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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年8月15日14時10分 播磨灘 2 船舶の要目 船種船名
漁船村由丸 総トン数 9.7トン 全長 17.45メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 301キロワット 3 事実の経過 村由丸は、昭和59年4月に進水したFRP製漁船で、主機としてヤンマーディーゼル株式会社が製造した6KH-ST型ディーゼル機関を装備し、主機の両舷には容量約500リットルの燃料タンクがそれぞれ設置され、船体中央部の操舵室には、主機操縦ハンドルのほか、セルモータ用キースイッチや計器類などを組み込んだ計器盤を設けていたが、燃料計は備えられていなかった。 燃料タンクは、FRP製で、奥行き700ミリメートル(以下「ミリ」という。)高さ500ミリ長さ1,500ミリの直方体をなし、船尾寄り底部に取出弁及びドレン弁を設け、軽油が常時全開の両タンク取出弁から共通配管でこし器を経て主機に供給されるようになっており、タンクのほぼ中央部に外径12ミリの軟質ビニール製の油量計が取り付けられ、タンク取出し中心から油量計ビニール部の下端までの高さが80ミリであった。 A受審人は、平成3年から村由丸のほか、同船と船団を組む各漁船に甲板員として乗り組み、ちりめん漁などに従事しており、同9年6月に海技免状を取得してからは、漁場から帰港の途中などに操船を任されていたもので、その後船団の網船に乗船していたところで旧盆前の操業を終え、帰港後には船団の習慣どおり網船の燃料を満タンにして休みに入った。 ところで、村由丸は、ちりめん漁の運搬船として操業に従事したのち、同年8月10日からは旧盆の休みに入っていたものの、休みの期間中にも何人かの乗組員仲間によって所用や釣りなどのために使用され、その間燃料が補給されなかったことから、燃料タンクの保有量は油面が油量計からわずかに出る程度まで減少していた。 A受審人は、同月15日に友人らを乗せて鳴門海峡への往復航海を計画し、同日07時ごろ村由丸に到着して発航準備にかかったが、操業を終えて帰港した際にはいつも燃料を補給する習慣があるので保有量は大丈夫と思い、燃料タンクの油量を確認することなく主機を始動し、燃料が残り少なくなっていることに気付かなかった。 こうして、A受審人は、村由丸に1人で乗り組み、同乗者8人を乗せ、船首0.2メートル船尾1.5メートルの喫水をもって同日07時30分ごろ兵庫県林崎漁港を発して鳴門海峡に向かい、途中08時ごろ同県北淡町富島付近の海岸沖合に至って仮泊し、主機を回転数毎分500の中立運転にしたまま海水浴をし、11時50分ごろ同地を発し主機回転数を毎分2,300の全速力前進にかけて南下を続けた。 13時00分ごろA受審人は、大鳴門橋を通過したところで折り返して帰途に就き、同時09分孫埼灯台から327度(真方位、以下同じ。)2.5海里の地点で針路を030度に定め、機関を20.0ノットの全速力前進にかけて進行中、播磨灘航路第5号灯浮標と同第6号灯浮標とのほぼ中間で播磨灘推薦航路線を横切って間もなく、14時10分淡路室津港西防波堤灯台から306度4.0海里の地点で燃料切れとなり、主機が突然停止した。 当時、天候は晴で風力2の北東風が吹いていた。 A受審人は、セルモータを何度かけても主機が始動しないことから機関室に入り、両燃料タンクとも空になっていることを認め、携帯電話で家族に救援を依頼し、のち来援した僚船により林崎漁港に引きつけられた。
(原因) 本件運航阻害は、林崎漁港を出航するに当たり、燃料タンクの油量確認が不十分で、播磨灘を航行中、燃料切れとなったことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、自ら操船して林崎港を出航する場合、航行中に燃料切れとならないよう、燃料タンクの油量を確認すべき注意義務があった。ところが、同人は、操業を終えて帰港した際にはいつも燃料を補給する習慣があるので保有量は大丈夫と思い、燃料タンクの油量を確認しなかった職務上の過失により、航行中に燃料切れとなり、自力航行が不能となるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |