の羽仁における実地検査によって、重進丸と自宅間の往復及び自宅の施錠状態の確認に約4分を要し、帰船してから係留索を放ち錨を揚収して発進するまでに約2分を要したことが認められる。
これらのことから、金比羅丸の入航時刻は、A受審人が2度目の帰宅をする以前の23時少し過ぎ、重進丸のキャビンで横になっていたときと認められる。
そうであるとすれば、A受審人は、そのときラジオを聞いていたということであり、また、金此羅丸は、港内航行の常道として機関の回転数を減じ、航走波を立てないように徐行しながら、重進丸の後方を十分離して入航してきたことが推認されるので、同受審人は、金毘羅丸の入航に気付かなかった可能性は大きいと考えられる。
また、A受審人は、原審審判において、「広場を通り防波堤の上を歩いて重進丸に帰船するとき、E証人が乗船している金比罹丸が岸壁に係留されていることに気付かなかった。」旨を供述している。A受審人の帰宅時及び帰船時の様子については、当庁の羽仁における実地検査において、同人は、金毘羅丸から最短最短距離で26.20メートル離れたところを歩いて帰宅及び帰船し、また、金比羅丸は、25ボルト60ワットの電球を操舵室内に点灯していたとはいえ、同船の正船首方9.80メートルのところの電柱には明るい水銀灯が点灯していて、その水銀灯の袂(たもと)寸近の岸壁に係留されていたことが認められる。
そのため、A受審人が、重進丸から帰宅するときも、また、同船に帰船するときも、防波堤に係留されている金比羅丸に気付かなかった蓋然性(がいぜんせい)は高いと考えられる。以上のことから、A受審人は、原審審判において、「事故後、漁師仲間との世間話の中で、E証人が重進丸の出航を見ていたことを人づてに聞き、目撃者がいることを初めて知った。」旨を供述しているが、同受審人が金比羅丸の入航及び係留に気付かなかったとすれば、自船が出航する際の目撃者の存在について理事官への告知が遅れたことは極自然であり、十分首肯されるところである。
なお、A受審人は、同人に対する質問調書のほかに、同人の供述調書においても、実家に2度立ち寄ったことについて供述していないことが認められる。
しかしながら、このことは、A受審人にとって、実家に2度帰宅したことがE証人との絡みで重大な問題となることを予想できなかったと推認されることからすると、供述が舌足らずに終わったか、または、読み聞かせの際の確認が不十分に終わったためと思われる。
更に、A受審人は、当廷において、「事故後、飛鳥IIの救助で世話になったE証人へお礼に行ったが、目撃者についての話は一切しなかった。」旨を供述している。しかしながら、このことも、A受審人にとって、E証人が重進丸の出航を目撃していたことを予想できなかったと推認されることからすると、当然の経過と考えられる。
逆に、これらのことは、A受審人がE証人の存在を知らなかったため、目撃証人の存在について理事官への告知が遅れたという、同受審人の供述を裏付けるものと解される。
次に、A受審人は、当廷において、「22時ごろ実家から帰船したが寝付かれなかった、そこで羽仁で休息をとって翌日早朝尾国へ帰航する予定を、当日深夜に帰航して尾国で休息をとることにし、23時ごろ母親にその旨を伝えに行った、しかし鍵がかかっていたので引き返すことにし、空地を通り防波堤の上を歩いて重進丸に戻り、23時15分ごろ出航した。」旨を供述している。
これに対して、E証人は、原審審判において、「23時15分ごろ帰航したが、そのころ防波堤の上を重進丸の方に向かって歩いて行くA受審人を見た。」旨を供述している。
このように、A受審人の行動に関する同人及びE証人の供述はほぼ一致しているので、E証人の供述を作為的と見なすのは当たらず、十分信頼するに足るものと思われる。
一方、E証人は、原審審判において、「機関音で重進丸の出航を知った、同船は航海灯とキャビンの明かりをつけ、両色灯を示したのち出航していった。」旨を供述している。
確かに、羽仁における夜間の実地検査では、重進丸が出航するとき、機関音は高音となるのが認められたが、同船の緑灯は明瞭に視認されたものの、紅灯はその光芒(こうぼう)が瞬時に視認されただけであった。しかしながら、それは風がほとんど吹いていなかったからであり、北寄りの風が若干吹いていた昼間の実地検査では、重進丸の両色灯は十分過ぎるほと視認されたのである。
