日本財団 図書館




1999年(平成11年)

平成11年横審第47号
    件名
油送船第二十七芳江丸運航阻害事件

    事件区分
運航阻害事件
    言渡年月日
平成11年9月21日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

西村敏和、長浜義昭、勝又三郎
    理事官
藤江哲三

    受審人
A 職名:第二十七芳江丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
なし

    原因
船位確認不十分

    主文
本件運航阻害は、船位の確認が十分でなかったことによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年7月12日10時40分
千葉港葛南区
2 船舶の要目
船種船名 油送船第二十七芳江丸
総トン数 499.62トン
登録長 49.78メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 956キロワット
3 事実の経過
第二十七芳江丸は、可変ピッチプロペラを装備した船尾船橋型の鋼製油送船で、A受審人ほか5人が乗り組み、平成9年7月12日08時40分ガソリン1,000キロリットルを積載して千葉港葛南区昭和シェル石油市川油槽所桟橋(以下「油槽所桟橋」という。)に着桟し、09時00分から揚荷を開始して、10時00分全量揚荷を終え、空倉のまま、船首0.8メートル船尾3.8メートルの喫水をもって、10時10分同桟橋を発し、京浜港横浜第4区に向かった。
ところで、油槽所桟橋に通じる水路(以下「市川水路」という。)は、千葉港葛南区の江戸川河口に広がる浅瀬を、水深6.5メートルまで掘り下げて整備した、長さ約2海里、幅約240メートル及び水路法線が150度(真方位、以下同じ。)の水路で、千葉港市川第1号灯浮標(以下、市川水路の各号灯浮標の名称については「千葉港市川」を省略する。)から第8号灯浮標まで、片側に4基ずつの灯浮標が約1,250メートルのほぼ等間隔に設置され、同水路の両側端を示していた。
また、A受審人は、頻繁に同水路を航行して油槽所桟橋に離着桟していたので、同水路の側方には浅瀬が存在し、同水路から外れて同浅瀬に進入すると、航行が困難となるおそれがあることなど、同水路の事情をよく知っていた。
発航に先立ってA受審人は、油槽所桟橋付近が霧模様となっていたので、同桟橋から市川水路の状況を確認したところ、同桟橋の南東方1,700メートルのところの第7号、第8号両灯浮標を視認することができたことから、航行に支障がないと判断して発航し、自ら手動操舵に就いて発航操船に当たり、レーダーを作動して1.5海里レンジとし、機関長を機関遠隔操縦装置に就けて翼角の操作に当たらせ、適宜の針路及び速力で市川水路に向けて進行した。
10時18分半A受審人は、第7号、第8号両灯浮標の中間付近となる、千葉港葛南市川灯台(以下「市川灯台」という。)から092度1.0海里の地点において、市川水路北口に入ったところ、同水路が霧模様となっており、船首方向2,500メートルのところの第3号、第4号両灯浮標がうっすらと視認できる状態であったので、機関回転数毎分1,400及び翼角前進7度の半速力前進とし、5.0ノットの速力で、針路を両灯浮標の中間に向く150度に定め、手動操舵によって同水路の中央部を南下した。
10時22分半A受審人は、市川灯台から105度2,230メートルの地点にあたる、第7号、第5号両灯浮標の中間付近に差しかかったとき、船首方向に他船の船影を視認したが霧模様のためその動静を十分に確認することができず、とりあえず同水路を北上中の船舶(以下「反航船」という。)であると考えて続航した。
10時26分半A受審人は、市川灯台から115度2,730メートルの地点において、第5号灯浮標を通過したとき、レーダーにより反航船の動静を監視することなく、市川水路の右側に寄せて同船と左舷を対して通過するつもりで、針路を3度だけ右に転じて153度とし、第3号灯浮標を右舷船首に見ながら進行するうち、視界が次第に狭まり、同灯浮標が視認しづらくなってきたので、翼角前進5度の微速力前進として3.0ノットの速力に減じて続航した。
10時31分半A受審人は、第5号、第3号両灯浮標の中間付近となる、市川灯台から123度3,300メートルの地点に達したとき、濃い霧の中に入って右舷船首4度560メートルのところの第3号灯浮標が視認できなくなったので、甲板上で作業を指揮していた一等航海士を船首見張りに就けたが、見張りを強化するためには、同作業に従事していた甲板員を船首見張りに就け、かつ、レーダーを活用して船位を十分に確認することができるよう、同航海士を昇橋させてレーダー見張りに就けることに思い及ばず、また、反航船の動静を監視することもせずに進行した。
10時35分A受審人は、市川灯台から125度2.0海里において、第3号灯浮標が右舷船首14度230メートルに迫ったとき、霧が更に濃くなって視界が著しく制限された状態となったので、翼角前進3度の極微速力前進として1.5ノットの速力に減じたうえで、反航船との距離を十分に隔てて通過するため、市川水路の右側端を航行しようと考え、同灯浮標の少し東側を通過できるよう、針路を10度右に転じて163度とし、同灯浮標を視認することができたところで、再び同水路に沿う針路に戻すことにして、目視による見張りに頼って続航した。
こうして、A受審人は、視界が著しく制限された状態のもと、目視による見張りに頼り、第3号灯浮標を視認することができないまま進行し、10時39分少し過ぎ、同灯浮標の東側至近に至り、針路を転じる地点に達したものの、左舷側を通過する反航船のことが気になっていたこともあって、同灯浮標を視認することができず、依然としてレーダーを活用して船位を確認しなかったので、同灯浮標の東側至近を通過したことも、市川水路西側の浅瀬に接近していることにも気付かず、同水路に沿った針路に戻すことができないまま続航中、同時40分少し前、ようやく同水路の右側端に寄せすぎたのではないかと不安を感じて左舵15度をとったが、効なく、同時40分市川灯台から127.5度2.1海里において、原針路、原速力のまま、同水路西側の浅瀬に進入した。
当時、天候は霧で風はほとんどなく、潮候は下げ潮の初期で、視程は約40メートルであった。
A受審人は、行きあしが止まって座洲したことを知り、機関を後進にかけたが離洲できず、下げ潮でもあることから航行の継続が困難であると判断し、引き船の支援を要請した。
この結果、第二十七芳江丸は、同日12時05分引き船によって引き出され、潜水調査により船底部に損傷がないことを確認するなど目的地に向けての航行に約5時間の遅れを生じた。

(原因)
本件運航阻害は、千葉港葛南区の市川水路において、同水路の各灯浮標を目視確認しながらこれに沿って南下中、霧のため視界が制限された状態となり、転針目標としていた灯浮標を視認することができなくなった際、レーダーによる船位の確認が不十分で、同水路に沿う針路に戻すことができないまま、同水路側方の浅瀬に向首進行したことによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人は、千葉港葛南区の市川水路において、同水路の各灯浮標を目視確認しながらこれに沿って南下中、霧のため視界が制限された状態となり、転針目標としていた灯浮標を視認することができなくなった場合、同水路の側方には浅瀬が存在し、同水路を外れて同浅瀬に進入すると、航行が困難となるおそれがあるから、同水路を外れることのないよう、レーダーを活用して船位の確認を十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、船首見張員を配置して見張りを強化したので、もう少し転針目標の灯浮標に接近すれば同灯浮標を視認することができるものと思い、レーダーを活用して船位の確認を十分に行わなかった職務上の過失により、目視による見張りに頼って同灯浮標を視認することができず、同水路に沿う針路に戻すことができないまま、同水路側方の浅瀬に向首進行して座洲し、航行の継続を困難とさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION