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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年10月1日07時10分 大阪港堺泉北区第1区 2 船舶の要目 船種船名
油送船第十二あじあ丸 総トン数 199トン 登録長 43.24メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 551キロワット 3 事実の経過 第十二あじあ丸(以下「あじあ丸」という。)は、船尾船橋型油送船で、A受審人ほか2人が乗り組み、空倉のまま、船首0.8メートル船尾2.4メートルの喫水をもって、平成9年10月1日06時20分大阪港堺泉北区第5区の小松埠頭を発し、同第3区の西泊地にあるコスモ石油株式会社の桟橋(以下「コスモ石油桟橋」という。)に向かった。 ところで、A受審人は、R株式会社の代表取締役で、普段は同社所有の第十一あじあ丸に船長又は機関長として乗り組み、専ら和歌山県和歌山下津港から同県勝浦港へ軽油やガソリンなどの輸送に従事していたところ、同年9月下旬あじあ丸の船長である同人の弟Bから、所用のため一時下船したい旨の連絡を受け、また、同月末に運航会社から、翌10月1日コスモ石油桟橋における積荷予定を通知されたので、同日05時40分小松埠頭に着岸中のあじあ丸に乗船し、既に下船していたB船長に代わってその職に就いた。 そして、A受審人は、コスモ石油桟橋に向かうにあたり、3年ほど前同桟橋に着桟した際、堺南航路の入口から同航路の灯浮標に沿って航行し、堺第7区埋立地を右舷側に通過したところで、同桟橋に向かったという記憶がある以外、その後大阪港堺泉北区第3区に入航したことがなかったので、同桟橋に至る針路法なと詳細な水路事情については不案内であった。 しかし、A受審人は、あじあ丸に乗船したとき、備付けの海図第150号A(大阪湾)及び大阪港内に立地する石油会社の場所などが記入された略図でコスモ石油桟橋の位置を確認し、以前に行ったことがあるので堺南航路を灯浮標に沿って行けば目的地に到着できると思い、発航に先立ち、第l146号(大阪港堺)や第1103号(大阪湾東部)の大縮尺の海図を入手して入航針路や航路標識の設置状況を確認するなど同第3区に対する水路調査を十分に行わなかった。 A受審人は、発航時から単独の操船に当たり、機関を半速力前進にかけて北上し、浜寺航路を横切り大阪港堺泉北区第7区に入ったところで、やや西寄りの堺南航路の入口に向かわず、航程を短縮するためそのまま北上を続けることとし、06時33分半大阪港大和川南防波堤南灯台から174度(真方位、以下同じ。)1.9海里の地点で、針路を358度に定め、引き続き8.0ノットの対地速力で手動操舵により堺第7区埋立地の西側沿いに進行した。 06時50分A受審人は、大阪港大和川南防波堤南灯台から025度600メートルの地点に達したとき、右方約2,300メートルに堺第2区追加埋立地の北端を視認し、これを堺第7区埋立地の北端と取り違えてここに向かえばよいものと思い込み、そのころ右舷前方の堺南航路第10号、同第9号及び堺北抗航路第4号の各灯浮標を一見し、これらが堺南航路の灯浮標と思って同航路に沿うつもりで針路を051度に転じた。 06時51分少し過ぎA受審人は、堺南航路第10号灯浮標を右舷側160メートルに通過し、目的地に向かう際に通航するつもりでいた堺南航路に入ったが、発航に先立って水路調査を十分に行っていなかったのでこのことに気付かず、同航路に沿う120度の針路に転じないで同じ針路のまま続航した。 A受審人は、堺南航路第9号灯標を右舷側に並航したとき、堺北航路第4号灯浮標に接航するよう右転し、間もなく堺北航路に進入したところで同航路中央から少し左に向く085度の針路に転じ、その後大和川河口部の浅瀬に向首して進行した。 A受審人は、そろそろコスモ石油のタンク群が見えてこないかと双眼鏡を使ったりして周囲を探していたところ、06時59分大阪南港沖防波堤灯台を左舷側に航過したとき、同灯台の北側に架かったかもめ大橋を認め、記憶していた水路模様と異なることに不安を覚え、減速して3.0ノットの対地速力によりそのままの針路で続航し、07時09分半前方に阪神高速4号湾岸線の架橋を見て、目的地に向かっていないことに気付き、引き返そうと右舵一杯をとって回頭中、07時10分堺北泊地南防波堤灯台から347度640メートルの地点において、あじあ丸は、その船首が136度を向いたとき、大和川河口部の浅瀬に座州して船体が停止し、航海が継続できなくなった。 当時、天候は曇で風力3の北北東風が吹き、潮候は下げ潮の初期であった。 あじあ丸は、自力で離州を試みたが効なく、サルベージ会社に救助を依頼し、来援した引船により16時49分引き下ろされたが船体などに損傷がなかったので、その後和歌山下津港へ回航した。
原因) 本件運航阻害は、大阪港堺泉北区第3区西泊地にあるコスモ石油桟橋に向かうにあたり、同第3区に対する水路調査が不十分で、大和川河口部の浅瀬に向首進行して座州したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、大阪港堺泉北区第3区西泊地にあるコスモ石油桟橋に向けて同第5区小松埠頭を発航する場合、3年ほど前に同第3区に入航したことがあるだけで、同桟橋に至る針路法など詳細な水路事情については不案内であったから、発航に先立ち、大縮尺の海図を入手して入航針路や航路標識の設置状況を確認するなど同第3区に対する水路調査を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、以前に行ったことがあるので堺南航路を灯浮標に沿って行けば目的地へ到着できると思い、発航に先立ち、大縮尺の海図を入手して入航針路や航路標識の設置状況を確認するなと同第3区に対する水路調査を十分に行わなかった職務上の過失により、堺南航路に入航したことに気付かずにこれを通り越し、堺北航路に進入して大和川河口部の浅瀬に向け進行したため座州し、船体が停止して運航阻害を招き、航海の継続を中断させるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |