ナースの原点に返って手と目で看護を
山形県立中央病院
斎藤 真理子
要約;研修での学び
1] 疾患中心の医療の現状から、真に患者中心に考えていくことが緩和医療の基本である(発病のときから、すでに緩和医療は開始されるべきである)。
2] インフォームド・コンセントとは、告げ続けるとともに、最後まで患者をサポートしていくことである。
3] 最後のときが月単位、週単位で迫ってきたとき、緩和ケア病棟が必要とされる。
4] 適切な症状コントロールがなされることにより、最後まで自分らしい生活が維持できる可能性がある。
5] 患者を全人的に支えていくにはチームによるアプローチが必要とされる。
6] 核家族が進む現代において、患者の死後、家族への援助も緩和ケアの一部となる。
7] 常に死に直面する緩和ケア病棟で働くナースに対してのメンタルヘルスに関心が寄せられることが大切である。
はじめに
20数年、看護婦として多くの患者さんの死に向き合ってきた。そのたびにこれで良かったのだろうかと考えさせられることが少なくなかった。今回、緩和ケアケース養成研修に参加し、緩和ケアのあり方、死を看取るということを学び、またホスピス実習を経験することによって、今までの自分を反省しつつ看護婦の役割についての思いを新たにした。また、緩和ケアについて漠然とした考えしか持ち合わせていなかったが、現状を振り返りながら、総合病院における緩和ケア病棟のあり方を自分なりに考え学びを得ることができたので、その過程を述べたいと思う。
現状を振り返って
治癒することを信じて、あるいは不審を抱きながらも、わずかの可能性にかけて患者は多くの犠牲を払って入院生活を送っている。がんは様々な治療法が開発され、治る病気というイメージが持たれてきたとともに、慢性疾患的な様相も帯びてきていると思う。しかし、死因の第1位を占める疾患であることに変わりはない。初めてがんを宣告されたときショックを受けつつも、立ち直りは意外と早いという。正直に話されるぐらいだから直る可能性が100%だろうと、患者は楽観的に考える傾向があるのだという。次に、何年か経ち再発を告げられたときは、なかなか立ち直ることが難しいということだ。いきなり死というものが身近に迫り、こんなはずではなかったと事実を受け入れることができないのだろうと思う。そういう気持ちを考えて予後が月単位と考えられるようになってきた場合、本人に告げることは避けられ、医師と家族の間で内密に話されるということが少なくない。
看護をしていく上で、亡くなる前にもう一度家に帰らせてあげたいと思うことがたびたびあるが、本人が治癒を望めないことを理解していない場合、良くなって帰るという思いが強く実現が難しい。そうしているうちにも病状は進行し、死を迎えてしまう。これが現状ではないだろうか。限りある命をそんな形で終わらせてしまって良いものなのだろうか。常に誠実に患者と向き合い、真実を告げ患者とともにその後の人生を考えていくにはどうしたら良いのだろうか。どんなに医療技術が発展したとしても死を回避することは不可能だし、治療が無意味であることがわかれば打ち切る勇気が必要だと思う。