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1999年(平成11年)

平成9年第二審第37号
    件名
貨物船八祥丸貨物船ワシントンレインボーII衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年7月29日

    審判庁区分
高等海難審判庁
原審門司

山崎重勝、小西二夫、松井武、平田照彦、雲林院信行
    理事官
亀山東彦

    受審人
A 職名:八祥丸船長 海技免状:五級海伎士(航海)
    指定海難関係人

    損害
八祥丸…右舷船首部に破口を生じて沈没、のち廃船
ワ号…球状船首左舷側に凹損

    原因
八祥丸…動静監視不十分、港則法の航法(避航動作)不遵守(主因)
ワ号…動静監視不十分、警告信号不履行、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

    二審請求者
補佐人岡村靜一

    主文
本件衝突は、小型船である八祥丸が、動静監視不十分で、小型船及ひ雑種船以外の船舶であるワシントンレインボーIIの進路を避けなかったことによって発生したが、ワシントンレインボーIIが、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成7年2月22日07時35分
関門港
2 船舶の要目
船種船名 貨物船八祥丸 貨物船ワシントンレインボーII
総トン数 199トン 13,881トン
全長 53.45メートル 157.26メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 404キロワット 4,780キロワット
3 事実の経過
八祥丸は、主として九州各港間の鋼材輸送に従事する船尾船橋型の貨物船で、A受審人、B指定海難関係人及び機関長の3人が乗り組み、空倉のまま、船首1.70メートル船尾2.70メートルの喫水をもって、平成7年2月21日14時50分熊本県長洲港を発して大分県大分港に向かった。
A受審人は、単独4時間の船橋当直を3人の乗組員で行い、関門港を1箇月に数回通過しており、B指定海難関係人や機関長の当直時間帯に同港を通過するときには昇橋して自ら操船指揮をとるようにし、翌22日03時から船橋当直に就き、07時05分白洲灯台から187度(真方位、以下同じ。)1.2海里の地点で、関門港を通過する船舶であることを表示する、国際信号旗のK旗・P旗・第1代表旗を掲げた。
しかし、A受審人は、同地点が関門港の西口まで2.5海里ばかりであったのに、船橋当直の交替時機となったことから同港に達するまでに朝食をとっておこうと思い、そのまま在橋して同港を通過するための操船指揮をとることなくB指定海難関係人と同当直を交替し、同指定海難関係人に朝食を終えたらすぐに昇橋する旨を伝えて降橋した。
07時20分ごろA受審人は、上甲板左舷側の食堂で朝食を終えたところその直後から腹痛と便意を覚え、用便を終えるまでの間、B指定海難関係人に操船させても大丈夫と思って同甲板右舷側の便所に赴いた。
一方、B指定海難関係人は、07時20分半台場鼻灯台から288度1.7海里の地点に達して関門港に入ったとき、A受審人が昇橋して来なかったが、海技士(航海)の免状は受有していないものの、商船大学の機関関係の学科に在学していたころ船橋当直についての教育を受け、関門港の諸規則を知っていたので自ら操船することとし、針路を関門航路第6号灯浮標(以下、関門航路の灯浮標の名称については「関門航路」を省略する。)を正船首やや右舷側に見る128度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけて9.9ノットの対地速力で進行した。
07時26分B指定海難関係人は、台場鼻灯台から271度1,800メートルの地点に達したとき、右舷船首80度1.2海里に若松航路を東行しているワシントンレインボーII(以下、「ワ」号という。)を初認し、同号は国際信号旗の数字旗1を掲げていなかったが、大型船であることが分かり、また、掲げている国際信号旗によって水先人が乗船していること及び関門港東口の部埼に向かう船舶であることを知り、衝突のおそれがあるときには小型船である自船が同号の進路を避けなければならないと思い、操舵輪の後方に立って右舷側の窓枠を利用して方位の変化を監視しながら続航した。
07時30分B指定海難関係人は、台場鼻灯台から229度1,100メートルの地点で、ワ号を右舷船首87度1,100メートルに認め、そ畷同号の船橋の方位が少しずつ船尾方に変化していることを知り、自船が同号の前路を航過できると思い、動静監視を十分に行わなかったので、同号が全長約157メートルの大型船であることから、関門航路に入るころには自船と同号の船首とが至近に接近して衝突のおそれがあることに気付かず、その進路を避けないで左舷船首方の同航船と左舷船尾方から接近する同航船の監視にあたって進行した。
07時33分B指定海難関係人は、台場鼻灯台から185度1,300メートルの地点に達したとき、針路を自船の前路に向けたままのワ号の船橋が右舷正横後11度410メートルとなり、同時33分少し過ぎ同号が関門航路に入るため自船と6号灯浮標の間に向けて右転を始め、短音1回の汽笛信号を行ったがこれを聞き漏らし、なおも動静監視を十分に行わなかったので、依然として衝突のおそれのある態勢で接近することに気付かず、同号の進路を避けないで続航した。
07時35分少し前B指定海難関係人は、ワ号が行った連続した短音の汽笛信号を聞いて同号が右舷正横後至近に迫っているのを知り、手動操舵に切り替えたものの、07時35分台場鼻灯台から168度1,750メートルの地点において、150度を向首した八祥丸の右舷船首部に、ワ号の船首が後方から40度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力2の北西風が吹き、潮候は低潮時で付近には1.2ノットの南東方に流れる潮流があった。
A受審人は、用便を終えるころ連続した短音の汽笛信号を聞き、急いで昇橋する途中、至近に迫ったワ号を認めたがどうすることもできず、船橋に達する前に衝突を知り、事後の措置にあたった。
また、ワ号は、船尾船橋型の貨物船で、船長Dほか21人が乗り組み、鋼材2,845トンを載せ、船首5.17メートル船尾6.49メートルの喫水をもって、同月22日07時00分C指定海難関係人(受審人に指定されていたが平成9年6月16日関門水先区水先人の業務を廃止したので、これが取り消され、新たに指定海難関係人に指定された。)の水先のもと、国際信号旗のH旗のほかに第1代表旗・E旗を掲げ、関門港若松区第2区の新日本製鉄17号岸壁を発して茨城県鹿島港に向かった。
C指定海難関係人は、07時29分若松航路第1号灯浮標まで約350メートルに接近したとき、左舷船首方約1,400メートルに関門航路を南下する八祥丸を認め、同船が国際信号旗の数字旗1を掲げていなかったので小型船であることが分かり、また、掲げている国際信号旗によって関門港を通過する船舶であることを知り、機関を全速力前進にかけて11.3ノットの対地速力で進行した。
07時30分C指定海難関係人は、台場鼻灯台から222度1.2海里の地点に達して針路を085度に定めたとき、八祥丸を左舷船首50度1,100メートルに認め、その後同船の船橋の方位が少しずつ船首方に変化していることを知り、同船が自船の前路を航過すると思い、動静監視を十分に行わなかったので、自船が全長約157メートルの大型船であることから、関門航路に入るころには自船の船首と八祥丸とが至近に接近して衝突のおそれがあることに気付かず、小型船である同船に対して大型船である自船の進路を避けるよう、警告信号を行うことなく、折からの南東流の影響を受けて約3度右方に圧流されながら、甲板手に手動操舵を行わせて進行した。
07時33分C指定海難関係人は、台場鼻灯台から195度1,660メートルの地点に達したとき、八洋丸が避航動作をとらないで依然として衝突のおそれのある態勢のまま、その船橋が左舷船首36度410メートルに接近したが、なおも動静監視を十分に行わなかったので、このことに気付かず、機関を使用するなどして衝突を避けるための措置をとることなく、八祥丸と第6号灯浮標の間に向けようとして右舵を令し、同時33分少し過ぎ回頭を始めたので短音1回の操船信号を行い、その後同灯浮標を右舷側100メートル離して通過する102度の針路として続航した。
07時35分少し前C指定海難関係人は、第6号灯浮標との関係を監視しながら進行中、八祥丸が急速に接近するのを認め、衝突の危険を感じて連続した短音の汽笛信号を行って右舵一杯を令したが、効なく、船首が110度を向いたとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、八祥丸は右舷船首部に破口を生じて間もなく沈没し、乗組員は救命いかだで漂流中、近くを航行していた第三船に救助され、船体はのち引き揚げられて廃船にされ、ワ号は球状船首左舷側に凹損を生じたが、のち修理された。

