緩和ケアは全科に共通する基本的な看護
横浜市立大学医学部附属浦舟病院
鈴木 智子
はじめに
私は、10年間救命救急センターに勤務している。ここでは、高度医療を提供する使命があり、蘇生、健康回復にむけた集中治療、看護が行われている。反面、蘇生できたとしても、延命が望めないケースも多々あり、様々な「死」が存在しているところでもある。
このような環境で仕事をしていると、その「死」について、無力感を感じ、虚無感が残ることを体験する。そんな中、約3年前にホスピス病棟で5か月間、実務研修を受ける機会を得た。救命救急とホスピスとでは、対照的であり比較することはできないが、「人が死ぬということの意味」、「人はどのようにして死を迎えるのか」など、みさせていただき、個々の死の迎え方があり、人を尊重していくことの大切さを実感することができた。今後、緩和ケアをやっていきたいと強く思ったが、知識不足からくるアセスメント能力不足、人間理解を深めていくことの大切さを感じ、今回の研修の受講動機となった。
今まで経験的、体験的に行っていたことが、何を意味することなのか、6週間、学問的、理論的、倫理的な学びをすることで、その裏づけをすることができたのでここに報告いたします。
研修での学び
1) コミュニケーション・スキル
コミュニケーションとは? 看護婦としてのコミュニケーションとは? 改めて問われた時、何をもってコミュニケーションがとれたと言っていたのかを考えた。今までは、一方的に情報を得たいという目的での介入が多かったように思う。看護婦として何故、相手を理解しようと思うのか。
患者にとっての看護は、患者の意志、意向を知る。それを理解しなければ、看護の目的、目標を達成(明確)することはできない。この時に、コミュニケーション・スキルを使う。そして、コミュニケーションを成立させるためには、患者一看護婦の「援助関係」が成立しないとできない。相手に看護婦の役割(専門的援助)を伝え、理解してもらう必要がある。自分が感じていることを伝えて行く、それが相互理解につながることを知った。また、さりげなく話をして情報を得るという手段が多かったが、“意図的にかかわる”姿勢を持つことの大切さを学んだ。
救命センターでは、突然起こった危機的状況の患者、家族が様々な感情を医療者にぶつけてくる。その対応は非常に難しく、時間も費やす。緩和ケアでも同じであると思うが、特に怒りについては、他者に置き換えて合理化することが、看護婦に攻撃という形で現れやすい。この感情は共感しにくいことを経験しているが、そのような時は、背後にどのような感情がひそんでいるか、探って行く必要がある。内面の理解を目指すことが、看護婦の役割であることを学んだ。
コミュニケーションの70%は、非言語的コミュニケーションが占めているそうだ。人と向かい合う時、自分の姿勢の在り方を気をつけていくことを意識するように心掛ける。コミュニケーションはスキルであるが、それだけを習得するだけでは不足、人間理解して行くことも大切であることを学んだ。