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私はこんなに退院したいと患者さんが希望しているにもかかわらず、家族が連れて帰らないというのはどうしてなのかと疑問だった。そして、家族の不安な気持ちもわかるが、すぐに再入院となっても一度は退院させることはできないかと家族と話し合った。医師も患者の思いを受け入れ、家族に働きかけるようになった。その結果、家族は患者の意向を受け入れ、退院することとなった。

しかし、この研修を受け、その時の私の対応は、患者の意志を尊重するあまり、家族に対し押し付けになっていたのではないかと考えさせられた。今後は患者及び家族の価値観を尊重し、家族の歴史、背景、思いを十分考慮し、「問題解決の当事者は、本人とその家族である」ことを忘れずに、患者、家族を支援していきたい。

また、家族にとって大切な人を亡くすということは、かなりの衝撃となって心に残る。実習ホスピスでは遺族ケアとして、患者さんが亡くなられた後、1か月後、6か月後、1年後のカードの送付と「しのぶ会」の開催、遺族が自主的に運営する「家族の会」のサポートなど様々な対応をしている。悲しみが癒されておらず、会に参加したくないと思う家族もいる。しかし、医療従事者には遺族の不満や希望などについて率直な意見を聞く場が必要である。自分が提供している看護を振り返ることによって、より一層提供する医療の質があがる。私も遺族ともう少しいろいろな関わりがもてるよう、入院中からより良い看護を提供していきたい。

 

5) コミュニケーションスキルについて

1日の看護業務の中でどれくらい患者とコミュニケーションをとっているのかを考えると、疑問が残る。業務上、患者に伝えなければならないこと、例えば、手術についての説明や検査、処置時の説明等、患者さんと話をすることは多いが、その目的は看護婦サイドのものとなり、一方的なコミュニケーションになっているのではないかと反省させられた。

先日、無口な患者さんがここ2〜3日表情が険しく感じたため、患者さんの気持ちが知りたいと思い、ベッドサイドで話していたところ、急に泣き出してしまった。その患者さんは術後で縫合不全を起こし、退院がいつになるのか、できるのかわからないという不安で一杯だったようである。自分の感情をあまり表出しないため、患者さんの感じていること、考えていることを意図的に引き出そうと思わなければ、患者の思いは伝わらない。検温と言って、ただ熱と脈、症状を聞いてくるだけで、患者さんの変化やニーズがわからなければ看護婦とは言えないと再認識させられた。その時、私はコミュニケーションスキルが使えたとは思えないが、自分の技術として身につけることで、患者さんの気持ちを癒せたらと考えている。

私は以前、近藤誠氏の『患者よ、がんと闘うな』という本のことで大部屋でディスカッションしたことがある。がんの治療方法のことや、人間として生まれたからには一度は死ななくてはならないこと、ではどのように死にたいかという話になった。最後はなるようにしかならないし、頑張りましょうということで終わった。しかし、その時、健康人は私1人で相手は6人、何か自分が健康であることが悪いような気にさえなっていた。その話は3年も前のことだが、今も痛烈に印象に残っている貴重な体験である。その時、中心に話をした患者さんは亡くなってしまったが、その時、私はこの職業は、自分の人生観、死生観が問われると同時に、看護を専門職として行っていく以上、コミュニケーションスキルが必要な職業であることを実感した。患者の心の痛みに共感し、それを誠実な態度で患者に伝え、ケアしていくことで、人間対人間の相互作用が働き、信頼関係を形成できると痛感した。

 

おわりに

 

F. ナイチンゲールが40歳の時、設立した「ナイチンゲール看護婦訓練学校」の学生たちとその卒業生に宛てて送った書簡の中に、次のような言葉がある。

 

 

 

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