(主張に対する判断)
本件は、関門港において、関門航路を航行中の小型船である八祥丸と若松航路から関門航路に入るために右転した小型船及び雑種船以外の船舶であるワ号とが衝突した事件である。
ところで、八祥丸側補佐人は、「ワ号が、衝突2分前に自船の前路を無難に通過した八祥丸の前路に向けて右転し、新たな衝突の危険を生じさせたことによって発生した。」旨主張する。
確かに、両船の船橋の相対方位は、明らかに変化していることが認められる。しかしながら、両船がともに原針路のまま進行すると、八祥丸が全長約53メートル、ワ号が全長約157メートルであることから、八祥丸がワ号の正船首を左方から右方に通過するときの両船間の距離は80メートルであること作図によって求められ、両船の大きさからして八祥丸がワ号の前方を無難に航過する態勢であったとは認められず、衝突のおそれがあったと認められる。
したがって、衝突2分前にワ号が右舵を令して右転を始めた点については、八祥丸側補佐人が主張するとおりであるが、ワ号が右転する以前から、両船間にはすでに衝突のおそれがあったのであり、また、ワ号の右転は若松航路から関門航路に入る船舶としての通常の転針と認めることができ、保持船としての義務を怠ったものでないことから、同補佐人の主張は相当でない。
さらに、八祥丸側補佐人は、「八祥丸の前方及び後方に各1隻の同航船がおり、これらと団子状態で航行していたから、これを一つの流れと考えて港則法施行規則第44条第1項第7号(現・同施行規則第41条第1項第6号)を適用すべきである。」旨主張する。
しかしながら、B指定海難関係人は、同人に対する質問調書中及び当廷において、「自船の左舷船首0.15海里に同速力の同航船が、左舷船尾0.15海里に自船を追い越す同航船がいたので、これらの同航船の右側を航行していた。」旨供述しており、八祥丸はこれらの同航船に何らの制約も受けないでワ号の進路を避けることができたと認められる。
八祥丸側補佐人は、八祥丸が前後の同航船と団子状態で航行したことが、八祥丸の避航動作にいかなる影響を及ぼしたのか明確な主張はしていないが、仮に八祥丸が避航動作をとることができなかったとの主張であれば、先に述べたように、八祥丸は同航船になんらの制約も受けないで避航動作をとることができたと認められるから、避航動作を制約される団子状態であったとは認められない。
なお、たとえ八祥丸が前後の航行船によって避航動作を制約される団子状態で航行していたとしても、港則法施行規則第41条第1項第6号は、関門航路を航行する船舶と砂津航路等を航行する船舶とが出会うおそれのある場合の1船対1船の避航関係について定めた規定であることから、その適用はない。したがって、八祥丸側補佐人の主張には理由がない。

(原因)
本件衝突は、関門港において、小型船である八祥丸が、動静監視不十分で、小型船及び雑種船以外の船舶であるワ号の進路を避けなかったことによって発生したが、ワ号が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
八祥丸の運航が適切でなかったのは、関門港通過に際して船長が自ら運航の指揮をとらなかったことと、無資格の船橋当直者が動静監視を十分に行わなかったこととによるものである。

(受審人等の所為)
A受審人は、関門港西口に向けて東行中、関門港西口まで2.5海里となった地点で当直交替の時機となった場合、間もなく同港に入ることとなるから、引き続いて在橋し、同港を通過するための操船指揮をとるべき注意義務があった。しかるに、同人は、同港に達するまでに朝食をとっておこうと思い、降橋して操船指揮をとらなかった職務上の過失により、ワ号との衝突を招いて八洋丸の沈没とワ号の球状船首左舷側に凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B指定海難関係人が船橋当直について関門港を南下中、若松航路を東行するワ号を認めた際、動静監視を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、勧告するまでもない。
C指定海難関係人が、ワ号の水先に当たって若松航路を東行中、関門航路を南下する八祥丸を認めた際、動静監視を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
C指定海難関係人に対しては、水先業務を廃止している点に徴し、勧告しない。

よって、主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文平成9年10月31日門審言渡(原文縦書き)
本件衝突は、関門港において、小型船である八祥丸が、小型船及び雑種船以外の船舶であるワシントンレインボーIIの進路を避けなかったことに因って発生したがワシントンレインボーIIが、警告信号を行わなかったばかりか、衝突を避けるための措置をとらなかったこともその一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。

参考図






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