この点に関連して、B受審人は、当廷において、「東寄りの風が吹いてきたので帰航することにした、帰航時はさざ波が立つか立たないかぐらいの風が吹いていた。」旨を供述しているが、これからすると、当時は風力2の東寄りの風が吹いていたものと思われ、昼間の実地検査時と同様に両色灯が十分視認される状況にあったものと推認される。
したがって、E証人の原審審判における、「重進丸は航海灯とキャビンの明かりをつけ、両色灯を見せたのち出航していった。」旨の供述は、A受審人の原審審判における、「航海灯とキャビンの明かりをつけて出航した。」旨の供述と一致するものであるが、十分信頼がおけるものと認められる。
他方、飛鳥II側補佐人は、航行中の重進丸の視認模様について、「飛鳥IIには6人が乗船していたが、誰一人として重進丸の航海灯を見ていない、このことは、同船が航海灯を点灯していなかったことの証左である。」旨を主張する。
しかしながら、D乗船者は、同人の供述調書において、「C乗船者と2人で船首部にいたが、波しぶきがかかるので2人とも船尾方を向いて腰を下ろし、雑談をしていた。」旨を供述しており、もともと船首方の見張りをする体勢になかったと認められ、また、F乗船者は、同人の供述調書写において、「船尾部で船首方を向いて腰を下ろしていたが、船酔いをする体質であったためうつむいていた。」旨を供述していることから、船首方の見張りをする状況になかったと推認される。
一方、G乗船者は、同人の供述調書写において、「操舵室後方の右舷側に立ち、B受審人の右側にいたが、東寄りの風のため右舷前方からしぶきがあがるので、ほとんど左舷側のH乗船者の方を見ていた、左側のB受審人とも話をしたりして、右の方は見ていなかった。」旨を供述している。
また、H乗船者は、同人の供述調書写において、「上関海峡側からの風を受けて多少波があり、右前方からしぶきがあがっていた、操舵室後方の左舷側に立ち、B受審人の左側にいたが、進行方向を向いていた。」旨を供述し、原審審判においては、「右舷40度とか50度といったかなり右の方までは見ていない、衝突直前にGさんが船がきたと言ったのでその声の方を向いた。」旨を供述している。
これより、G、H両乗船者とも、右舷方は十分に見ていなかったことが認められる。更に、B受審人は、同人に対する質問調書において、「私は用心深い性格で船を動かすときには前後左右を見ながら走る方である、当時は舵輪の後方に立って操舵、見張り以外は何もしていなかった。」旨を供述しているが、同人の供述調書写においては、「亀岩を替わったところで、あとは志田の防波堤の明かりを見て直進すればよいと思い、乗船者たちの会話に耳を傾けたりこれに加わったりしていた、その間、船首目標の防波堤の明かりは見ていたが、この時間帯はこれまでの経験から航行船はいないと思い、左右の見張りはしていなかった。」旨を供述している。
また、H乗船者は、同人の供述調書写において、「私は四級小型船舶操縦士の免許を持っているが、B受審人からは私を含めて誰も見張りを依頼されなかった、本件は、B受審人の見張り不十分も原因と思うが、同人は志田の船溜りが近付いたので、前方方向に注意が集中していたのではないかと思う。」旨を供述している。
これより、飛鳥IIの6人の乗船者は、いずれも見張りが十分でなかった可能性があることを否定することができず、そうだとすれば、6人とも重進丸の航海灯に気付いていないからといって、同船は航海灯を点灯していなかったことにはならない。
更に、飛鳥II補佐人は、「重進丸が航海灯を点灯していたならば、飛鳥II側は、それを十分視認できたはずである。」旨を主張する。
確かに、航海灯は、海上衝突予防法に視認または識別を妨げるものであってはならないなどと規定されていて、同補佐人提出の実地検証写真撮影報告書によっても明らかなとおり、十分視認・識別できるはずの灯火である。
しかしながら、航海灯は十分視認・識別できるものであるからといって、飛鳥II側の見張りが十分でなかった可能性があることを否定できない以上、重進丸が航海灯を点灯していなかったことにはならない。
一方、衝突直前・直後の重進丸の視認模様について、B受審人は、原審審判において、「衝突直前に重進丸の赤色の船首船底を見ただけで、灯火は見なかった。」旨を供述し、また、「飛鳥IIが転覆したのち、海中から重進丸を見たときも、その後重進丸に救助されたときも、同船のキャビン以外の明かりには気が付かなかった。」旨を供述している。
しかしながら、B受審人が、衝突直前は重進丸の灯火に気付かず、また、衝突後は同船キャビンの灯火のみを認めたということは、衝突直前は得てし相手船の灯火よりもその船体に気を奪われるものであり、また、衝突直後は海中から重進丸の後部を見たものであり、更に、救助されたのは重進丸の後部甲板で、かつ、その後同船の航海灯を改めて確認することをしなかったからであろうと推認される。
このことは、B受審人が同人に対する質問調書において、「重進丸を右舷前方至近距離に認めたが、船首が異常に大きく見えた、あっという間に衝突した。」旨を供述し、また、原審審判において、「重進丸に救助されたとき、行方不明者のことで気が動転していて、相手船船長の、飛鳥IIは無灯火ではなかったのかとの主張にも反論しなかった。」旨を供述していて、衝突前後に重進丸の航海灯の点灯状況を確認する余裕がなかったと考えられることからも明らかである。
したがって、B受審人が重進丸の航海灯を見なかったということをもって、同船は同灯火を,点灯していなかったことにはならない。
更に、H乗船者は、原審審判において、重進丸に助け上げられたのち、飛鳥IIをロープで岸に着けて錨を打とうとしたとき、重進丸の前部甲板に行ったが、白色全周灯や両色灯は見た記憶がない。」旨を供述している。
しかし、事故から約45分後に、重進丸と転覆している飛鳥IIの両船が停留していた近くの、唐釜の岬に到着したJ消防士長は、同人の供述調書において、「B受審人から事故の通知と救急の依頼があったので、シーサイドホテル上関付近に急行したところ、沖合50メートルくらいのところに船の赤い灯火が目に入った、声をかけると怪我人がいる、助けてくれとの返事があった。」旨を供述している。
ところで、H乗船者が飛鳥IIの錨を打った時刻と、J消防士長が船の赤い灯火を見た時刻とは、B受審人が投錨後すぐに消防署に急行し、それによって救急車が直ちに出動したという事実を考えると、それほどの間隔はなかったものと認められる。
一方、A受審人は、原審審判において、「飛鳥IIをシーサイドホテルの北側の海岸に着けたとき、同船は上関の方を向いていて、陸上からは紅灯が見える状態であった。」旨を供述している。
これらのことから、J消防士長が見た紅灯は重進丸の両色灯のうちの左舷側の灯火であったものと認めるのが相当である。
以上を総合すると、J消防士長が認めた紅灯をH乗船者が認めなかったということは、同乗船者が原審審判において供述しているとおり、「当時、重進丸の灯火状況を確認するような状況ではなかった。」ことから、同船の航海灯を確認しなかっただけのことであると思料するのが自然である。
したがって、H乗船者が重進丸の航海灯を見た記憶がないからといって、同船は同灯火を点灯していなかったことにはならない。また、G乗船者は、原審審判において、「エンジンの音を聞いて振り向いたとき、右45度10メートルぐらいに重進丸の船首船底を見たが灯火は見なかった、また、同船に乗り移ったときも、同船から波止場に上がったときも、キャビンの白色灯以外は記憶にない。」旨を供述し、更に、D乗船者は、同じく原審審判において、「船が来たとの誰かの声で左を振り向いたとき、衝突寸前の重進丸を見た、また、海中に投げ出されたとき同船の船体を見た記憶はあるが、重進丸に救助されたのちは右肩胛骨骨折などの痛みのため目をつぶっていたので、同船にどのような明かりがついていたか記憶にない。」旨を供述している。
しかしながら、両乗船者とも、重進丸の灯火の点灯状況を積極的に確認した様子が認められない。
したがって、両乗船者の供述でもって重進丸は航海灯を点灯していなかったということにはならない。
以上のとおり、重進丸は航海灯を点灯して航行していた、というA受審人の供述を肯定する証拠は認められるが、これを否定するに足る証拠は認められない。
したがって、重進丸は、航海灯を点灯して航行していたと認めるのが相当である。
