日本財団 図書館




1999年(平成11年)

平成10年第二審第1号
    件名
引船新洋丸引船列貨物船ホンシュウI衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年3月19日

    審判庁区分
高等海難審判庁
原審横浜

松井武、葉山忠雄、養田重興、山崎重勝、平田照彦
    理事官
亀井龍雄

    受審人
A 職名:新洋丸二等航海士 海技免状:四級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
台船…左舷船首凹損
ホ号…左舷後部凹損

    原因
新洋丸引船列…動静監視不十分、船員の常務(避航動作)不遵守(主因)
ホ号…船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

    二審請求者
受審人A、補佐人君島通夫

    主文
本件衝突は、新洋丸引船列が、動静監視不十分で、漂泊中のホンシュウIを避けなかったことによって発生したが、ホンシュウIが、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成7年5月13日00時20分
日向灘
2 船舶の要目
船種船名 引船新洋丸 台船深洋
総トン数 498.86トン 8,879トン
全長 50.50メートル 120.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 2,942キロワット
船種船名 貨物船ホンシュウ
総トン数 45,571トン
全長 190.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 12,356キロワット
3 事実の経過
新洋丸は、2基2軸を有する外洋引船で、船長B、A受審人ほか6人が乗り組み、コンテナ用クレーン4基2,000トンを載せた船首尾の喫水とも2.50メートルの非自航船で無人の台船深洋(以下「台船」という。)を引き、船首3.40メートル船尾4,40メートルの喫水をもって、平成7年5月11日09時50分広島港を発し、香港に向かった。
翌12日01時過ぎB船長は、豊後水道なかばに至ったころ、北西の強風で曳航が困難となったことから、曳索を縮めて踟蹶(ちちゅう)し、同日夕方ごろ風が毎秒10メートばかりに弱まったので、ワイヤーの曳索を675メートル延出し、17時50分曳航を再開し、新洋丸には法定の灯火と台船への照射灯を、台船には法定の灯火のほかその船首及び船尾の甲板上に多数の白色点滅灯を点灯して日向灘を南下した。
B船長は、20時ごろ大分県深島東方沖合で船橋当直に就き、GPSプロッタ上の予定針路線を200度(真方位、以下同じ。)としていたが、北西風による風圧流を考慮して針路を203度にして進行したところ、その後西方に流れる海潮流の影響を徐々に受け始め、プロッタ画面に点滅する船位が予定針路線より西方に表示されるようになったことから、23時00分細島灯台から097度12海里の地点に達したとき、針路を197度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進より少し減じた6.5ノットの対地速力で続航した。
ところで、台船は、このころ右舷後方から強風を、左舷方から海潮流を受けていたことから、喫水、船底の形状、搭載貨物の受風面積など固有の状態及び曳航速力などが関係して、新洋丸に対して左右に振れ、同船の航跡から外れる状況にあった。
B船長は、針路を定めたころ左舷前方にホンシュウI(以下「ホ号」という。)の明るい多数の灯火を初めて視認し、23時36分ごろホ号を左舷船首20度4海里に見るようになったとき、同号が船首を東方に向げ漂泊していることを確認し、このころ昇橋してきたA受審人にこの旨を伝えるとともに、ホ号と接近するようであればその船尾方に避航することを指示し、同時42分針路、台船の状況などを引き継いで降橋した。
A受審人は、船橋当直を交代したとき、漂泊中のホ号を左舷船首20度に見る態勢であったので、同号とは無難に航過できるものと思い、その動静監視を行うことなく、台船監視用の專用レーダーによって曳航状況を確認したり、予定針路線を外れていないかプロッタの監視を行い、その後徐々に強まる海潮流の影響こよってプロッタの船位が200度の予定針路線の西方に移動する状況であったことから、同線上を航行するよう自動操舵の指針を適宜左に転じ、ホ号との方位が狭まる状況で進行した。
