しかし、流網の使用は、漁場を根こそぎサルベージするようなものである。1989年に米国西太平洋漁業会議は、これらアジア3カ国からの700隻の漁船は、毎日1500マイルにも及ぶ流網を展開していると報告した55。流し網は網目が小さく、また展開する面積が広いことから、極く小さなものを除き、その網目から逃れることは殆どの魚種にとって不可能である。つまり、漁獲される魚種の殆どはイカではなく、鮭及びマグロである。流網に対して異論を唱える立場は、この「たまたま」漁獲された鮭等の魚種が、実は流網船団の主たる目的であると主張し56、公海における流網の規制に関する二つの国連総会決議を198957年及び199158年に採択させた。しかしながら、イカを狙った流網の規制は一向に進展していない59。
公海における漁業に係わる国連海洋法条約の条項は、このような一種の略奪行為についてはいかなる規定もされていない。皮肉にも、国連海洋法条約の強制的な集団的措置については、溯河性資源、及び降河性資源に関するものである60。淡水の河を持つ国は、これら溯河性資源、及び降河性資源についての権利を有する。これらの魚種の漁獲は、200マイルのEEZの内側に制限されているようである。しかしながら、かなりの量のサケ、或いは溯河性資源が、「たまたま」漁獲されている。日本及び韓国は、たとえ200マイル以遠であっても、沿岸国のこの種の魚種の保存に係わる法令の適用、或いは公海における漁獲に沿岸国の法令を強制的に適用することを無視できず、このため、交渉の席に着かざるを得なかった。
不幸にもグロチウスの理論は、海洋環境の悪化防止活動を管理するための交渉においても浸透した。繰り返しになるが、それはアナーキーな国際政治システムにおける原則であり、つまり、それはあくまで個々の国家が自己の国益を見出した場合の自発的協力なのである。この個々の国家が自発的な協力を約束することには、やはり懐疑的にならざるを得ない。特に、自国の海洋汚染防止の問題はそうである。結局のところは、個々の国家が最終的な権限を有するのである。第三次国連海洋法会議は、大ざっぱに言って、天然資源に対する主権的権利を沿岸国に認めたが、沿岸国は、それ以上のものを要求した。つまり、環境保護義務があるからと言って、自国の天然資源を開発する沿岸国の主権的権利は取り消されることはない旨のあからさまな保証を要求した61。