次に、飛鳥II側を考察すると、B受審人は、原審審判において、「筏瀬の岩場で釣りをしていると波が出てきたので、釣り仲間を収容して帰ろうと思い、岩場に係留していた飛鳥IIへ乗って航海灯を灯火し、その後同じところで釣りをしていたH乗船者を乗せた。」旨を供述している。
一方、H乗船者は、同人の供述調書及び原審審判において、「B受審人が操船する飛鳥に筏瀬から乗り込むとき、同船の航海灯が点灯していることを確認した、また、航行中は、航海灯の明かりで船首にいたD乗船者が帽子を被っていないのが分かった。」旨の供述をし、B受審人の供述を裏付ける供述をしている。
更に、G乗船者は、同人の供述調書写において、「佐合島北西部の岩場から飛鳥IIに乗り移るとき、キャビンの屋根の前端中央に両色灯を、また、点灯位置は記憶にないが白色灯も見た。」旨を供述し、原審審判においても、「飛鳥IIが迎えにきたとき、両色灯と白灯1個を見た、岩場から本船に乗り移るときサーチライトで照らされたが、暗闇(くらやみ)だと灯火がないと危険である、また、航行中は、船首にいたD、C両乗船者の顔が両色灯の明かりで識別できた。」旨を供述している。
その他、F乗船者は、同人の供述調書写において、「午後11時過ぎ飛鳥IIが迎えにきたとき、同船に航海灯び点灯しているのを見た。」旨を供述し、原審審判においても、「午後11時過ぎ、飛鳥に乗り移ったが、同船が迎えにきたときマスト灯を見た、両舷灯も点いていたように思う。」旨を供述している。
また、最後に飛鳥IIに乗り込んだD乗船者は、同人の供述調書写において、「航海灯は点いていたように思う。」旨を供述し、原審審判においても同旨の供述をしている。
このように、飛鳥IIの乗船者は、同船の航海灯の点灯について、いずれも肯定的な供述をしている。
一方、A受審人は、同人に対する質問調書において、「衝突前に相手船の灯火を見た覚えはない。」旨を供述しているが、「操舵室中央の舵輪の後方に立ち、時折同室左右の囲壁から顔を外に出して前方を確認していた、確認時間はわずかで、異常がないことを確かめるとすぐに姿勢を戻していた。」旨の供述もしている。
更に、A受審人は、同人の供述調書写において、「1回の確認時間は1ないし2秒である。」旨を供述し、原審審判及び当廷においても同旨の供述をしている。
加えて、A受審人は、原審審判において、「光輝病院とシーサイドホテルの2つの明かりを見て走った。」旨を供述しているほか、同人の供述調書写においては、「船はいないと信じ込んで、光輝病院とシーサイドホテルの明かりを注視するあまり周囲の見張りがおろそかになった。」旨を供述している。
このA受審人の供述調書写中の供述は、重進丸が、晴天の暗夜、岩礁が散在する陸岸を右舷側近くに見て、これに沿って北上する際、安全な離岸距離を維持するために、船首目標の明かりを注視して航行しなければならない事情があったと推認されることを勘案すると、あながち誘導的で首肯しがたいとは考えがたい。
したがって、A受審人が飛鳥IIの航海灯に気付かなかったからといって、同船が航海灯を掲げていなかったことにはならない。
また、飛鳥IIの航海灯のスイッチは、いずれも「切」の状態になっていたことが衝突後の実況見分によって認められる。
しかしながら、B受審人は、同人に対する質問調書において、「航海灯のスイッチを入れるときは、ノブを引き上げて、その後プラスチック製のカバーをするようになっている、衝突の衝撃か何かでカバーが押され、ノブが押し下げられ「切」の状態になったのではないかと思う。」旨を供述している。
他方、飛鳥IIは、重進丸が同船を乗り切ったのち転覆していることから、衝突及び海水による相当な衝撃があったものと考えられ、それからすると、B受審人の供述を一概に否定することはできない。
したがって、航海灯のノブが「切」の状態にあったからといって、同灯火は点灯していなかったということにはならない。
以上のとおり、飛鳥IIは航海灯を点灯して航行していた、というB受審人の供述を肯定する証拠は認められるが、これを否定するに足る証拠は認められない。
したがって、飛鳥IIは、航海灯を、点灯して航行していたと認めるのが相当である。

(航法の適用)
本件は、北上する重進丸と東航する飛鳥IIとが室津港内で衝突した事件であり、以下適用される航法について検討する。
室津港は、港則法に規定する特定港であるから、本件は、先ず特別法である港則法が適用される。
しかしながら、同法には本件に適用される航法が規定されていないので、一般法である海上衝突予防法によって律することになる。
海上衝突予防法は、2隻の動力船が互いに進路を横切り衝突のおそれがあるときは、他の動力船を右舷側に見る動力船は、当該他の動力船の進路を避けなければならず、その際、当該他の船舶は、針路・速力を保持し、当該針路を避けなければならない船舶の動作のみで衝突を避けられないときは、衝突を避けるための最善の協力動作をとらなければならないと規定している。
本件の場合、重進丸及び飛鳥IIの両船は、ともに動力船であるから、特段の理由がない限り、重進丸を右舷側に見る飛鳥IIが避航義務を負うこととなり、重進丸は針路・速力の保持及び最善の協力動作の履行義務を負うこととなる。
ところで、本件が発生した地点は、最も近い陸地である唐釜の岬からでさえ、350メートルばかり離れており、他に航行の支障となる何の障害物も存在しない。
加えて、当時、天候は晴れ視界は良く、風は軽風で海面はさざ波が立っている程度であり、潮流は若干の北流が見られただけで、両船の運航に係わる船舶は皆無であった。
そのため、飛鳥IIが避航義務を、また、重進丸が針路・速力の保持及び協力動作の履行の各義務を果たすのに何の制約もなかったものと解される。
一方、両船は、衝突のおそれのある態勢で接近し始めてから衝突に至るまでの間に、それぞれの義務を履行するのに十分な時間的、距離的な余裕があったものと認められる。
したがって、本件は、海上衝突予防法第15条横切り船の航法及び同法第17条保持船の義務を排斥する特段の理由がなく、前示各条によって律するのが相当と認める。

(原因)
本件衝突は、夜間、山口県室津港において、東航する飛鳥IIが、見張り不十分で、前路を左方に横切る重進丸の進路を避けなかったことによって発生したが、重進丸が、見張り不十分で、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
B受審人は、夜間B、佐合ノ瀬戸を経て志田に向け上関町沖合を東航する場合、周囲の見張りを厳重に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、深夜の時間帯は船がいないものと思い、船首目標の明かりに向けるためこれに気を取られ、右舷方の見張りを十分に行わなかった過失により、重進丸の存在とその接近に気付かず、同船の進路を避けないまま進行して同船との衝突を招き、重進丸の船首部に擦過傷のほか推進器に曲損、飛鳥IIの右舷船首部に破損のほか、同船の転覆並びに同船の乗船者に死傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
A受審人は、夜間、上関海峡を経て尾国に向け上関町沖合を北上する場合、周囲の見張りを厳重に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、左右を瞥見しただけで船はいないものと思い、船首目標の明かりに向けるためこれに気を取られ、左舷方の見張りを十分に行わなかった過失により、飛鳥IIの存在とその接近に気付かず、衝突を避けるための協力動作を取らないまま進行して同船との衝突を招き、前示の損傷及び死傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判去第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文平成9年10月16日広審言渡(原文縦書き)
本件衝突は、飛鳥IIが、見張り不十分で、前路を左方に横切る重進丸の進路を避けなかったことに因って発生したが、重進丸が、見張り不十分で、衝突を避けるための協力動作をとらなかったこともその一因をなすものである。
受審人Bの四級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
受審人Aを戒告する。

参考図






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