翌13日00時00分A受審人は、針路を190度ばかりとし、海潮流によって7ノットの対地速力で続航していたところ、ホ号を左舷船首約1点1.7海里ばかりに見るようになり、同号が強い海潮流によって西方に圧流されており、そして自船は曳索の長い引船列であったことから、その後ホ号と衝突のおそれのある態勢で接近していたが、依然、プロッタ上の船位及び曳航状態に気を奪われていたので、このことに気付かず、同号を避けないで進行した。
00時10分ごろA受審人は、ホ号を船首わずか左舷寄りに見る態勢となったことに気付いたが、同号が漂泊しているので近くを航行しても大丈夫と思い、その船尾方を航過しようとして右に10度転針しただけで続航した。
A受審人は、更に強まった海潮流によって8ノットばかりになった対地速力で進行していたところ、00時15分ホ号を左舷前方400メートルに見るようになり、自船は替わる状況であったが、台船との関係が気になって船橋の左舷ウイングに出たとき、ホ号からの発光信号の点滅を視認したので、再度10度右転して針路を約210度とし、同時17分ホ号の船尾近くを航過し、ウイングで台船を監視していたところ、同時19分少し前台船が自船の左舷方に振れていたことから、台船とホ号との衝突の危険を感じ、自動操舵のまま針路設定用のつまみを右に大きく回して右舵をとったが、その効なく、00時20分細島灯台から135度12.6海里の地点において、台船は、250度に向き、ほぼ原速力のまま、その左舷船首がホ号の左舷後部に前方から40度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力5の北西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、衝突地点付近には西方に流れる3ノットばかりの海潮流があった。
B船長は、自室に休息中であったが、針路設定用つまみを回したことによって鳴りだした自動操舵の警報ブザーを聞いて急いで昇橋し、A受審人から台船とホ号とが衝突しそうであるとの報告を受けた直後に衝突を知り、事後の措置に当たった。
また、ホ号は、自動車運搬船で、船長C、二等航海士Dほか24人が乗り組み、空倉のまま、船首6.40メートル船尾7.17メートルの喫水をもって、5月6日シンガポール港を発し、岡山県水島港に向かった。
そしてホ号は、越えて同月12日13時05分宮崎県細島港南東沖合に至り、翌朝、大分県の関埼沖で水先人を乗船させる予定であったことから、到着時刻を調整することとして漂泊を開始した。17時45分沿岸近くに圧流されたので漂泊位置を修正するため航走を始め、19時12分細島港東方沖合で機関を停止し、法定の灯火のほか甲板上を照らす多数の作業灯を点灯し、北西の強風と海潮流によって259度方向に2.7ノットで圧流されながら漂泊を続けた。
23時55分D二等航海士は、細島灯台から132度133海里ばかりの地点で、船橋当直を交代するため甲板手1人とともに昇橋し、前直者から強い海潮流に乗って船首を110度に向けたまま西方に圧流されており、機関がスタンバイ状態にある旨を引き継いで当直に就いた。
翌13日00時00分D二等航海士は、新洋丸引船列の灯火を左舷正横後20度1.7海里に初めて視認し、その後同引船列の方位に明確な変化がなく衝突のおそれのある態勢で接近していることを知り、引き続きその動静を監視していたところ、同時15分ごろ新洋丸が約400メートルに接近したとき、同船に避航の気配がなかったことから、発光信号を点滅させたが、機関を前進にかけるなど衝突を避けるための措置をとらず、更に接近するのを認め、同時16分ごろ船長にこの旨を報告した。
直ちに昇橋したC船長は、台船と衝突の危険を感じ、00時17分半機関を微速力前進にかけ、続いて全速力前進としたが、その効なく、ホ号は、船首を110度に向けたまま前進行きあしが少しついたとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、台船は左舷船首に、ホ号は左舷後部にそれぞれ凹損を生じたが、のちいずれも修理された。

(主張に対する判断)
新洋丸引船列側の補佐人は、「ホ号の西方への移動について、原審は海潮流によって圧流されたものとするが、そのような海潮流のあることを明らかにする証拠はなく、主機関を使用して移動したものと考えざるを得ない。仮に、海潮流によって移動したものであるとするなら、ホ号だけがその影響を受け、なぜ新洋丸引船列が影響を受けないのか。」旨を主張し、また、A受審人は、質問調書中及び当廷において、「00時00分に10度右転し、同時10分に再び10度右転して220度とした。」旨を供述するので、以下この点について検討する。
1 ホ号の圧流について
ホ号の漂泊域は、第10管区海洋速報によれば、黒潮本流に比較的近いワイ潮の海域であったところである。このことは、黒潮本流域の水温が23度であるのに対して、機関日誌の海水温度が22度と記載されていることによって認めることができるのである。そうであるなら、当該海域は3〜3.5ノットの本流に対するワイ潮域ということであるから、2ノット前後の西流があることは推測できるところである。
また、潮汐表及び水路誌によれば、同海域での潮流は12日19時41分から13日01時30分にかけて南西流があり、最強時には1ないし1.8ノットに達することが認められる。
そして、ホ号のエンジンロガ記録紙には、漂泊海域の移動を終えて機関を停止した19時12分から00時17.5分までは機関使用の記録はない。
こうしたことから、19時12分以降のホ号の移動は、北西の強風と海潮流との圧流によるもので、その合成外力の方向と速度は、ホ号の航跡図に記載された時刻と船位によって求められ、259度方向に2.7ノットの速力で圧流されていたことになる。
また、ホ号は風圧面積の大きい自動車運搬船で、当時の北西風では南東方向に圧流されることとなり、風と潮との合成外力が上述のとおりであるから、海潮流の正確な流向流速を計算することは困難であるが、西方に約3ノットの海潮流があったと認めるのが相当である。
2 新洋丸引船列に対する海潮流の影響について
新洋丸引船列は、その航跡図の船位を解析したとき、23時ごろまでは、風力5の北西風により2ないし3度左舷方に圧流されていたものの、それ以降は、逆に右舷方に3度ばかり圧流されるようになっている。このことは、徐々に引船列に影響を与えるようになった海潮流が風圧力を越えて作用するようになったことを示すものであり、23時40分ごろの海潮流は西方に0.7ノットばかりとなる。そして、同引船列が南下するにつれ海潮流を強く受けるようになり、00時10分ごろには2ノットばかりの海潮流を、その後は西方に流れる約3ノットの海潮流を受けるようになったと認めるのが相当である。
3 A受審人の右転時刻について
A受審人は、自船の船首方向が何度を向いていたのかを確認していないものの、プロッタに表示された200度の針路線上を航行していたと供述している。これは、23時42分の船位と衝突地点とを結ぶ方位線が約201度であることからも明らかである。このことは、海潮流の影響を考えたとき、船首を左方に転じるよう自動操舵のつまみを操作していたものと認められる。
同人が供述するように、原針路のまま00時00分と同時10分に10度ずつ右転したなら、これによって、衝突地点から逆算して求めた23時42分の船位は、海図上の同時刻の船位から東方に偏位することになるとともに、船長が当直交代少し前に確認した両船の相対位置関係とも一致しない。そして、00時15分ごろには、ホ号を左舷前方400メートルばかりに見る危険な状況であったが、A受審人は、このとき何らの措置も講じていないことになり、かつ、ホ号二等航海士の「00時15分ごろ信号灯を点滅させたところ引船が右転した。」旨の記載とも一致しない。
したがって、A受審人は00時10分ごろホ号との視認包囲が狭まったので、初めて10度右転したものの、00時15分ごろホ号から点滅信号を受けて台船がホ号に近いことを知り、更に10度右転して両船の状況を見ていたところ、00時19分少し前危険を感じて右に大きく転舵したものと認めるのが相当である。

(原因)
本件衝突は、夜間、日向灘において、新洋丸引船列が、動静監視不十分で、漂泊中のホ号を避けなかったことによって発生したが、ホ号が、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
A受審人は、夜間、日向灘において曳索を長く延出して大型の台船を引きながら南下中、単独で船橋当直に就き、左舷船首方に漂泊しているホ号を認めた場合、引船列の状況から、無難に航過できるかどうか、その動静を十分に監視すべき注意義務があった。しかるに、同人は、ホ号が左舷船首20度ばかりに見る態勢であったので、大丈夫と思い、その動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、衝突のおそれのある態勢で接近していることに気付かず、ホ号を避けないで進行して衝突を招き、台船の左舷船首部及びホ号の左舷後部外板にそれぞれ凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文平成10年1月23日横審言渡
本件衝突は、新洋丸引船列が、動静監視不十分で、海潮流に圧流されながら漂泊中のホンシュウIを避けなかったことによって発生したが、ホンシュウIが、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。

参考図






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION