現代における偉大なチェリストの一人として、またパフォーミング・アーティストとして、更には世界的な影響を与える教育者として、国際的に名をはせている彼は、比類なきテクニックと表現力あふれる演奏、コミュニケーション力と音楽的知性を備え、20世紀の卓越した音楽家の一人として、世界中から認知されている。
6歳の時、生まれ育ったブダペストでチェロを始め、8歳で既に生徒を持つようになり、11歳では聴衆の前で演奏を行なった。ブダペストのフランツ・リスト音楽院で学んだ後、ブダペスト歌劇場とブダペスト市のオーケストラの第1チェリストの地位を得て、本格的な演奏活動を開始した。1948年にはハンガリーからアメリカに移住し、ダラス交響楽団、メトロポリタン歌劇場、フリッツ・ライナーの下でのシカゴ交響楽団の首席チェリストの地位を歴任した。1958年にはソリストとして国際的な活動を開始、またブルーミントンのインディアナ大学の音楽学校に迎えられ、トレーシー・M・ゾンネボーン賞の初の受賞者となった。同賞は教育者として、またアーティストとして優れた業績を残した教員に対し、大学が授与する名誉である。ツアーや録音活動を行なわない時は、インディアナ大学の名誉教授として後進の指導に当たり、40年間以上彼の授業は世界中の弦楽器奏者を引きつけてやまない。
1998/99年のシーズンは、ケベックのオーフォード・アーツ・フェスティバルでの再演やヴァージニア州のシャルロットヴィルで開かれるウィンターグリーン・フェスティバルでハイドンのチェロ協奏曲ハ長調を演奏。またカルガリーでバッハの無伴奏チェロ組曲を演奏すると同時にマスタークラスも行ない、シカゴではグラント・パーク音楽祭でドヴォルザークのチェロ協奏曲を披露。これらの活動の他には、ダラス交響楽団やワシントン・ナショナル交響楽団、ニュー・ヘイヴン交響楽団、スポケーン交響楽団、シアトル交響楽団、サンディエゴ交響楽団との共演があり、ボルティモアのジョン・ホプキンス大学のシュリヴァー・ホールや、ニューヨークの92丁目Y、クィーンズのコールデン・センター・フォー・ザ・パフォーミング・アーツ等でリサイタルも行なわれた。
最近のシーズンでの特筆すべき活動には、インディアナポリスでの公演でハイドンやショパン、コダーイ、バルトークの作品を演奏したり、出身地であるハンガリーを讚えるワシントンD.C.でのガラ公演でオール・バルトーク・プロを行なったことなどが挙げられる。加えて、全米でリサイタルやオーケストラヘの客演も行ない、その中には、ミネソタ管弦楽団とのシューマンのチェロ協奏曲やリンカーン・センターのアリス・タリー・ホールでのニューヨーク・チェンバー・シンフォニーとの演奏が含まれる。
これまでに165作品を越える録音をいくつもの国際的レーベルに残しており、数々の賞を授与されている。1991年から、BMGのRCAレッド・シールで発売されているCDには、初収録のバルトークのヴィオラ協奏曲のチェロ版、ドヴォルザークの協奏曲、シュトラウスの「ドン・キホーテ」等も含まれている。近年の録音には、ヒンデミット/シューマンの協奏曲や、エルガーとウォルトンの協奏曲、また、前出のバッハ無伴奏組曲等がある。ブラームスのチェロ・ソナタやドビュッシー、マルティヌー、ラフマニノフ、シューマンの「アダージョとアレグロ」と「幻想小品集」もBMGからCD発売され、このうちマルティヌーの録音は1993年のグラミー賞候補作品となり、また究極とも言える彼のバッハ無伴奏組曲全曲の2枚組CDは1998年のグラミー賞の最優秀器楽ソロ演奏賞を獲得した。加えて、最近ではデロス、CRIからの発売や、マーキュリーとEMIからの再発売がある。また、ドイツ・グラモフォン、エヴェレスト、ローレル、ロンドン・デッカ、ルイヴィル、フィリップス、セラフィム、スター、その他の世界的なレーベルに、録音を行なっている。
ピアノ:練木 繁夫
PIANO:SHIGEO NERIKI
現在、母校インディアナ大学教授、相愛大学、桐朋学園客員教授として後進の指導に携わるかたわら、ボストン、シカゴ、ピッツバーグ等のメジャー・オーケストラとの共演、及び室内楽奏者としてヨーロッパ、アメリカ等で幅広い演奏活動を続けている彼は、1951年東京に生まれ、3才よりピアノを始め、10才で桐朋学園子供のための音楽教室に入室。東京放送及び毎日放送主催の「子供音楽コンクール」に優勝、文部大臣賞を受賞、暁星中学校卒業後、桐朋学園女子高等学校音楽科に進み大島正泰氏に師事した。
その後アメリカに渡り、インディアナ大学に入学、G.シェベックに師事。1976年、ツーソン・ピアノ・コンクール第1位、78年、ピッツバーグ・ピアノ・コンクール第1位受賞。76年より、シュタルケルのパートナーとして世界各地を公演。78、82、91、93、95、97年の来日公演でも大好評を博す。83年以降、毎年一時帰国し、NHK交響楽団、読売日本交響楽団、東京都交響楽団等、国内のメジャー・オーケストラのソリストとしても活躍し、テレビ、ラジオ等にも数多く出演、1987年には、エサ=ペッカ・サロネン指揮/スウェーデン放送交響楽団、また95年にはウィーン・コンツェルトフェライン室内管弦楽団、97年6月にはパリにてフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団、99年オルフェウス室内管弦楽団と共演し、いずれも大成功を収めた。1991年には、ヴァイオリンの藤原浜雄とカルテット、TOKYOソロイスツを結成し、その迫力ある演奏は室内楽に新風を巻き起こしている。1993年3月、第24回サントリー音楽賞を受賞。
録音においては、1990年シュタルケルと収録したD.ポッパーの作品で、グラミー賞のソリスト部門にノミネートされた他、92年BMG(RCAレッド・シール)発売のCDが米グラモフォン誌で絶賛された。ソロでは92年7月にアポロンより発売されたCDが好評を博している。また、1997年4月、CD“パピヨン”が発売され97年度文化庁芸術祭賞作品賞を受賞した。