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1) 薬剤の理解

告知をしている患者にもコンチンをただ痛み止めですとしか言えず、患者が痛くなかったから飲まなかったりということがよくある。医療者がきちんとコンチンの作用、副作用、コントロールの方法を理解していなかったため、患者もなんとなく理解ができなかったのではないかと感じた。痛みは主観的であるため、患者が自分で疼痛コントロールできるよう患者、家族への説明ができるようになることが必要である。

痛みの原因による分類に、1]侵害受容性疼痛、2]神経因性疼痛(ニューロパシックペイン)、3]心因性疼痛があり、それに対しアセスメント、適切な薬剤を使用、評価をしていかなければならないと感じた。

 

2) 精神症状

がんだから不安は当たり前と思ってはいけないという言葉が最初理解できなかった。しかし、不安があるのは当たり前と思い、何に対する不安なのかアセスメントできず具体的な援助ができていなかった。また痛みと抑うつが関係あることを知り、今まで抑うつに当てはまる患者が多いことに気づいた。少しでも言動が変であると感じると、すぐ脳メタを疑っていたため、うつの診断をしていなかった。そのため、QOLが低下したまま亡くなられることなどあった。がん患者は常に不安をもっており、心のケア(1]診断時は孤立化、疎外感を理解する、2]再発、進行期は心理的苦痛を理解する、3]終末期は個別性を尊重する)がどれほど大切なのか理解できた。

 

家族ケアについて

 

看護婦になって5年目になるが、初めのころは患者の看護で精一杯であった。徐々に慣れ、家族への援助が必要だと理解するようになった。しかし患者と家族を1単位として見ていなかったことや、どこまでが看護婦の役割か分からないまま行っていたこと、私自身の価値観を家族に押し付け、無理に外泊させようとしたりなど自己満足で家族援助を行っていたと感じた。家族看護の目的は家族のセルフケア機能の向上であり、それに対する情報収集、問題の明確化1]家族援助がどの程度必要かを判断する(不適応状態に陥る可能性がどれほどあるか)、2]援助ニーズを構造化し全体像を明らかにする(家族の適応状況の問題は家族の対処の現状から生じているのか、家族がどのような関係性にあるのか)、計画、実施、評価をしなければならないことを知った。患者と同様、家族にも計画、評価が必要であると理解できた。

 

グループワークを終えて

 

グループワークを行い、自分に見えなかった看護の問題点が明確になったり、他の看護婦の問題を共有し対策など考えることができた。そのなかで私のレポートのテーマは、家族が本当にしてほしかったこととした。問題点は、1]どこまで家族が患者の日常生活の援助を行うのか、2]不穏の患者の安全を考えての看護ケアはできていたのか(妻がいないときの統一された看護はできていたのか)、3]チームアプローチができていない(計画がきちんとできていないため継続看護ができない、情報の共有ができていない)と考えた。学んだことは、1]妻の希望で夜間など付き添っていたが日常生活の援助をまかせきりであり、不穏である患者の安全を考えてのケアと、妻と共に行うケアが必要であった。2]プライマリーとしてのアプローチの方法として情報の共有、妻への対応を問題としてとらえなければならない。生活援助の方法など具体的な計画が必要である。ただ話をするのではなく、コミュニケーションを意図的に行い妻の本当の気持ちを知り、患者、家族と医療者のゴールを統一すべきである。

 

実習を通して学んだこと

 

実習が始まったころは、よくボランティアさんや牧師さんが亡くなられた患者に対し、「昨日まではお元気で入浴もしたのに」「昨日はイベントに出て笑っていたのに」という声をよく聞いた。私は状態が悪いなりにも急変があるんだなと思っていたが、これが症状コントロールされていることだとは思いもよらなかった。患者と接していくうちに、末期でいつ亡くなられてもおかしくないような患者も、疼痛コントロールされ最後まで患者の意志を尊重し、その人のQOLを維持しながら亡くなられている。

 

 

 

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